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【小説】 或る冒険家の日記

こちらは八幡謙介が2019年に発表した小説です。


或る冒険家の日記


我が友、ハンス・ブルックナーとその妻アルマに

或る初秋の午後、私の元に、長年の友人であり良き師でもあるハンス・ブルックナーから分厚い封筒が届いた。それを手にした瞬間、私はもうずいぶん以前から抱いていた予感に全身を貫かれた。
震える手で一旦封筒をテーブルに置き、それを忘れようとしたくもない家事を始めてみたのだが、結局何をやっても手に着かず、私は仕方なくその封筒を開くことにした。
中からは二通の手紙と、ひとつの手帳が出てきた。
一通はハンスの愛妻アルマ・ブルックナーから、もうひとつは――やや色あせた――ハンスからの手紙である。私は当然のようにアルマの手紙から封を開けた。それが正しい順序だということを既に私は知っていた。アルマからの手紙には、ハンスが亡くなり、既に埋葬を済ませたこと、黙っていたことへの謝罪とそれがハンスの強い意志であること、同封されている内容については一切確認していないが、そこに何があるにせよ故人と私の意志に委ねること、最後に夫への友情についての感謝が述べられていた。
ソファに身を沈めて鼻から小さく息を吐くと、さほど動揺していない自分に気がついた。そしてすぐにハンスからの手紙を開封した。その内容について多くは伏せておくが、以下、重要な部分だけ抜粋してここに公開することとする(アルマには了承済み)。

(前略)長々と無駄話をしてしまったね、ケン。どうも死は人を饒舌にする作用があるらしい。
本題に入ろう。
同封した手帳を見て欲しい。これは私がずいぶん前に入手したものだ。記憶が確かならミュンヘンの骨董市でタダ同然で手に入れたはずだが、もしかしたら誰かから譲り受けたものだったかもしれない。それはさして重要ではない。より重要なのはその内容である。
この手帳には、ある男の旅行記が書かれてある。どこだと思う? アメリカ、アジア、それとも中東……。いや、また私のもったいぶる悪い癖が出てしまった。この男は未知の大陸を旅行していたらしい。そう、我々の知り得ない未知の世界――それが地球なのか、それとも宇宙どこかなのかすら私には判別できない――を!
一読して、私はすぐにこの日記の虜になった。そして、読めば読むほど恐ろしくなってきた。なぜなら、この日記には嘘がないからである。
ケン、私はかつて京都のイザカヤで君にこう説いたのを覚えているかい? 科学は文章と共に発展してきたと。文章はそれ自体が人間をあぶり出す実験装置だ。彼の思考を、努力を、誠実さを、嘘を、どんなに美辞麗句を並べ立てても、文章は最後にそれらを暴き出す。だから科学は必ず文章で説明される。私が育ってきた文化では当たり前のことだ。だからこそ私は、そうした機能をあえて放棄しているかのような日本語と日本文化に興味を抱いたのだが、あぁ、また脱線しそうだ。
とにかく、どんなに荒唐無稽に思えても、この日記の文章に嘘はない。そう私は確信した。そこから、私は怖くなりこの日記を金庫の奥深くに追いやってしまった。(中略)あぁケン! この恐ろしい日記を君に送り付ける私のずるさを、私の死に免じてどうか許して欲しい! 君にこれを公表して欲しいとは言わない。ただ私は、私の死と共にこの日記が妻を苦しめはしないかと、それだけが気がかりなのだ! これは私の最後のお願いだ。どうかこの日記を受け取ってほしい。そして、捨てるのも、研究するのも、あるいは公表するのも完全に君の自由だ。それさえ許してくれるのなら、私は死ぬまでにもう一度君に会いたいなどと贅沢は言わない。(中略)最後に、私がこれまでさんざん罵倒し、否定してきた神に君の健康を祈ろう。神はそれを許してくださるほど寛大であると、無知な私は人生の最後に気づかされた。

死してなお友情を
ハンス

その後の経緯は省略する。
とにかく、私はここにハンスの意志とアルマの同意の下、この奇妙な日記を公開することとする。それが彼らにとっても、またこの日記の著者にとっても最善の選択だと私は信じる。

令和元年初秋 八幡謙介


筆者注


日記は英語で書かれてあるものを筆者が日本語に翻訳した。

原本には日付が書かれてあるが、所々抜け落ちていることや、明らかに日付が変わっているにもかかわらず同じ日の日記として書かれていること、また言及されている大陸や街が不明なことを鑑みて、全て〈某月某日〉とした。

文中のタイトルは筆者が後で付けたものである。

原文中、掲載する必要がないと思われる文章は割愛した。

不明な箇所は【筆者注:――】とし、補完した。

インスタグリア共和国


〈某月某日〉
ついに来た! 私はついにこの未知の大陸に到達したのだ! 人類初だろうか? いや、そう考えるのはまだ早い。とにかく今は少し休んで、今後この大陸でどう生き抜くかを考えよう。

私は現在、この未知の大陸の入り口ともいえる国家、インスタグリア共和国にいる。入国審査は緊張したが、噂に違わずないに等しかった。
夕食はホテルで適当に摂ったのだが、あまりにもカラフルな食べ物が出てきて困惑した。幸い、まだトイレには駆け込いではいない。
疲れが出たので今日はこれで終了しよう。

〈某月某日〉
インスタグリア共和国初日。朝の支度を済ませると、朝食も摂らずすぐに外出した。大げさではなく、一歩歩くごとに驚きが私を襲った。このインスタグリア共和国は見栄えを重視するとは聞いていたが、これほどとは思わなかった。建物はどれもデザイン性に富み、カラフルで、道路や信号さえも世界にひとつだけしかないと思えるほどの個性を持っている。道ばたに生えている草花でさえ一本一本が生き生きとし、また、すれ違う人々は皆雑誌から飛び出てきたかのようにお洒落でキラキラ輝いて見える。私は疲れているのだろうか? いや、そんなことはない。
だんだん私の服装が場違いに思えてきた。今日中にどこかの店でこの国にふさわしい身なりを整えよう。

適当なカフェで朝食を摂ることにした。そのカフェも言うまでもなくお洒落で、注文したプレートには見たこともないようなカラフルなサンドイッチが乗っていた。昨日の夕飯とどこか色彩が似ている気がする。この国の文化なのだろうか? 味はそれほどでもなかったことを明記しておく。
食後に可愛らしい猫が描かれたラテを飲んでいると、ウエイトレスが気さくに話しかけてきた。
「あなた、最近来たの?」
「はい、昨日着いたばかりで。」
「そう、インスタグリアは初めてなのね。どう、居心地は?」
「何もかもがカラフルでお洒落ですね! 驚きました。」
「そうよ、バエールと言ってね、何でも見栄えをよくするのがこの国の国民性なの。」
「バエール……。確かに、この国では道端に生える草花ですら美しい。歩く人も皆とてもお洒落だ。」
「そうよ! みんなバエールをしに、無理してでもここに来るの。あなたもじきに分かるわ。」
「なるほど。……しかし、四六時中それでは疲れませんか?」
私がそう言った途端、女性は急によそよそしくなって、皿を手にキッチンに去ってしまった。
私は何か悪いことを言ってしまったのだろうか? その場所に行ったらそこの習慣に従えという東洋の教えがある。私はどうやらそれに外れてしまったようだ。反省しよう。
居心地が悪くなったので、支払いを済ませまた外に出た。
――バエール……
その言葉をぶつぶつとつぶやきながら、改めて街や人を眺めてみた。すると、どことなく着飾った人たちの目の奥に何か暗さが隠れていることに気がついた。路地にふと入ってみると、お洒落で先進的なデザインの建物も、裏側は外壁が崩れていたり、手入れが行き届いていないことが分かった。この国の様子が少しずつ見えてきたようだ。

〈某月某日〉
初日から気づいていたが、この国に入国してから、ずっとある匂いがしている。嫌な匂いではないが、どこか甘酸っぱいような、変な言い方をするとずるい匂いがする。そこにあるべきでないものが存在しているときに放たれる匂いとでも言おうか……。バエールしている人や物、その中でも、ちょっと違和感を感じる時に匂ってくることが多い。今、ここで、このバエールをする必要があるのか? と感じたとき、必ずあの匂いが漂ってくる。気のせいかもしれないが。

〈某月某日〉
やっとこの国の風習がわかってきた。このインスタグリア共和国は、先日のバエール以外にもとてもユニークな文化を持っている。それは人と人のつながりについてである。この国では、私が道を歩いていると誰彼かまわずに話しかけてき、メッセージや連絡先を渡してくるのである。中には不愉快なものや、怪しげな誘いもあったが、いずれにせよとても積極的な国民性を持っているようだ。また、同じ習性からだろうか、国民同士がすれ違いざまに見知らぬ相手に親指を立てるという習慣も発見した。これはイーネと言うらしい。以前旅をしたジャマイカでは、男性が女性に声をかける文化があったが、それと近しいものだろうか?
このような距離の近さが由来し、滞在数日にして私にも友人が出来た。それも、故郷ではまずありえないほどのスピードと気軽さを持って。そしてこの国では、友人となると、友情の証として彼/彼女の行動をじっと観察し、ことあるごとにイーネをするという風習があることも分かってきた。現在私をフォローしている人は少ないがいるにはいる。正直面倒な気がしないでもないが、旅人たるもの異文化へのリスペクトは不可欠だ。余談だが、友人になっても必ずしもその人をフォローし続ける必要はないらしい。確かに、友人全員を四六時中フォローし続けるのは不可能だろう。

〈某月某日〉
まず昨日見た光景を書いておこう。ホテルの従業員に教えてもらった有名な観光スポットに行くと、数え切れないほどの大群衆がいた。それほどまでに有名なところなのかと驚いたが、どうやらその群衆は一人の人間に先導されているらしいということが分かってきた。つまり、だだっ広い公園を埋め尽くす群衆は、ある一人の人間の友達であり、彼あるいは彼女をフォローしているのである。群衆の一人に尋ねてみると、こうした大名行列はこの国では珍しくもないという。
「インフル=エンサー様について行けば間違いないですけェ。」
バエールがまだ身についていない――私にもそれが分かるようになってきた――むくれた中年男性が少しずるそうな顔でそう言った。
もう少し話してみると、どうやらインフル=エンサーは一般人ながらこの国の指導的な立場を担っているらしい。
膨大な数の一般人が彼/彼女をフォローし、その言動から情報を得て暮らしているのだ。もしかしたらこれは、私の故郷における民主主義をもっと先に進めたシステムなのかもしれない。いや、結論は早急だろう。話によると、私が今日見た行列などものの数に入らないほどのインフル=エンサーがこの国にも、そして他国にもごろごろいるようだ。やはりこの大陸は面白い!

〈某月某日〉
今日は文化人類学者を気取って、このインスタグリア共和国の最大の文化であるバエールの調査を行ってみる。なにが見えてくるのか楽しみだ。

帰宅。面白いインタビューが出来たと思う。しかし、少々がっかりもした。
私は男女無作為に選び、バエールについての意識調査を行った。すると多くの者が個人情報を公開しないことを条件に、バエールの実態を語ってくれた。以下、それを箇条書きする、

 ・バエールは何のスキルも持っていない自分を変身させてくれる
 ・バエールを毎日探すことで生活に張りが出てきた
 ・バエールはビジネスとの相性がいい。即効性や拡散能力には目を見張るものがある
 ・バエールは面白いが結果が出てこそ。
 ・バエールのために借金がかさんで生活が苦しい
 ・見栄の張り合いで人間関係が前よりギスギスして疲れる
 ・公共設備まで見栄え重視で危険を感じる
 ・バエールを気にせず普通の生活がしたい

どうやらこの国の皆がバエールを心から楽しんでいるようではなさそうだ。私自身も、旅人の気楽さから今は楽しめているが、これが生活となるとやはり窮屈に感じるだろう。さすがにインフル=エンサーにインタビューはできなかったが、彼らも同じ気持ちなのだろうか?


〈某月某日〉(訳者注:数日から数週間空いているようだ)
久々の日記となる。これから私に起こった出来事をできるだけ忠実に書く。
私は先日――それがいつなのかも私は覚えていないのだが――酒に酔っていささか暴言を吐いてしまったらしい。とはいえ、誰しも一度や二度はあることだ。しかしそれから数日後、私のホテルに数人の暴漢が押し寄せ、私の名を叫び、私にありとあらゆる罵詈雑言を吐きながら謝罪を要求してきたのである。私は最初何のことだか分からず、とにかく怖くなり鍵をかけたままじっと身を潜めていた(しかしなぜか暴言は私の耳に届いてくる)。すると部屋の中にいた複数の友人が、どうやら先日酔っ払って言ったことに世間が反応しているらしいと教えてくれた。
まさか!
記憶をたぐってみると確かに私はそう言っていた。しかし、あれは誰か特定の人に対して言ったわけでもないし、その時は何の反応もなかったはずだ。なぜ今になって?
その時、いきなり私の洋服の裾が発火したのである!
神に誓って嘘ではないと断言する。実際その場にいた友人に訊いてもらってもいい。
部屋にはなんの火だねもなく、私の体はどちらかというと汗で湿っていたはずなのに、炎は靴やズボンや髪にも同時に起こった。
パニックになった私に友人は叫んだ、
「スクーショだ! スクーショをしろ!」
そのときの私の行動はもはや覚えていない。後で改めて教えてもらったところ、これはこの大陸で神に炎を鎮火してもらうための祈りの儀式らしい。詳細はこうだ。まず何らかの紙に謝罪と反省の意を込めた文章をしたためる。そしてその紙を天に捧げるのである。たったこれだけのことだが、鎮火作用はそれなりにあると言う。ただし、スクーショのタイミングや文言を間違うと逆に神の怒りを買って、炎がさらに大きく、ときに何日も、何週間も燃えさかることがあるらしい。
幸い、私を包んだ炎は数時間で鎮まったようだ。それでも私は心身共に多大なダメージを受け、今病院のベッドにいる。満身創痍の私にある友人がこう言った。
「この程度ではアルゴ=リーズ様の怒りを買うことはないから安心しろ。」
 その言葉は私を逆に不安にさせた。アルゴ=リーズとは?

今後については一度じっくりと考えよう。幸い、時間はたっぷりとあるのだから。

(試し読み終了)

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