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静寂者ジャンヌ 9 抵抗としての瞑想


こころの中に
たましいのシェルターをみつけた
ジャンヌは、
姑と夫に対して
自己防衛できるようになった。

何を言われても、何をされても、すっと、潜心に入れば、平気だった。

でも、そうはいっても、最初のうちは、ふと、潜心が途切れてしまう。
すると、元の木阿弥だった。
やっぱり、二人の虐待に泣いてしまう。



そのうち夫と姑は、ジャンヌが妙なことをしているらしいと、感づいた。

〈沈黙の祈り〉を見破った。

それまで二人は、服従としての沈黙をジャンヌに強いてきた。
けれども、ジャンヌの沈黙はそれとは違う質のものだ。
それは抵抗としての沈黙なのだと、二人は気づいたわけだ。

二人は、ジャンヌに祈りを禁じた。

二人は、四六時中、ジャンヌが祈っていないかどうか、徹底的に監視した。
ジャンヌが窓辺で編み物をしようとすると、姑がぴったり付いてくる。
ジャンヌが目を瞑らないかどうか、ずっとチェックする。

もし、祈っているところが見つかったら、大変だった。
きびしい仕打ちが待っていた。
数時間も。
ときには、数日間も。

それでもジャンヌは、祈り続けた。

たとえば、夫と姑がカード遊びに興じているあいだ、
暖炉の傍に座って、二人に背を向けて、編み物をしているふりをする。
そしてこっそり、潜心に入る。

ジャンヌが変な祈りをはじめたと、
夫と姑は、所属している教会の司祭に伝えた。

そんな祈りは教会では認めていないと、
司祭も、〈沈黙の祈り〉をやめさせるよう勧めた。

それで、二人はますます監視を強めた。

それでもジャンヌは、祈り続けた。


私の祈りは愛と同じように、絶え間なく続きます。

何も、祈りを止めることが出来ません。


ジャンヌは、孤独な「愛の酔っ払い」だった。

それにしても、〈沈黙の祈り〉がなぜ、そこまで
自己の尊厳を守る抵抗の拠点となり得たのだろう?

それは単なる現実からの逃避ではない。

何も考えないようにすると、気分が静まるとか、
すっきりリフレッシュする、
といった表現でも説明しきれない。

もう少し踏み込んで、考えてみたい。
(できれば次回に)

*写真は、あずさ33号の車窓から。

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