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懐かしさを抱かなかった帰国

1年間の海外生活を終えて日本に着いた時、帰国した実感はあまり感じませんでした。

思っていたよりも懐かしさはなく、そもそも「懐かしい」ってなんなんだ、という感覚に陥ったくらいです。

外国人が多くて外国語も溢れる成田空港だけでなく、帰りの車窓からも、自宅に着いた時も、家族と再会した時も「懐かしい」という感覚を抱きませんでした。

これはなぜなのか。

帰国して1週間を迎えるこのタイミングで、一度この理由について考えてみようと思います。

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一年間という期間が長いか短いかは人それぞれ違うでしょう。

僕にとっては、今回が今までの人生で一番長い期間海外に滞在したことになるため、「長い」と思っています。

とはいえ、一度もホームシックになったことはなく(そもそもホームシックという感覚が僕にはわからない)、帰国した理由も帰国したかったからというものではありません。

今回の帰国は、心の底から日本で生活したい、という気持ちではなく、今後の人生を見据えた上での戦略的な帰国という側面が強くあります。

ノスタルジーの気持ちから突き動かされたものではないため、どこか冷めた見方をしてしまっている自分もいます。

よく遊びに行っていた渋谷や原宿の街を歩いていても、懐かしさを感じていません。

確かにお店はだいぶ変わっていたけれど、それはこの街では当たり前のことだし、そこに気持ちが揺れることはありません。

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以前の投稿に「1年間に及ぶ長い夢から覚めた気分」と書きました。

1年間、海外生活という夢を見ていて、帰国した今、その夢が覚めたような感覚。帰国直後はそういった感覚だったし、今でもそれはあります。

ただ、もっと掘り下げると、これら全てに「連続性」のようなものが横たわっていると思っています。

日本→海外→日本と続く場所という一連の流れが、なめらかにつながっている。

かつてはこの日本と海外の間に明確な「意識の線」が引かれていて、線を越えた先の全てが記憶に残る思い出となっていました。

主体的に見たらそれは至極当然のことなのでしょうが、今その連続性を強く認識するようになっています。

海外に行く前の僕も海外から帰ってきた僕も同じ僕。変わったのは居場所だけ。むしろまだ旅行が続いている感覚すらもあります。経験は積んだけれど、顔も背丈も性格も趣味も特技も何も変わっていません。

取り巻く環境が変わったけれど、僕という個人は何も変わっていない。

そんな感覚があるから、帰国に際して、懐かしさを感じていないのでしょう。たぶん。

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もしかしたらこれが経験を積み上げて成し得た成長なのかもしれません。

もはや場所という要素は自分にとって関係なく、自分が能動的に何をするか、のみが自分にとっての生きる指標になっているかもしれません。

これからしばらく日本での生活が続きますが、いつかまた海外に出たいと思っています。

けれど、それもまた連続した流れに乗ったもので、自分にとっての大きな変化ではないかもしれません。

そうやって思っていくと、海外に対するハードルがグッと下がった気がするし、これによって本来の力を発揮できそうな気がしています。

これに気付けたことも海外に出て良かったかもしれません。




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それでは、また明日お会いしましょ

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