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衛生感のリミッターが外れていく

海外に来ると、日本とは大きく違う環境で生活していかなければなりません。

それは自分がそれまで築いてきた習慣やルールを変えることでもあるし、海外という環境に適応するということでもあります。

とりわけ世界でも有数の清潔感あふれる日本で育った日本人は、日本よりも低い衛生感に抵抗がある人が多数ではないかと思います。

旅行で数日間海外で生活しただけで、その日本と異なる状況から海外そのものに嫌悪感を示してしまう人もいます。

だから日本人にとって海外で生活することは、他国の人が別の国で生活することよりも心理的なハードルが高くなっていると思います。

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僕もかつては海外の衛生感に耐えられない一人でした。

小さい頃から潔癖症で、特に水回りがとても苦手でした。

プールで泳ぐのも、温泉に浸かるのも好きだけれど、プールサイドや温泉の床がとにかく苦手で、それが理由で十分に楽しめませんでした。

小学生の頃、スイミングスクールに通っていて、水泳は一番得意なスポーツでした。しかし、中学生になってプールで時間を過ごすことが嫌だったため水泳をやめてしまいました。

大学生になって海外に行き始めてから、お金を節約するためにゲストハウスなどの安宿に宿泊することが増えました。

潔癖症の僕にとって、海外の安宿の水回りは使うどころか入ることすら躊躇われる空間でした。でも使わないことには生活できないため、そこは自分の中で我慢しながら使うしかありませんでした。

ニューヨークで宿泊した中華系の安宿は、あまりの汚さに3泊のうち最初の1回しかシャワーを使わなかったくらいです。

僕にとって水回りの汚さという部分で、今まで多くの悩みを抱えてきました。

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フィリピンの生活を過ごし、ジョージアに来て、その潔癖症はかなり緩和できたと思っています。

フィリピンで一人暮らしを始めた頃は、築10年未満の物件ながら汚れの目立つ水回りをずっと妥協しながら使っていました。

最初はこの生活を続けなければならないことに絶望感を覚えていました。しかし、次第に妥協することに慣れてしまい、それが日常になってしまいました。

ジョージアに来て以降、断水でシャワーを浴びれなかったことがあったり、たまにしか洋服を洗濯できない状況が続いたりして、自分は何を守ってそんな窮屈に感じているのか疑問に思うようになりました。

別に気にしなければいいじゃん。ふとそんな気持ちを抱き、肩の荷が下りたような気分になりました。

シャワー室の床がヌメヌメしていたって気にしなければいい。洗濯できないから同じバスタオルを何日も使ったっていい。極論毎日シャワーを浴びなくたっていい。

ルールはどこにも存在しません。人から不快に思わなければそれでいいのです。

僕はいつのまにか衛生感のリミッターが外れていて、環境に適応できていました。

今では多少汚い水回りでも生活できているし、毎日シャワーを浴びれなくても仕方ないと思えています。

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徐々に冷たい風が吹き付けるようになったジョージアでは、これからのシーズン、お湯のシャワーは必須です。

昨日は宿のシャワーからお湯が出ませんでした。そんな時、仕方ないと冷たい水を浴びてる自分がいました。

もちろん清潔なことはとても良いことだし、極力そうすべきだと思います。シャワーを浴びずに臭いにおいを発していたら、自分自身嫌だし、周囲の人を不快にさせてしまいます。

でも、清潔であることに過剰である必要はなかったのです。

海外に出ると、全く見ず知らずの土地でもさまざまな人たちが当たり前のように生活している光景を目にします。

同じ人間が生活できているなら自分だってできます。

自分の中に衛生感というルールがあったとしても、その地に適応していかなければ生きていけません。

ジョージアですっかり海外の生活に染まった、と思う今日この頃です。


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サムネイルの撮影場所はヴァケのShota Milorava street(トビリシ)

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