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#196_「自分」を放棄することで成立する概念としての輪廻転生を想起することではじめて解に触れることのできる禅問答です。

自我があるのかないのかよりも、自我があるとすればそのことによってなにがもたらされているのか? ないといればそのことによってなにが失われるのか? という議論は、本質的であり科学的です。

ヨガあるいはインド哲学では、自我があるとすることによって失われずに残るものーそれをすなわち自我と呼んでも差し支えないと思いますがーを、執着の対象とし、これを放棄することで本来苦悩する必要のない苦悩から解放されると説きます。

輪廻転生があるのか? ないのか? という問答はすなわち、「自分」が輪廻転生するか否かという問いである限りどこにも辿り着けず、執着の対象である幻想に過ぎない「自分」を放棄することで成立する概念としての輪廻転生を想起することではじめて解に触れることのできる禅問答です。

瞑想やアーサナでは、自我であることを放棄し、概念であることを放棄した原初の身体を、ほんの一瞬垣間見るために、長い時間をかけて心身のすべての動きが静止するのを待つことを行います。


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