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高校受験期:運命を変えたあの一年-History to the future③

実は、全4回の予定だった自分史シリーズだったのですが、1年前に第2回を書いたっきり更新してないことに気づきました()
なんか1年前の自分が頑張って書いてたみたいなので笑、せっかくなので第3、4回(もしかすると5回…?)と書いていこうと思います。第3回は高校受験から再開です。
自分史後編、開幕です!


Chapter3:運命を変えたあの一年

2017年3月、まだ冬の寒さの残る日本に、僕たち家族は降り立った。

4年前、ジャカルタに飛び立ったときと全く変わり映えのない地元の街並みを見て、僕はこれまでの異国での日々がまるで夢であったかのように感じたことは、今でも覚えている。

日常が始まった。

勝手知った町だったけど、僕の歩幅は大きくなって、こんなに近所の公園近かったっけ、なんて思ったりもした。

中3だった僕は、地元の公立中学校に編入した。

4年ぶりに再会した面々は声や背丈が変わってたり、でも肝心なところは変わってなかったりなんかして。最初の印象は「平和だな」という感じだった。保守的な教育方針を押し付ける日本の義務教育システムは、海外に居た身としてはあまり好きになれなかったけど(毎回体育の授業で「集団走」なるものをやらされ、足並みがそろわないと怒鳴りつけられるという、戦時中の国民学校顔負けの指導もあった)、だけどジャカルタみたいに「意識高い系」ママによる上へ上へのギスギスした雰囲気がなかったことが、自分にとって居心地を良くさせていた。

ジャカルタにいた頃から早慶高を受験する準備をしてきた。自分に才能なんて何もないと思っていた自分が、唯一目の前にあった努力すれば成果の出せそうな「勉強」というものでは勝ちたい。そういう欲求があったように感じる。あとは何物でもなかった自分が、価値のある人間であるという肩書を手に入れたいと、そう思っていた。
そういう意味では動機はネガティブだったんだろうなと思う。だけど運命は面白くて、日本に帰ってから僕の成績は爆発的な成長を見せる。

僕が日本で入った塾はSAPIX。開成筑駒をはじめとした「日本で一番頭の良い学校」に本気で入ろうとしている人がいっぱいいた。実際僕のクラスは開成志望4人、慶應女子(高校受験では女子のトップ校)3人、早慶志望は僕ひとりだったと記憶している。
もちろん授業のレベルはかなり高かった。
だけど講師の方は(感情的になったりせず)生徒の思考を信頼して、また論理的なアドバイスを投げかけてくれた。
宿題もそこまで多くなかったので、自分の復習が必要な分野を集中して勉強することもできた。
勉強で一番面白い瞬間は、わからなかった部分がわかるようになって、その先のこととが点と点でつながる瞬間だと思う。目の前がパっと開けるあの感覚。それに味を占め、勉強を続けると、模試の判定では志望校が現実味を帯びてきて、過去問の徐々に点数が上がっていく。そうして毎日を過ごしていたら気づいたら慶應志木高校に合格していた。

面白かったのが、ジャカルタではあれだけ毎日ストレスを感じながら必死こいて勉強していたのにあまり伸びずに、一方日本では毎日希望に満ちた日々を送りながらもさらに成果もきちんと出していったということだ。このとき僕は、目標達成するということ以上に、自分が成長していって夢が現実に近づいていくあの感覚が一番楽しいのだということに気が付いた。

さらに人生っておもしろいなって感じることが、この自分の変化はほぼ外部環境によってもたらされたという事実だ。日本に帰ったのは親の判断で、また別にSAPIXに入ったのも前の塾との教材の互換性があったからというだけで、ほんとうに流れに乗っただけだった。だけどそんな自分が決断してないことでも、それによって現実に僕は慶應の高校に入ることができ、今慶應大で学生をしているのだから人生のめぐりあわせは面白い。多分あのままジャカルタにいたら多分僕はこの学校にはいなかった。身を置く場所の大切さを大きく実感した一年だった。



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