[ちょっとした物語]行く当てのない言葉
「元気ですか?」
何を思ったのか、僕はスマホのアドレス帳から、あの人にメッセージを送った。
いつだって追いかけるだけの人生だ。
僕が織りなす言葉なんて、あらゆる武装に他ならない。それが小さなほころびに食いこむことを願って。
テーブルに置いたスマホを頬杖ついて眺める。グラスに注いだ冷たいコーヒーは、氷の音とともに揺らめいている。
返事が来ることなんてたぶんないだろうと踏んでいた。でもやっぱりどこかであの人の心を揺さぶって、返事の一つを期待していた。
何年か前にもそんなことを思って、メッセージを送ったことを思い出す。なんてバカバカしいんだろう。
僕の言葉は、もう届かない、なにものにもなっていない。どれだけ願っても、届かない。わからない言葉になってしまった。ただ、あなたが元気であることを知りたいだけなのに。
グラスに滴る無数の水滴。テーブルには、水の塊がじわりと浸食している。あらゆる希望をいまにも洗い流すかのように。
あの日あの時、僕はあなたに感謝を伝えたかった。別に恋だとか、愛だとか、そんな大層なことではない。いつだって、あなたが傍にいてくれた。それにどれだけ救われたか。
だから、あなたのことが忘れられない。
それが、愛だとか、恋だとか、そんな理不尽でつまらないことを求めたくはなかった。
「あなたならきっとだいじょうぶ」
「わたしがついてるよ」
「そんなに思い詰めないで」
あの人が言った言葉が、今でも頭にリフレインしている。
「元気ですか?」
スマホの画面にひとつさびしく文字が並ぶ。
返事があるなんて期待していないはずなのに、画面だけを見つめてしまう。
窓を開けてみる。
深い深い闇に浮かぶ丸い月が見えた。
月は見上げる人を選ばない。僕にもその権利があった。それでも月の光は、暗闇の中の光ではなく、光の中に灯る月明かりなのだ。
ほらね。返事なんかありゃしない。そして、またこの夜更も気がついたら明けていて、何もなかったかのように、朝が来るんだ。
「元気ですか?」なんて、あまりにも幼稚で無鉄砲な問いかけをしたもんだ。今更ながらに自分の文章に火が出そうなくらい羞恥心が生まれた。むしろ見ないで欲しい。そう思いながら、スマホを伏せて置いた。
氷の溶け切ったコーヒーをひと口飲んで、ため息を吐く。
きっとこうやって、明日も明後日もため息ばかりの日々が続く。でもさ、こんな恥ずかしい思いもしないと、生きていくにはしんどい世の中だよ。たぶん、あの人も、そうなんだと思う。
誰しも、言葉の行く末を案じながら、生きている。そして、それも忘れて、また言葉を投げかけるんだ。
月明かり
走る言葉の
影延ばし
さて、寝よう。もう朝が近い。
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追われるより追う人生だったと思い返します。
大方追えばフラれ、またフラれ。
若い頃はそれがある種の原動力だった。
でも大人になるにつれ、その原動力は自分を傷つけることなんだということに気がついた。でもやはり、何かを追いかけないと生きる実感が湧いてこないのも事実だった。
その矛盾の中を生きている現在。
言葉のひとり歩きでさえ、何かを追いかける影を、月明かりの中に見出します。
それは、自分の生き様を見ているようで、恥ずかしく、みじめで、でも時折愛おしく感じざるを得ません。それが自分なのだから。
そんな月夜の晩の徒然。
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