日本に帰ることにしました
今からちょうど1年前。2022年1月23日、僕は日本を飛び出し、フィリピンに向かいました。
憧れの海外就職を叶えた瞬間です。
自分の殻を破りたくて、なんとか見つけたチャンスを掴み取りました。
高校生の頃に英語でつまずいてまさかのクラス最下位で卒業。当時は、海外なんて眼中にすらありませんでした。そんな僕にとって、英語を使って外国人と働く日が来るなんて思ってもいませんでした。
コロナ禍で、最初は日本からリモートで働くことになりましたが、1年半働いた後、ようやくフィリピンに渡航することができました。
やっとのことで掴み取った夢も、次第に仕事と生活環境の両面で悩むことになります。渡航から半年が経過し、そんな状況に我慢できなくなり、半ば勢いのまま退職。フィリピンを離れました。
そして、日本に帰らずにその足で向かったのは東欧の国・ジョージア。
場所を問わず、パソコン一つで働く「デジタルノマド」という暮らし方に憧れ、「ノマドニア」というプログラムに参加しました。
会社員ではないフリーランスとして新たなキャリアを歩みたく、この地で勉強に励むことになります。
***
気づいたら日本を飛び出して1年が経過していました。激動の1年間でした。
念願の海外就職とそこからの転落した日々。藁にすがる思いで目指したフリーランスとそこでもうまくいかない日々。
気持ちの上下が激しく、メンタルの弱い僕は、自分が何をしたくて、何を求めているのか全然わからなくなっていました。
フィリピンの生活は結果的に何が苦しかったのか、今となってはもうあまり覚えていません。当時は心に穴が開くようなつらい時を過ごしていたのに、今ではあまりその記憶はありません。
ただ、あの頃に経験したいろんなことは僕の記憶に確かに残っています。懐かしいと思うこともあるし、ふとその思い出が美化されて映る瞬間もあります。
そんな時を経てたどり着いたジョージアは、まるでユートピアでした。毎日が楽しく、異国での高揚感を味方に友達と遊んでばかりいました。
しかし、計画もせずに飛び込んだ世界は安泰でもなんでもなく、ノマドニアのプログラムが終わるとすぐに我に帰ることになります。そして、徐々にそこがひたすらに挑戦を求められる舞台だと知ることになります。
デザインを学んだものの、仕事は見つからないし、貯金をすり減らす毎日でした。そもそもヤル気の出し方自体がわかりませんでした。
次第にそんな生活から目を逸らすようにニートのような生活を送っていました。
仲良い友達がいたし、宿を転々としていたから引きこもりのような生活にはならなかったものの、何もやりたくない・何も考えたくない、といったモヤモヤした毎日を過ごしていました。
そんな中で憧れの欧米への就職を目指すも、計画してこなかったから実績もなく、やりたい仕事を見つけられても、そのための下地がない状態です。
そんな人間にワーキングビザを発行してくれる企業などありませんでした。
***
悶え苦しんだ1年間でした。
そろそろ落ち着きたい。そんな気持ちが強くなってきました。
弱音を吐いても安定しないなら、今確実にできる道に進むのが先だと思いました。
だから、腹を決めました。
3月に日本に帰ります。そのあとは日本で就職活動をする予定です。
ずっと目標である海外就職はいったん延期とします。
ただ、これからはちゃんと計画を立てて、もう一度自分の本心でやりたいことにチャレンジしていこうと思います。
僕の夢はアメリカ・ニューヨークで働くこと。
それがいつになるか今はわかりませんが、計画を立てて、そこに向けた道筋を歩んでいきたいと思います。
僕は不安になりやすい性格だから、当たって砕けろ精神だと本来の力を発揮できないことがわかりました。安定した自分なりのレールをつくり、その中で夢に向かって突き進んでいくことにします。
国破れて山河あり。国は破れても、そこにはまだ綺麗で純粋な山河はあります。
もうずっと積み上げたインフラエンジニアとしての仕事はしません。でも、このゼロベースの状態から、また新たにスキルを身につけて、上へ上へと這い上がっていきたいと思います。
渡航を前に、まずは2月にジョージアを出てトルコに渡り、トルコで数週間過ごしたあと、イスタンブールから東京へ帰ります。
その後のことはまた決まり次第どこかでお話しします。
海外生活は残り2ヶ月ほどではありますが、これからのご愛顧もどうぞよろしくお願いいたします。
僕のことは以下の記事で紹介しています。
Twitterのアカウントはこちらです。
バナー写真の撮影場所はこちらです。
それでは、また明日お会いしましょう!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?