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[ちょっとしたエッセイ] クリスマスですから

僕自身は、クリスチャンで、クリスマスの意味をある程度理解しています。
ということは、一般的・日常的の私と、クリスチャンである私。
この国で生きる上で、2つのクリスマスを頭で使い分ける、今日(今日付近)はそんな日です。
とはいいつつ、クリスマスという祭事については、教会で礼拝およびミサに参加してこの日を祝っています(*僕自身はカトリック、生活圏ではプロテスタントなので両方参加したりするので、礼拝およびミサと表記しました)。でも、敬虔な信者でもなく、なんとなしに幼児洗礼を受けた手前、またミッション系の学校に通っていたということもありますが、いまだにそういった祭事くらいにしか身を置かない、そんな人間なので、あまり深く考察しないでいただければ幸いです。

そんな自分ですが、せっかくのクリスマスですから、少しその日のことに思いを馳せてひとつお話を。

キリストが生まれた日。
そんな時に、東方から星に導かれた3人の博士がやってきたという話は、多くの方が知っている話だと思う。
登場する博士が実は4人であったということを知っている人はどれだけいるだろうか。
星に導かれた彼らは、黄金、没薬、乳香を贈り物として持参したが、4人目の博士は医師であり、真珠を持ったという。
4人で旅をはじめたが、真珠を持つ博士は、道中、けが人の世話をして遅れ、他の3人とは別の行動をすることになった。
しかし、彼が到着した頃には、すでにイエスは誕生し、そこを去っていた。
その後イエスを一目見ようと追いかけるが、行く先々で彼を必要とする病人やけが人に出会い、惜しみなくその手を貸し、生活を共にした。気がつけば30年余りの年月が去ったが、イエスのための真珠は手放さなかった。
そして、イエスが十字架につけられると聞いた彼は、これが最後のチャンスと思い、真珠を手に、ゴルゴタの丘を目指したが、また彼の前に現れた哀れな女のために、ついに真珠を手放し助けた。彼が着いたときには、イエスは体から血を流し息を引き取られていた。それでも彼は、イエスに近づくと、流れる血の中に光るものを見つけた。拾い上げると、それはイエスの涙のような赤い真珠だった。
博士が幼子に渡すことができなかった贈り物が、この時はじめて2人を結んだ。
帰る道すがら、悲しみにくれる博士の前にイエスが現れ、こういった。
「おまえは私に会えず嘆いているが、何度も私に会っていた。私の小さな兄弟たちにしてくれたことは、他ならぬ私にしてくれたことだから」と。

この話は、いつだったか、僕が小学生くらいの頃、教会の神父さまがしてくれた話だ。この話自体の出自はわからないが、ひとつの伝説として語られているのだろう。
記憶の奥に光る、クリスマスの物語。4人目の博士は、僕たちの近くにいつもいるような気がする。

Merry Christmas, Mr.Sorrow.

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