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#020_禅僧ネルケがおっしゃるように、ぼくらはハムスターのランニングホイールからただ降りることが出来る存在。

「われおもうゆえにわれあり」という言葉に、デカルトがどう考えていたかとは別に、ぼくらは「あってよかった」とうれしく感じます。

なくなったらいやだな。
と思うのです。死にたくない。

ヨガではここを掘ります。
死んだらなにを失う?
それが失われることがなぜいやなの?
死ぬという現象に、身体が滅する以外の、なにか圧倒的に巨大な意味を与えていて、それがなにかということに向き合えずにいるのではないか?

禅僧ネルケがおっしゃるように、ぼくらはハムスターのランニングホイールの無意味さを知り、そこからただ降りることが出来る存在。


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