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[ちょっとしたエッセイ]失礼な手紙とくどい手紙

 今の時点でということで言えば、手で書くことは、嫌いではない。ただ、自分の字が、時々異様に嫌になる時があって、その時は、書くことすらも嫌になるのだが、概ね書くこと自体が苦ではない。
 
 そして、次のフェーズへ移る時、グッと書くことが苦手になる。それは、手紙だ。仕事でお世話になった方へのお礼状や、荷物を送る際の一筆など、月に2〜3は紙に向かって手を動かすのだが、これがなかなか時間がかかる。季節の挨拶であったり、一言近況を加えたり、などなど、相手を思えばコソ(いや自分をよく見せたいだけなのかも)、言葉選びも加速していく。そんなものだから、最近ではパソコンのテキストエディタで下書きを書いた後、清書という形で、便箋に書いてゆく。手紙を書くのも効率がよくなったものだ。

 初めて心を込めて書いた手紙ってなんだろう。
 そう思ったのは、先日、実家の荷物を整理していた時だった。実家の荷物を片づけるなど、実に20年以上ぶりだったので、あふれる懐かしさに幾度となく手が止まった。昔のレコ屋のチラシとか、フリーペーパーだとかが出てくる出てくる。そんな中、当時の年賀状なんかに紛れて、寄宿舎にいた中学1年の時に出されたであろう、ハガキが1枚出てきた。母親への手紙だった。なぜこれを自分の荷物にあったのか、記憶が曖昧であった。もしかしたら出せなかった手紙なのかもしれない。しかし、あまりにも内容がひどくて、ホコリ臭い部屋の中で苦笑いしてしまった。

「お母さん、元気ですか? こちらは元気なので心配ありません。お願いがあります。部活で使っていたバッシュが壊れそうなので、新しく買いたいのでお金を送ってください。15000円くらいです。今週末は帰りません」

 という手紙だった。何も相手を考えずに、ただ書いている。最終的には、この週末に帰宅はしない宣言まで書いて母親を追い込んでいる。
 ああ、反省、猛省。
 叶うのであれば、当時の自分にビンタでも食らわせて、小1時間正座をさせて、説教してやりたい。でも、読み返したくはないが、改めて読んでいると、必要なことが最小限にまとめらえているのかもしれない。それは、感情の裏返しなのか……。

 僕は、前述した通り、字を書くのは好きだが、手紙を書くのは、えらく不得意。特に感情的なものを特定の誰かに向かって、自分の言葉としてまとめるのがうまくできない。結果、書き綴った手紙は、シンプルに無感情的な文章になってしまうか、口説くて、嘘くさくなってしまうのか、どちらかになってしまう。
 高校の時、下書きなどを含めて、2週間くらいかけたラブレターも、最後仕上げの際に読み返した時に、1000年の恋も冷めるほどのまとまりの悪さに、渡すのをやめたこともあった。あまりに、言いたいことを入れすぎたため、口説くて、ただの気持ちの悪い作文のようだった。
 夏目漱石のように、1が100に広がるような言葉の発明はできない。100を伝えるために200並べるような性格なのだ。

 noteやTwitterなどで、シンプルに自分の感情的な言葉を綴る、きれいに文章をまとめ上げる、そんな書き手を目にした時、自分に書く才能はないんだよと、壁からもう1人の自分がひょこっと顔をのぞいて言ってくる。そんなこと、お前に言われなくてもわかってるよ。と言い返したいのだけれど、たぶんそれは正しい。
 自分が文章を書くと、手紙と同様に、感情を伝えるための変換作業がどうもしっくりこない。起承転結を考えてはじめたはずなのに、「起承」あたりから捻じ曲がって「結」への軌道修正がおかしくなる。
 このnoteでエッセイ的なものをたまに書いているが、どれもなんとなく、好きになれないし、ちゃんと書けた実感が湧かない。以前、ラジオで燃え殻さんが言っていたように、毎朝、起き抜けに2000字(1500字だったかもしれない)の文章を書くという訓練をすれば、自分の書き筋みたいなものが鍛えられていくのだろうか。
 
 昔の手紙を見たことで、ホコリをかぶった自分の気づきが、ふーっと息を吹きかけたように見えすいてしまった。この昔の小さな気づきが、今の僕にこうも影響を落とすとは思いもしなかった。
 でも、少なくとも、これまでnoteやTwitterで書いてきた言葉や文章は、自分の感情や思考の一片であることは、間違えない。読み返して、恥ずかしくて、消してやろうかと思うものも多々ある。それでも、なんとなしに続いているということは、やはり好きなことのひとつなんだろう。別に大きな目標などなくとも、こんな続けられていることであるのなら、自分くらい応援してやってもいいのかもしれない。
 今じゃ絶対に書けない手紙のシンプルな失礼さに、今更ながら母親に謝りたくなった。でも、もう30年近く前のものであったし、これは自分への教訓として心にしまっておこう。
 実家から帰る際、母親に「いつもありがとう」と一言、小さな声をかけることにした。しかし、結局まだ言えずにいる。家の片づけもまだ続きそうなので、いつかかけようと思う。

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