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静寂者ジャンヌ11 森 ・ 『ロゼッタ』 ・ 焼尽

(ジャンヌの知らない海。穴町 Trouville )



ジャンヌの暮らしていたモンタルジには、
今でも、すぐ近く(町から車で10分ぐらい)に
穏やかで美しい森が広がっている。

森というより林というべきかな。
当時は、もっと鬱蒼としていただろう。

ジャンヌはよく家を抜け出して、
ひとりで森をさまよい、
〈内なる道〉を歩んだという。

その森について、後にジャンヌは、こんなふうに述懐している。


そこは、幸せと苦しみの月日を送った場所です。
かつて私は、その森で、苦しみのままに自分を破壊に追い込みました。
(〈道〉に入った)初めの頃に、愛に焼尽されるにまかせたのも、やはり、そこでした。 
その森で、私はますます不思議な無限の深淵のうちに、ただ消えてゆくばかりでした。 そこで私に起こった事は語りようもありません。あまりにピュアで、あまりにシンプルで、あまりに私を脱したことなのです。
(ちょっと意訳)

( je me retirais tout le jour dans le bois,) où je passais autant de jours heureux que j'y avais eu de mois de douleur, car c'était où je donnai liberté1095 à la douleur de me détruire ; c’était aussi dans le commencement où je donnai lieu à l'amour de me consumer ; et c'était alors où je me laissais plus perdre dans un abîme infini et incompréhensible. Je ne puis rien dire de ce qui se passait en moi pour être trop pur, trop simple, et trop hors de moi. (La Vie 1.28)

引用の後段は、後にジャンヌが〈消滅〉の境地に到達した時のことだ。
(お楽しみに)
すっかり言語脱落した境地だ。
何が起こったか、語れないという。

このあたりが、ジャンヌらしい。
ジャンヌは、自分の「神秘」体験そのものについて、決して語らない。

彼女にすれば、無分節体験を、人間の言葉で分節してはいけないのだ。
その言語化は、たしかに、安っぽいイデオロギーになりかねない。

彼女がひたすら仲間たちに語るのは、そこに至るためのテクニックだ。

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            モンタルジの近くの森 


森をさまよう孤独。

むかし観た、なにかの映画の
ワンシーンを思い出す。

たとえば『ロゼッタ』とか。

20年ぐらい前の映画だったろうか?
ベルギーのダルデンヌ兄弟の作品だ。

主人公のロゼッタは、酒びたりの母親と
トレーラーハウスで暮らしている。
ある日突然、彼女は工場を解雇される。
そこから話が始まる。
どん底を生きている。
ロゼッタはなんとかして母親と生きようとする。
優しい青年を裏切って、職を奪ったり、
心中をはかったり・・・
あまりストーリー明かしちゃいけないね・・・
最後のほうは、観ていて泣いてしまうよ。

そういう意味で、裕福なジャンヌと一緒にすることはできない。
そうなんだけれど、
生き延びるための孤独な闘いが、
つながっている感じがする。
ぎりぎりのところで前をゆく
生命力とでも言おうか。

映画は全編ひたすら手持ちカメラで、
ロゼッタを追う。
カメラが、ものすごく近い。
ロゼッタの息づかいが、ずっと聞こえる。
ひとり森を行くシーンが
しんしんと、
ひりひりと、
ジャンヌのイメージとオーバーラップする。



そんな孤独な森で、ジャンヌは〈道〉を歩む。

秋だったら、
落ち葉が
きいろくあかく
敷きつめられている
だろう。

海底に輝く宝石のように。

それを踏むたびに、
爽やかな匂いが
つーんとする。

見たことのない、
懐かしい海の匂い。

見上げれば、黄葉紅葉の向こうに
やけに静まりかえった空がある。

もしかしたら、
どこかでミソサザイが鳴いているかもしれない。


もう
家に帰らない。

この森を歩いてゆくよ。

わたしは誰のものでもない。

あっちにほうに、下弦の月が昇るころ

わたしは愛になる。

誰も知らない

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           ジャンヌの知らない平原

言葉がすっかり落ちれば、
意識もすっかり落ちる。
何も残らない。
何もない。

でも、そこに至るプロセスは、
人それぞれだ。
先回の『嘔吐』のような体験もあるだろう。

ジャンヌの場合は、また違った体験だったろう。


人々から、群れから、遠く、
ひとり、森で、目を瞑れば、
いつの間にか、すっと
神の愛、恩寵に、浸されただろう。

四の五のなく
六もなく、
「何の区別もない」境地に入っただろう。

痺れる〈享楽〉に、我を失っただろう。

愛に焼き尽くされただろう。

無限の愛の〈享楽〉が
たましいの死と再生へと
ジャンヌを誘った。

(ただし、まだ到達していない。
 完全な言語脱落の境地ではない。
 完全な〈消滅〉の境地ではない。
 それには、まだまだ試練がある。)




〈沈黙の祈り〉がなぜ
たましいのシェルターとなり得たか
さらにもっと、ジャンヌの身になって、
実感してみたい。

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