いつだってゼロからイチまでが一番疲れるし、ハードルも高いって話。
誰だって、今まで経験したことのないことは始めるの怖いと思うかもしれません。
少なくとも、私は怖いと感じます。
今回は私自身の「0から1への体験」を通して感じたことを書いてみようと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
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最近よく書くことですが、現在、転職して2ヶ月が経過しましたが、この歳になって初めて経験することが毎日のようにあります。
自ら主体的に行動することもありますが、ムチャぶりとも言えるような指示をもとに行動することもあります(笑)。
障がい者福祉というのは、一括りに「障がい者」という言葉で括ってありますが、その特性については非常に幅があり、その幅が障がい者の理解を困難にしている要因だと思います。
障がいは、一般的に身体障害や知的障害、そして、最近注目されている精神障害の三つを総称して「3障害」と呼ばれることがあります。
中でも、精神障害に分類されている発達障害については、個人差が激しく、合理的配慮が望まれるデリケートな障害と言えるかもしれません。
ところで、あなたは「合理的配慮」という言葉をちゃんと説明できるでしょうか?
私を含め日本人は、憲法にも記されている通り「平等」という言葉を好んで使う傾向があるように思います。
誰もが等しく恩恵を受けられるように、と言う概念自体は非常に素晴らしいものだと思います。
ですが、この「平等」という概念は「合理的配慮に至らない概念」と言えるかもしれません。
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「合理的配慮」を考える上で大切なのは「公平」という概念です。
例えば、小学生・中学生・高校生の3人兄弟がいたとします。
彼ら全員に、同じ金額のお小遣いを与えることが平等だとするならば、あなたはその行為が正しいと感じるでしょうか?
おそらくは、年齢に応じたお小遣いの金額を与えることが、それぞれの立場をわきまえた上での裁量だと思うのです。
さらに言えば、必要な額であることが望まれます。
過剰な支援は相手のためにならないことも多いからです。
このような「年齢に応じてお小遣いの金額を変える」というのが、公平であり合理的配慮に繋がる考え方です。
つまり、みんな同じという考え方ではなく、一人一人の特性を理解し、その上で働きかけることが大切だということです。
今このように文章にしていますが、私自身、ほんの2ヶ月前まで、このような考え方ではありませんでした。
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人間は、生きていく上で知らず知らずのうちに「自分だけの価値観」というものを構築しています。
それが、ときに自信や自尊心という形で自分を守る盾としての役目も果たしてくれるのですが、一方で自分だけの価値観を信じてしまうことによって、誰かを傷つけてしまう矛にもなってしまうのです。
このように、価値観が変わる体験というのは、元々持っていた価値観がなくなるわけではありません。
新たな価値観によって幅が広がると考えるのが適切だと思います。
このような概念だけではなく「未知の体験」というものも、日常生活を営む上でやってきます。
私が今の会社入社して最初に行ったことは、立ち上げたばかりの会社だったので、法人としてドメインやアカウント、ビジネスツールといったIT関連のインフラを整備することでした。
過去の記事で書いてあるように、IT系の通信大学に通っているとはいえ、今まで経験したこともないこれらの業務を、個人ではなく、いきなり法人で行うということはとんでもないプレッシャーでした。
ですが、私の特性かもしれませんが、不安よりも挑戦するおもしろさが勝り、なんとかやりきることができました。
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全く知らないことを、半ば強引にでも始めると、知識や技術が一気に上昇します。
それまで聞いたこともないIT用語検索し、咀嚼し、自分のものとし、一つ一つのインフラ整備を完了していく中で「0から1の過程」を乗り越えるハードルが、どんどん下がっていく感覚を覚えました。
行動できない人間というのは、果たして本当にいるのでしょうか?
行動したくない分野はあると思うのですが、全てにおいて行動を否定する人間というのは存在しないのではないでしょうか?
ただ本能的に、未知のものに対する恐怖心が強ければ、行動の範囲はあまり広がらないかもしれません。
行動の範囲を広げないまま一定の年齢を迎えると、何もきっかけがなくても、ある日突然、絶望感に駆られるときがあります。
この状態に陥ると、人間は自分を正当化するために、さまざまな曲解を始めることでしょう。
曲解、要するに「できない言い訳」を考えるのです。
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とはいえ、これは正常な判断であるということは覚えておいた方が良いでしょう。
今まで行動しなかった自分を悔いたからといって、突然行動力のある人間になるということはありません。
無理に動いても先が見えるだけです。
0から10にはならないのです。
自分が行動できていない、何か足りない、どこか焦りを覚える…そう感じる方が、もし、いるのでしたら、どんなことでもいいので、今すぐできることを行なってください。
何かに挑戦する必要はありません。
洗い物を洗うや、机の上を片付ける…それだけでいいのです。
そこがスタートラインです。
私だけかもしれませんが、行動できなければできないほど、つい遠くのゴールを意識してしまい、どうすればそこに到達できるのか、ということを考え、勝手に挫折し、勝手に心に傷を負うのです。
それでは何も変わりません。
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自己啓発などで、新しいことを始める素晴らしさを謳う文章は多くありますが、全ての人間がいきなり新しいことを始められるわけではありません。
ですから、できると分かっていることから行うのがいいのではないでしょうか?
私が、今まで経験したことないことを始める時は、必ず自分が今できることを確認するところから始まります。
そして、一番できそうなことから手をつけます。
なぜなら「1から2」より「0から1」の方がエネルギーを使うからです。
障がいを抱える方を支援すること、会社の土台を作ること、言葉は違えどもやることは同じです。
できないことは、ある日突然、できるようになるわけではありません。
今まで歩いてきた道の延長線にしか、人は進めないのです。
そう考えると「本当にムダなこと」と「一見ムダに見えて、そうではないこと」は、「同じところでぐるぐる回ってつけた足跡」と、ある方向に進んだ結果、「進みながらつけて回った足跡」に例えることで、実は似ているようで大きな差がある、と考えることはできるのではないでしょうか?
何が正解か?などと、わかるはずのない答えを探すのは一旦保留にして、まず自分の0を決める。
そして、1に向けて前進する。
全てはそこからだと私は思っています。
それが私の行動力の源であり、挑戦する心の原点だと思います。
今、最初の一歩が踏み出せない方に届いてくれると本望です。
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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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