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ユルスナール「青の物語」レビュー

ユルスナールの初期短編集。
ユルスナールの代表作は一通り読んだので、今度はあまり有名でない初期作品をということで読み始めたら表題作「青の物語」のユルスナールらしからぬテイストにびっくりして一度断念。
まあしばらく置いておけばまた気に入る時が来るだろうと放置した後再読したら楽しく読めた。

内容は「青の物語」「初めての夜」「呪い」の三編を収録。
これらはユルスナールの死後刊行されたもので、いずれも24歳~26歳頃に書かれた初期作品。
純文学でよくある「作者後年の主題の萌芽が云々」という説明がなされる、比較的マニア向けの作品群だ。
とはいえ、ユルスナールの場合代表作自体が超絶文学マニア向けなので、これらの初期作品の方がとっつきやすく読みやすい。
これからユルスナールに挑戦したい方は肩慣らしにこの短編集からはじめてもいいのではと思えた。

「青の物語」

タイトル通り青を基調として物語が進んでいく。
ただ、ほとんど詩のようなふわふわした文章で、行間も広く、全然ユルスナールらしくない。
なので初読でびっくりして本を閉じてしまったが、改めて「東方綺譚」の萌芽だと思えばユルスナールとして読むことができた。

青をイメージしながらの読書は映画のようで面白い体験だったが、残念ながら僕は色盲なので細かい青の違いが分からず、やはり合わない。
あと、ユルスナールは人物の心の奥の奥に入り込んだり、歴史を丁寧に再現するところにあるので、やっぱりこういったふわふわした物語はらしくない。
改題にあるとおり、マニア向け珍品といえる作品。

「初めての夜」

読み始めて『よかった、こっちはユルスナールっぽさが出てる』と感じたものの、後年の作品と比べてやはり描写がゆるい。
らしさはかなりあるけど、人物の奥に入ろうと努力している感じがまだ残っていて、ユルスナールになる前のまだクレイヤンクールだった頃のユルスナールという印象。
あと本作もどこか”らしくない”印象が強く、改題を読むとどうやら父上の遺稿で、ユルスナールが手を加えて完成させたらしい。
ユルスナールにしては一般的なフランス文学の伝統によりかかっている感じがあるのはそれが理由なのだろうか?
ユルスナール本人やその血筋に興味がある方には垂涎だろうが、やはりユルスナール入門には適さない。
これなら普通のフランス文学を読んだ方がいい。

「呪い」

本短編集で最大の収穫がこれ。
相手に呪いをかけた女が魔女であることを暴かれ、自分が魔女であることを急速に自覚していくというお話。
一読してこれは芸術家の自覚の話だと理解した。
ここまではっきりと主題を立てた作品はユルスナールにはめずらしい。

魔女であると暴かれたアルジェナールは、どうやって呪いをかけたのかと問い詰める医師カタネオ(魔女をあぶり出す儀式を行った)に対し、

「いいえ……いいえ……、そうなればいいと思って……ただそう思っただけ……」

と答える。
それを受けてカタネオは

「では」
「お前の力はとても強いのだ」

と、実力を認める。
医師カタネオが社会の代表者だとすれば、アルジェナールは異端。
そして異端は常に社会の公認によって生まれる。
アルジェナールは魔女であることを暴かれたのではなく、カタネオの承認によって魔女となったのである。
カタネオがそれに対し、どこか諦めに近い感情を持っていることがうかがえる。
もしかしたら憧れもあるのかもしれない。
一方でアルジェナールは、社会からの異端宣告を受け、初めて自信を持ち始める。
これは社会と芸術家の関係と全く同じである。
嫌悪と憧れ、承認と排除、社会はこうした相反する概念を持って芸術家に自覚を迫る。
そうして芸術家であると認識した者から、社会や生活は急速に距離を置き始める。
そこから芸術家は芸術家である自覚と自信を持ち始める。
世界は一変し、これまで当たり前に存在していたものが魔術的な意味を持っていることに気づく……。

ユルスナール作品にしてはやや固く、杓子定規で通俗的な印象だが、十分深みがあり、後年の作品(「黒の過程」)に通じる主題の萌芽があり、入門編としては最適な気がした。
ちょっと芥川っぽいところも個人的には好き。

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