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大学生活と「機会費用」

何かを我慢して、何かを得る。同時に満たせるのであればそうしたいけど、実際はそうはいかない。皆さんも、人生の中で一度はそんな経験をしたことはあるのではないだろうか。

二年ほど前、大学の授業である教授がこんなことを話していたのを思い出した。

「皆さんは、大学に授業料を払って4年間勉強することで、その間労働して稼いでいたであろう収入を、ある意味で失っている。例えば仮に大学に行かないで高卒で就職したとしよう。年収は150万。150万×4年間=600万。つまり、キミたちは本来なら稼いでいたであろう600万円分の価値を大学の勉強で失っていることになる。キミたちは600万円分の価値をここで見出していますでしょうか。」

その先生は講堂の後ろの方で寝ている学生たちに対して言っているように聞こえた。だが当然彼らの耳には届いていなかった。

経済学の用語で「機会費用」という概念がある。Wikipediaでは、『時間の使用・消費の有益性・効率性にまつわる経済学上の概念であり、複数ある選択肢のなかである選択肢を選んだ場合に、その選択肢を選ばなかった場合に得られたであろう便益の最大値ことを指す。』と書いてある。要するに、何かを得ると、もう一つのチャンスを失うわけで、その失ったものの最大値を「機会費用」という。

正直、私には600万円の価値が一体どれほどなのかはわからない。でも相当な額なのはなんとなく分かる。だが「お金」という単なる物差しでは大学で過ごす時間や学び、ゼミ活動、教授や友人なんて測れない。


大学での学びが何らかの形で将来的に結びつくかもしれない。もしかしたら、大学の仲良かった同級生同士で結婚することもあるかもしれないし、ゼミ活動での経験が誰かに評価されるかもしれない。

4年という限られた時間で過ごした”ちょっとした”経験がこの不確実な将来に何らかの形で芽に水を与え、花開く。そんな日が来るかもしれない。そうした経験は、高卒で働いて得られたであろうお金とは比較できない気がする。



授業がつまらないから寝る。怠いからサボる。そんな短絡的な思考でいいのか。バイト優先の生活。路上で騒いで回し飲み。飲み歩いて結局オールしちゃったと自慢げに友達に話す。本当にそんなんでいいのだろうか。

もちろん、それも学生にしかできない思い出作りの一つである。私も二十歳の頃は変な価値観に翻弄され、青春を謳歌した気になっていた時期がある。

ただ、大学進学がデフォルトになりつつある今、大学進学する以上は少なからず「学費を払いおまけに機会費用までも失っているんだ」ということを心に留めておかなければいけない。そして、少なくともこの大学生活の間はいろんなことにおいて「学びの主人公」でなければいけないと私は思っている。

学生生活のなかで得られる「学び」は存分に学び学問に浸るべし。社会人になっても勉強できるじゃん、と思うかもしれないが、 人間は基本優先順位三位以内に入っていないものは基本やらない。仕事に追われだしたら、勉強なんかは後回しになる。そう考えると、勉強は大学生のうちにしかできないことでもある。

図書館に行き興味のある本を一冊、手に取ってみてはどうだろうか。オンライン越しに顔が見えないからと言ってボーっとしてないで、ペンをもって書き留めてはどうだろうか。

もちろん学問だけが大学生の「学び」ではない。人間関係やアルバイト、大学のゼミ活動もそのうちの一つ。いろんな人に出会い多様な価値観や考え方に触れて何かに「気付く」ことが大切である。ボーっと、言われただけの課題をこなすのは、ロボットとなんや変わりやしない。いろんなことにアンテナ張り「気付き」なさい。

大学はどこへ行ったとしても、その分野の最先端を走るトップアスリートたちの下で学ぶことができる素晴らしい場所。特にゼミ活動は、そんなアスリートの下でその人なりの「哲学」を学ぶ貴重な時間である。そんな人たちに日ごろの疑問を投げかけ、会話を通して何かを感じ取ってほしい。



私に残された時間はあと1年半くらい。いつまでも「学びの主人公」であり続けたいと願う。私はロンドン大学院応用言語学科へ進学し英語を極め、第二言語習得論を学ぶと決めた。必ず成し遂げる。でも「異国の地で、学問を学ぶ」ことがどれだけのことなのか私には想像がつかない。正直、ちょっと怖い。今の英語力では到底ついていけないのは、自明である。

いつか挑戦してみたいと高校生の頃から抱いていた海外留学。これを決意できたのも大学の先生方あっての話。そんなもっと学びたいという私の背中を押してくれた教授らとの出会いはここ山梨にきて得られた貴重な「機会」である。


こうして山梨にきたのも何かの縁であると私は考えている。高校三年生の時通っていた代ゼミの塾長がたまたま都留文科大学の英文学科卒だったというだけだ。当時から英語に興味を持っていた私は、その塾長と同じ大学に行けば英語ができるようになるという何とも短絡的で勝手な思い込みで、「山梨」が自分の中の行きたい大学の選択肢になっていた。

しかしその当時「国公立大学にいきたい」と心では思い描いていたが、全く実力が伴っていなかった。当時は無駄にプライドだけは高かった記憶がある。

でも今こうして地元を離れ山梨にいるのも、あの時代ゼミに通っていたことが少なからず影響していると思う。将来何が影響するのか分からないものだ。


私は大学受験失敗を経験し絶望し、仕方なく入った専門学校を経てこの大学に編入したわけだが、正直ベストな選択だったのかどうかはまだわからない。ほかに受かっていた大学に行ったらどうなっていたのだろうかと未だに考えるときがある。


ベストな選択肢だったと胸張って言える、そんな学生生活を送りたい。そう願うばかりだ。




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