見出し画像

[ちょっとした物語]深夜4時。夜と朝の狭間で。

「いらっしゃいませ」

 このあいさつは、これまでいろいろな人に褒められた。唯一褒められたことと言ってもいい。こんな街の片隅の、大手チェーンでもない、しがないコンビニの店員に誰がなにを褒めてくれよう。そんな中で、褒められるということ自体が稀有で、誇らしいことではないか。そういつも自分に言い聞かせている。
 耳にイヤホンをはめていようが、なんの反応もしなかろうが、面倒な目で見てこようが、この建物の入り口を通過したならば、必ずひとつトーンを上げて、嫌味ではなく、目を向けてあいさつをする。それだけでいい。
 しかし、平日の深夜というのは、人は訪れない。それはそうだ。僕だって、仕事をしてなければ寝ている時間だ。24時間を時間別で統計を取ったって、深夜の時間帯の行動なんてほとんどが「寝る」を選ぶだろう。ただそれがゼロではないところに、この隙間産業が存在するわけだ。費用対効果で考えた時、この時間帯のコストパフォーマンスはいかなものなのだろう、ふとそう思った。
 僕は大概レジの前に立っている、もしくは傍のパイプ椅子に腰をかける。小さなコンビニなので、店内放送などはなく、有線が流れている。
 控え室には相棒の大学生。テレビを見て、廃棄処分の弁当を食べている。時計を見る。午前4時を過ぎていた。あと1時間もすれば、始発に合わせた客が新聞やら缶コーヒーやらを買いに、ここに来る。蛍光灯のジジジという音だけは、有線で流れる音楽を超えて耳に入ってくる。なんとも嫌な音だ。
 僕は直立不動で、音をかき分けて、さっきのことを考える。平日の深夜帯に営業する意味はあるのだろうか。否、ないと思う。でも慣習や同調か、何かしらの要因があるだろう。でも僕には関係がない。こうやって立っているだけでも、1分あたり25円支給される。誰もいない空間で弁当を食べていても、タバコを吸っていてもその25円が1分につき支給されるのだ。社会のシステムに、何をしなくてもお金がもらえる仕組みが存在すると誰が気づいただろうか。たぶん僕が初めてだ。少しにやけた。
 前を向くと、冷蔵棚の扉が僕の姿を映した。その映った僕は、ただのコンビニの店員だった。社会のシステムの欠陥に気づいた英雄ではない。そんなのただの思いつきだ、ばーかと言っていた。
 やれやれ、ここは社会の坩堝で墓場なのかもしれない。何を考えようが、何を言おうが、誰にも届かない。そして、儚く消えてゆく。そんな場所なんだ。僕もまた、この墓場で死にゆく運命なのかもしれない。そんなのわかってるさ。井戸の中のように。天井にしか逃げ道はない。袋小路な人生だと思うと、この深夜の時間帯は、なんとも不文律な自由が許されているような気がした。

 外に轟音とも言えなくもないやかましい音が聞こえた。トラックが道につけた音だった。僕と同僚は店内からダンボールの束を運ぶ。
 運転席から降りた40歳前後あたりの男は、道に降り立つと胸のポケットからタバコを取り出して、火をつけた。おいしそうにスーッとひと吸いすると、空に向かってケムリを吹きつけた。
 僕と同僚はそのケムリの行方をなぜか追った。
「あっ」
 僕はそのケムリの先にある、青なのか、白なのか、オレンジなのか、ピンクなのか、ハッキリと判断のつかない空に向かって声が出た。
「きれいだなぁ」
 タバコを吸う男も空を見て言った。
「ですねぇ」
 めずらしく同僚も声を出した。
 この世界の美しさの結晶のようで、こんな空があったことに驚きを隠せなかった。
 これも世界の不文律なのかと疑う他なかったが、3人で見たこの朝の空は、果ての地平線を見るような、希望の光が降り注いだ。
「さて、次の現場行くか」
 男はそう言って、トラックの座席へ飛び乗った。
「おつかさまっす」
 僕らはそう言って、少し頭を垂れた。
「じゃあ」
「うっす」

 また静かな道に轟音とも言えなくもないやかましい音をたててトラックは先を急いだ。
 朝日はのぼり1日が始まる。
 そして僕らの1日は幕を降ろす。
 世界はめざめ、僕らは目をつむる。

「おつかれさま」

——————————————
太陽は見上げる者を選ばないけれど、見ない者にも寛容だと思う。それは月も同じで、そこに優劣はない。
けれども、どちらも見ない、関心を持たない者はとても不幸だ。
気づかないうちに、毎日毎夜が過ぎていってしまう。
そして小さな感動すら見つけられないと、不平や不満が増幅して、生きることすら放棄してしまうように感じる。
日常のほころびを探そう。
日常のヒビに穴を開けよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?