なぜ比較対象を貶める必要があるのか?
自虐、なら分かるのです。
「私なんて同期のAさんに比べたら、全然ダメです」
本心であろうとなかろうと、あからさまでなければ、相手を立てるときに自分の立場を下にする表現を使うことは、他人を傷つけない言葉だと思っています。
…今では、このような社交辞令でさえ「そんなに自分を卑下するなよ‼」と、発した言葉をいちいち否定するポジティブ思考の方がいらっしゃいますが、基本的に本気で「全然ダメ」だと思っているなら、発言できずに苦しまれていると思うので、突っ込まずに流してもらいたいところです。
…と、この「発した言葉をいちいち否定するポジティブ思考の方」というのが、比較対象を貶める表現です。
お分かりになられるでしょうか?
今回は、他人を見下げることなく自分をアピールしませんか?という内容で書いてみようと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
ーーーーーーーーーー
私の肩書の一つは「障がい者のキャリア支援コンサルタント」という部類のモノで、簡単に言えば「障がいを抱える方を相手にするキャリアコンサルタント」です。
ときどき「障がい者は○○だから…」という言葉を耳にします。
まあ、障がい者支援をしていれば当然に聞こえてくるフレーズなのですが、障がい者は健常者より劣っている存在でもなければ、「障がい者は…」で括られるほど無個性でもありません。
どの障がい者を指しているのか?
もし、一個人を指しているのでしたら、それは「最近の若いモンは…」くらい偏った見方だと思います。
障がいを抱える方を見るとき、どうしても障がい特性を注視してしまうのは分からなくはありません。
しかし、障がいを抱える方も私たちと同じ一人の人間なのです。
好きなアーティストもいれば、嫌いな食べ物もありますし、得意な作業もあれば、苦手な人もいるのです。
「障がい者」や「若者」のように、常に何らかのカテゴライズをされる方は、人を数値やジャンルで判断するクセがついてしまっているのかもしれません。
誰一人として同じ人間などいない、ということを改めて感じてみてはいかがでしょうか?
ーーーーーーーーーー
さて、実は「障がい者」よりも揶揄されるのが「コンサルタント」です。
特に「キャリアコンサルタント」という名称は、どうにも攻撃対象になりやすいようです(笑)。
「キャリア=職業人生」と定義した場合、キャリアに関する仕事の呼び方はさまざまあります。
「キャリアアドバイザー」「キャリアコンサルタント」「キャリアカウンセラー」「キャリアコーチ」「キャリアサポート」「キャリアコンシェルジュ」…などなど。
上記の中でキャリアコンサルタントだけが国家資格なのですが、それは「名称独占=資格がないとキャリアコンサルタントと名乗ってはいけない」という制限があるだけで、基本的にはどれも同じ職種のはずです。
…「はず」としたのは、このささいな名称の違いを差異化・差別化されて、自身のスキルを強調される方がいらっしゃるので、個人的に少し不思議に感じています。
「コンサルティングは、過去のデータを分析して教えるだけだから、未来志向ではない」のような表現です。
私が不思議だと思っているのは、「その違いって、本当に相談者に伝えるべき情報ですか?」というところです。
ーーーーーーーーーー
どのような名称であっても、キャリアに不安や悩み・迷いを抱える相談者に、いかに寄り添い誠意を持って対応し共に前進していくのか…という本質の部分は同じはずです。
ですから、名称で差別化を図るときには、「私にとっては、○○という名称に○○という意味を見出したので、○○と名乗っています」でいいのではないでしょうか?
「コンサルタントは胡散臭いから別の名称にしました」では、ただの消去法であって、果たしてその解は相談者の不安や悩み・迷いに応えるのに必要なのか?
…このような考え方自体が偏っているとも言えますが、「私だけが優れている」と表現するよりも「どれも優れているが、私には○○という強みがある」と表現したほうが、相談者に選択の余地があるように感じますし、安心感もあるのではないでしょうか?
「どこに相談しても大丈夫みたいだけど、この人の強みとしている部分が自分には足りないから依頼してみよう」
…これでいいと思うのですが、ちょっと細かいところを気にし過ぎなのでしょうか?( ̄▽ ̄;)。
支援をする側は、研鑽し合える関係でいたいものです。
ーーーーーーーーーー
ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
愚痴のような文章となってしまったのは、私の文章力のなさが原因で、もっと上手な書き方もあったと思います。
不快に思われる方がいましたら、大変申し訳ございませんでした<(_ _)>。
今回の投稿は以上です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?