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映画・音楽・漫才に共通するもの

コンテンツに通ずる起承転結フレーム

コンテンツの各領域において、映画、ポップス、漫才などの異なるカテゴリーに共通する要素として、古来からの物語作りの原則である「起承転結」の存在が挙げられる。それぞれ異なる表現形式を持つこれらのカテゴリーであっても、物語構造としての起承転結はユーザーや視聴者、聞き手に心地よい感動やサプライズを提供する基本原則となっていると思われる。

映画の世界において、起承転結は一貫した物語展開の基本構造として非常に重要な役割を果たしている。「起」は物語の設定やキャラクターの紹介、「承」はその背景や関係性の深堀、「転」は予想外の事態やクライマックス、「結」は物語の結末や解決といった形で表現される。観客はこの流れに沿って感情移入し、映画の世界に引き込まれる。

次に、音楽の世界、特にポップスにおいても同様のパターンが見られる。「起」は曲のイントロダクション、「承」は歌詞とメロディーによるストーリーの進行、「転」はブリッジやギターソロなどの変化、「結」は曲の結末やアウトロとして具現化される。これにより、リスナーは曲の旅路を経験し、共感や感動を得る。

さらに、漫才においても起承転結は重要な役割を果たします。「起」はネタの導入、「承」はストーリーの発展、「転」は予想外の変化をつけ、「結」は笑いの絶頂点やオチに相当します。観客はこの進行に沿って笑いを楽しみ、ユーモラスな緊張感を味わう。

以上のように、映画、ポップス、漫才といった異なるコンテンツにも関わらず、起承転結という共通の物語構造が存在する。これは人間が物語を体験し、理解し、享受する普遍的なパターンを反映していると言える。起承転結は物語が提供するサスペンスや予期せぬ展開、そして解決という経験を構築し、視聴者や聞き手をエンゲージさせるための柱になっている。

有名コンテンツを並列に並べてみる

映画、POPS、漫才の代表作であるシンゴジラ、サザンオールスターズのTSUNAMI、ミルクボーイのコーンフレークのネタをそれぞれ起承転結フレームにまとめてみる。このように比較すると、共通した起承転結の波を感じることができる一方、それぞれのフレームの違いによる差にも目がいく。

シンゴジラ・TSUNAMI・コーンフレーク比較

コンテンツのフォーマットによる時間の差

映画、音楽、漫才という異なる表現形式は、それぞれ「時間」という観点で独特の特性を持ち、それによりコンテンツの体験の仕方も異なる。

映画は、通常1時間半から2時間半という、比較的長い時間枠を持っている。これにより、豊かなビジュアルエフェクトや複雑なストーリーライン、複数のキャラクターの深い人間ドラマを展開する余裕がある。特に「承」にかける時間もゆっくりあり、小さい「承」「転」を繰り返し、全体の枠組みの大きな「承」「転」に向かっていく。

一方、音楽、特にポップスの楽曲は、一般的に3分から5分程度という短い時間枠で表現する。その限られた時間内で、旋律やリズム、歌詞を通じて感情やメッセージを伝えることが求められる。音楽では基本的には「承」を楽しみ、「転」は求められないのが、他のコンテンツと違うところなのかもしれない。

最後に、漫才は通常数分から10分程度という、短い時間内で笑いを提供される。そのため、短時間でのインパクトと緊張感が求められ、効果的なユーモラスな要素や予想外のオチが重要となる。観客は短い時間内にハイテンポのユーモラスな状況を楽しみ、その場の雰囲気や共有体験を最大限に享受する。漫才は映画とかなり近く、小さい「承」「転」を繰り返し、全体の枠組みの大きな「承」「転」に向かっていく。漫才の場合、ある意味「転」が話に違和感を作り出す「ボケ」に対応する。映画と違って特に時間が短いものの、「笑い」という一つの感情にフォーカスしているために、特に「承」「転」が大きい。

以上のように、それぞれのコンテンツのメディアによる違いや、揺さぶる感情の違いにより共通する起承転結フレームにも差が生まれるのは面白い。

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