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【小説】MOMOTARO ハードボイルド御伽噺1

こちらは八幡謙介が2014年に発表した小説です。

MOMOTARO ハードボイルド御伽噺1


 老婆は床を軋ませながら、玄関に入ってすぐ左にあるトイレへと足を運んでいた。近頃は頻尿で困っている。しかも自室からトイレが遠く、尿意を模様する度、わざわざ長い廊下を往復せねばならないのが煩わしい。
 ふと視線を真っ直ぐ先、玄関に向けると、見慣れた白髪が間接照明に輝いていた。長年連れ添った主人である。その背中からは微かに妖気のようなものが放出されていた。
(ふん、どうせ行き先は分かっているさ) 
 老婆は足を止め、どこか詰問するような口調で、老爺に問いかけた。
「おや、じいさん、こんな遅くにお出かけかい」
 老婆が一瞬口角を歪めると、老爺は振り向きざまに、
「ああ、山へな……」
 どこか迫力を秘めた不気味な声で妻に告げた。そして音もなく立ち上がると、玄関の先に広がる闇の中へ吸い込まれるように消えていった。
 老婆はひとつ舌打ちをすると、こうひとりごちた。
「なら、あたしは〝カワ〟へセンタクにでも行こうかね……」


「おう、同士。山は冷えるな畜生! ほれ、上からの差し入れだ」
 がっしりとした体躯の男は、両手をさすりながら笑顔でそう言うと、腰に付けた水筒を青年たちに差し出した。
「熱燗っすか! ありがとうございます。熊谷さんも一緒にどうですか?」
 青年が薄汚れたキャンプスタッグを熊谷の前に差し出す。彼は木の葉をさっと手で払い、「悪ぃな、蟹野。一杯だけもらったら帰るよ」とまた人なつこそうな笑顔を見せた。
「それにしても、最近は登山客も全然来ないっすね。商売あがったりっすよ」
 眼鏡の少しひ弱そうな青年が口を開いた。熊谷はそれを受けて、「お前は……」と一瞬目を泳がせた後、
「あぁ、鹿内か。まあ、そう言うなよ。上は上で色々考えてる。ゲリラつっても登山客人質にしたり追いはぎしたりするのが本業ってわけじゃねぇからな。俺たちがこの山を抑えているのは作戦の第一段階、いずれは山を下りて街を占拠し、ここを軍事拠点にして政府転覆を謀る。ただ、政府もバカじゃねーから、俺らの収入源や交渉材料となる人質を出すまいとして。国民に注意を促している。ここの山も入山禁止になってるらしいからな。ま、仕事が減った分訓練に精を出すんだな」
「ラジャー!」
 若者二人は、先輩からの忠告に対し組織共通の返礼をした。
 と、――
「火を消せ。誰か来る」
 熊谷は小声でそう告げると、コップに入った日本酒をたき火にそっとかけた。鹿内は眼鏡を押さえながらジャングルブーツで静かに火を踏みつけている。
「一人……すかね」
 蟹野の呟きに、熊谷はもう一度足音を確認し、静かに頷いた。そして、少しだけ表情を緩めると、
「行くぞ。久々のエモノだ。お前らの手柄ってことにしてやるから」
 そう言って二人に『身を低くして待機』のハンドサインを出すと、ゆっくりと近づいてくる足音を確認し、一度やりすごしてから一気に山道に躍り出て退路を断った。
 しかし、客の姿を一目見て熊谷は首を傾げた。腰の曲がった白髪の老人である。
「なんだ爺さん、こんな時間に山に用でもあるのか?」
 夜に入山してくる者の十中八九は若者だ。単なる度胸試し、野外SEXが趣味の好き者、たまに入団希望者もいる。しかし、目の前にいる老人はそのいずれにも当てはまらない。
 鹿内が眼鏡を押さえながら、
「おじーちゃん、深夜徘徊は危ないよー。『シヴァ』ってゲリラ組織がこの山に潜伏してるらしいからね」
 冗談っぽくそう言うと、同輩の蟹野もクスクスと笑った。すると老人は不敵に口角を歪め、
「知っておるわい。お主らのことじゃろう?」
 そう言うと同時にゆっくりと三人に向かって歩を進める。
 熊谷は目を見開いてぶるぶると震えている。
「お、お前……まさか……」
 老人は後ろに組んだ手を前に出した。すると、右手には光るものがひとつ。
「そう、お主たちも聞いたことがあるじゃろう……。儂が『シヴァ狩りの翁』今宵はお主らを狩らせてもらう」
「や、ヤバイ! お前ら、森へ逃げ――」
 熊谷が二人を見た瞬間、鹿内の眼鏡が吹っ飛んだ。眉間にはダガーが突き刺さっていた。
「クッソ!」
 熊谷は鹿内を見捨てると、森の中へ飛び込み、身を低くして走り去った。
 老爺は森に逃げた二人を目で追うと、「フンッ」と鼻を鳴らし、緊張を解いた。そしてゆったりと鹿内に近づくと、首を絞めて絶命させた。
「やれやれ、新入り一人か。これじゃ一週間の酒代にもなりゃしない……。あっちのでかい幹部を生け捕りにすればよかったかのう」
 そう言って肉塊となった鹿内を軽々と肩にかつぐと、老爺はまだぶつくさと文句を言いながら山を下りていった。


 紫のスーツを着た人相の悪い男は、一通り商談を終えると、皮のソファに深々ともたれ、お気に入りのブランデーを一口すすった。
「ところで、ばあさんよ。じいさんはどうした?」
「あぁ、山へシヴァ狩りに行ってるよ。ったく、レンジャー崩れはまともに働くってことができないのかね……」
「はっはっはぁ! じいさんが〝シヴァ狩り〟に行ってる間、ばあさんはこの川田金融で金の〝センタク〟ってか? こりゃいいや」
 老婆は哄笑する闇金の川田を睨みつけると、テーブルに置いた札束を指差し、
「うるさいね、ホント。いいからこの金を半年以内に〝センタク〟しといておくれよ。でないと危なっかしくて使えたもんじゃない」
 川田は両手の平を老婆に向けて『降参』のポーズをすると、
「わあったよ。半年ありゃ十分だ。で、用はこれだけかい。電話では何かいいかけてたが……」
 すると老婆は急に暗い顔になり、
「実は……もう一つ頼みがあるのさ。こんなことはね、あんたにしか相談できないんだよ」
「何だよ、しんみりしやがって。俺にできることなら何でも相談してくれよ」
 川田は少し慌ててソファから身を乗り出し、老婆を促した。彼女は大口の顧客だ。逃さないためには人生相談のひとつやふたつ安いものだ。それに、もしかしたら遺産分配でタナボタって話もなくはない。
 老婆は一度伺うように川田を見やると、
「……娘のことでね」
「あ~あ、あのべっぴんの。どうした、誰かに乱暴でもされたのかい? ケツ持ちの組に言ってそいつさらって来てやろうか?」
 威勢のいい台詞を吐く川田をじっと見つめると、老婆はある名前を口にした。
「赤鬼――」
 すると、川田の顔が見る見る青ざめていく。
「あ、赤鬼って、あの赤鬼のことか?」
 警視庁組織犯罪対策部――通称〝ソタイ〟の赤鬼こと鬼島警部。ガサ入れや犯人逮捕など、捜査が大詰めになると興奮して顔が真っ赤に紅潮することからそう呼ばれている。犯罪者は赤鬼の顔を見ただけで観念して大人しくお縄につき、その後数日は夢でうなされるという。
 老婆はゆっくりと煙草に火をつけ、苦そうに煙を吐き出すと、
「ま、実際はその息子――青鬼の方なんだがね。うちの娘が赤鬼の息子の鬼島青爾(せいじ)に監禁されているらしいんだよ。もちろん、あんた以外にも闇の人間に相談してみたさ。けどね、相手があの鬼島じゃ誰も手出しができない」
「そ、そりゃそうだぜ。赤鬼青鬼コンビっちゃ、この世界じゃ有名だ。まだヒラの青鬼が捜査し、警部の赤鬼が令状を取る。目を付けたホシは絶対に逃さないらしいぜ……。ばあさんよ、こいつは俺みたいな下っ端の人間の出る幕じゃねえぜ」
 川田は早口でそう告げると、ブランデーを一気に流し込んだ。
「いや、あんたにってわけじゃあないよ。例の男を紹介してくれればいい。話がついたらほれ、その金をあんた自身が運用してもいいんだよ」
「れ、例の男……。さあ、誰のことなんだ……」
 ねっとりとした視線で札束を見つめながらわざとらしくはぐらかそうとする川田を、老婆は叱りつけた。
「しらばっくれるんじゃあないよ。――桃太郎さ」
 そう言って不敵な笑みを浮かべる老婆を見て川田は観念したのか、またソファに深々ともたれると、
「わーった、わーったよ。できれば関わりたくはねーんだが、ばーさんの頼みとあっちゃ仕方ねえ。ただし、俺も仕事でほんのちょっと一緒になっただけだからな、今から電話してみるが受けてくれるかどうかは知らねーぜ」
 そう言って携帯電話を胸ポケットから取りだした。



「本当に来るのかね、ばあさんや」
 老爺は簡素な居間でお茶をすすりながら老婆に問うた。シヴァ狩りから何食わぬ顔で賞金を手に帰ってきたが、どうやらその間に老婆も出かけていたらしい。しかし、余計なことを詮索しないのがこの夫婦の暗黙のルールであった。
 帰宅後、老婆からは娘を取り戻すためにある男を雇ったと聞かされたが、半信半疑であった。まさかあの赤鬼、青鬼コンビに真っ向から立ち向かうバカがいるとは思えない。仮に、そんなやつがいたとしたら……。それに、報酬はどうする? そんな凄腕のヤツに払う金などはない。
「きっと来ますよ。確か、桃に乗って来るとかいう話ですがねぇ、さて、何かの暗号なのか……」
 すると、遠くの方からけたたましい排気音が聞こえてきた。
 ――ドゥォォン……ブラァン……ゴッゴッゴッゴッ。
 爆音はどんどんと近づいてき、やがて家の前で消えた。どうやら〝桃〟とは大型バイクのことらしい。
「ふんっ、何じゃこんな夜中に騒音を出しおって」
 老爺は音もなく立ち上がって玄関に向かった。その背中にはうっすらと闘気が湧き出ていた。
(ふんっ、レンジャーの血が騒ぐのかね。殺し屋同士暴れて家の中を壊さないどくれよ)
 老婆は心中悪態をつきながらお茶の準備を始めた。
 チャイムの音がし、老爺は玄関の外の気を伺った。
(ほう、さすがじゃな。闘気は押さえておるが、警戒は怠っておらんようじゃわい。ならちょっと遊んでやろうかの)
 老爺は袖の下からダガーを取り出した。
「開いとるよ」
 気さくな口調で外に告げたが、入ってくる気配がない。
「どうした、桃太郎さんや。まさかドアの開け方がわからないのかえ」
「あんたの右手に持ってるもんが気になってな」
 外から野太い声が響いた。
「ほっほっほっ、こいつは一本取られたわい」
 老爺は苦々しい顔でダガーをしまうと、ゆっくりと玄関を開けた。
 身長はおよそ一九〇センチ、ブラックジーンズに、少し丈の長いレザージャケットを着ている。恐らく防弾繊維のものだろう。
 男はサングラスを外すと、
「桃太郎だ。依頼人からこちらに伺えと言われて来た」
 と言って、老爺を値踏みするかのようにしげしげと見つめた。まだ警戒心は解いていないようだ。
「ああ、とりあえず上がっておくれ。おうい、ばあさん、お客様だよ」
 老爺は大声で奥に怒鳴ると、桃太郎に背を向け客間に入っていった。

(試し読み終了)

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