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『国語が弱い』

 難関私立中学受験の合格要件と言えば、国語と算数の力。あって当たり前と言いましょうか、この二科目でつまづくようであれば合格はままならない。そのレベルの子の「国語がちょっと苦手」、「算数がちょっと苦手」という言葉は謙遜にしか聞こえないですし、それは程度の問題であって高いレベルに対応する力への自分自身が感じてる物足りなさを表す言葉です。
 
 今日はこうした話ではなく、もっと一般的な国語の勉強についてのお話をしましょう

 
 私個人の話をすれば、中学高校を通して国語が一番得意でした。よって、勉強を教えるのは国語が一番自信あります。しかし、もし「教壇に立って国語の授業をしろ」と言われれば少し考えます。あまり有効な教授法が思いつかないからです。

 実は家庭教師という仕事をしている時、子供の横について一番苦労するのは国語です

 なぜならば、子供がきちんと文章を読んでいるのかどうかを見極めるのがとても難しいからです。読んでない子は全く読んでない。

設問付近しか読まない子、
飛ばし読みする子、
読んでいても意味に落としていない子、


 子供それぞれの文章への向き合い方がまちまちなのです。もし学校の教室の教壇と生徒のような距離があったら、私はこうした子供達に国語の問題の解法を教える自信はありません。読んでもない文章の内容を語る授業なんて出来ません。ですから国語を教える時は、横について中身を把握しているかどうかを確認することから国語の解説を始めるようにしてます。 

ただ、読んだかどうかの確認がすんなり出来るのなら良いですが、テコでも読まない(読めない)子供もいます。出だしの数行こそ読むがもうそこから先に進めない。こうした子供に確認をしても必ず「読んだ」と答えます。詳細を聞いても答えられる筈がありません。当てずっぽうで答えるか、「難しかった」と言い訳をするだけです。また、「難しい」という言い訳と並び、文章を「面白くない」と表する言葉も双璧です。当の子供個人の心中では読めない理由が確固として存在していて、「難しい」、「面白くない」を免罪符にしているところがあるのです。難しかったり面白くなかったり文章の内容に踏み込んだ言葉ですが、読んでもない文章を評価することは出来ないです。非常に直感的な言葉です。

 実のところ、そうした子供達は文字に対する嫌悪感が大きくて、その嫌悪感が集中力を阻害しているから目で追う言葉に思考がついて行かないのです。

『国語が弱い』子供とは読解力がない以前に、「文章を目で追うことが出来ない」子供を指します。

 ここまで読んでいて「あれ?」と心当たりがある方も多いのではないでしょうか。そうです、本当に『国語が弱い』子供は多くなってきました。

 文章への嫌悪感、文字への嫌悪感、これらをどのようにして克服させるか。とても難しい問題です。読書の入り口にすら立てないので、「国語が弱ければ読書量を増やせば良い」とは簡単にいかないのです。

 国語の勉強の本質は文字情報の転換です。文字から読み取られる情報を正しく理解してそれを他人に理解できる言葉で表現できるか、ということです。難しい言い方をするなら、言語は共通コードであり、一人一人がその共通コードを持つことで情報を移転できる、この仕組みを知ること。これが国語の勉強です。平易に言い換えると「コミュニケーション」が国語の本質です。



"おしゃべりのススメ"

 簡単なコミュニケーションとしては「おしゃべり」が挙げられます。おしゃべりは見ることができないし残すこともできない。口から出た言葉はその瞬間だけ音で存在するだけです。おしゃべりの中で発せられる言葉は、目の前にいつまでも存在する文字とは厳格さが違います。厳格でない分おしゃべりは気楽で、その気楽な気分を勉強に持ち込んではどうでしょうか。

 当たり前なことですがほとんどの子供は早くから流暢な日本語を操ります。日常生活に不自由するような言語力ではありません。少しでも多くの会話をすることはそれだけ多くの言葉を習得することに繋がります。ただ、「会話を増やせ」と言ってもこの現代社会、そこが一番の問題と言えるかもしれません。これは家族コミュニケーションという別次元の話になりますね。
  
①聞く

 国語の勉強に繋がる会話の方法として、「インタビュー形式」をとることは有効です。もちろん、普段の詰問では子供は萎縮してしまうので子供が話しやすい題材を採ってあげます。私がするのは、「昨日見たテレビアニメの中身を話させる」ことです。ほんの僅かな文章も読めない子供が30分のテレビアニメの内容を話せる筈がない、と思われるかもしれませんが、ほとんどの子供達は話せます。国語の点数が悪い子供でもかなり詳しく話してくれます。30分のアニメを30分掛けて話してくれる子供もいますし、大河ドラマや映画の話をしてくれる子もいます。もちろん、表現力は様々です。リズムも様々なので、ここでは先ず聞き手にまわり、辛抱強く話を聞くことに徹すること、子供が話す気勢をそがないことが大事です。

 これは子供に「思考の言語化」をさせる作業です。言葉にすることで一話分という完結した話が頭の中に入っていたという実感が持てます。視覚で得られる情報と文字で得られる情報を同列に並べてはなりませんが、少なくとも頭の中に情報を溜める実感をつかんで欲しいのです。その実感こそが文字から情報を拾う一歩です。テレビで見たことを言葉に置き換えられるのなら文字からでも画像や音声に近い情報を得ることが出来る。「文を読んでもテレビを見た時と同じようなことが頭の中で起こっていなければ読んだことにならない」。こういう実感を持たせてあげるのです。

②質問

 初期段階は話させるだけ、口を開かせることに徹しますが、次の段階では話の後に内容についての質問をするようにします。分からないところや話が飛躍するところについて尋ねるのです。得てして子供は「分からない方が悪い」みたいな言い方をしますが、そこも辛抱強く対応します。子供にしてみれば、面倒くさがったり我が儘で「分からない方が悪い」と言ってるわけではなく、伝わってる筈だと確信の方が強いのです。ですから、先ず子供の言いたい事を代弁してやるなど互いに歩み寄る形が必要です。

辻褄を合わせることは、言葉の的確な表現を知ることであり、言語の厳密性を知ることです。

③感想

 そして、そういう会話に慣れてきたら最終段階です。曖昧な質問をします。「感想」です。既に初期段階で「感想は?」と言いたくなる気持ちはぐっと抑えて下さい。感情を表す言葉こそなかなか出てこないのです。感情には基本的な要素『喜怒哀楽』があります。自分の中にある感情はその四要素の間にあるものばかりで非常に繊細なのです。大人でもそう思うでしょう。その繊細さゆえになかなか言葉にならないのです。

 しかし、これは言い訳にしかなりません。率直な感想はあくまで率直で良いのです。頭の中に感じているものは『喜怒哀楽』のどれに属するかという判断をすることが大事なのです。

「面白かった」と言わせるよりは「楽しかった」と言わせるべきであり、
「むかついた」と言うよりは「怒った」と言わせるべきなのです。
「感動した」のは「哀しい」気持ちになったのか「喜び」たくなったのか。
「微妙」はいけません。
「あまり楽しくなかった」でいいのです。


 こうした言葉と感情の対応なくしてもっと繊細な感情を表す言葉を操ることは出来ません。また、言葉を知ることで感情の状態を知ることにもなります。
 
④読む
 
 こういうやりとりを日常に組み込むことが出来れば、後は文字との接点を用意してあげるだけです。いきなり国語の問題集はきついかもしれないので文字情報を共有しやすい新聞など使うと良いでしょう。

スポーツ面で野球やサッカーの試合経過、社会面で話題になっているニュースの詳報、テレビ欄のあらすじ、等々。

 こうしたちょっとした文字情報を題材に会話をするということです。「アウトプットすることを前提に文字を読む」習慣を身につけさせるのです。そこから徐々にまとまった量の文章を読ませていくのです。もちろん、いきなり設問を解かせるのではなく、テレビアニメと同じ要領で文章を題材にしてコミュニケーションを図ることです。

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 率直に言葉を発するには十分なコミュニケーションが取れる関係性が必要です。テーマについて語れる自由さを確保すること。そして、その自由さの中で言葉の決まり事を教えることが重要なのです。
 やはり、辛抱ですね。
 結局、別次元と書いた家族コミュニケーションの実践法みたいになってしまいました。しかし、もし国語の成績が上がらずとも家族内の絆を強くするような結果がもたらされたら、それは私にとって書いた甲斐もあったというものです。

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