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「世の中の大半の事象は”二元論”ではなく”グラデーション”」なんて考え方はヌルい
世の中の大半の事象は、「二元論」じゃなくて「グラデーション」だ。
「あのひとは良いひと?悪いひと?」じゃなくて、「良いことをするときもあるし、悪いことをするときもある」だ。
ただ、あまりにもグラデーションに囚われすぎると、逆に思考が凝り固まってしまうから注意。
たとえば、「重視するのは質か?量か?」は、「両指標を底上げしろ!!」案件である。
こんな感じで、グラデーション思考の注意点は、つい既存のパイでものごとを考えてしまいがちなところ。
結論が、その枠組みの「外側」にあることだって珍しくない。
「連絡はメールか?電話か?」は、「時と場合による」でも、「メールしたあとに確認の電話をいれる」でもなく、「チャットでいいじゃん」、かもしれない。
ただ、実は本当に難しい問いは、「答えのない二元論」なのだ。
もろもろの条件を考慮すると、どうしても「AかBか」のどちらかしか選べないとき。
たとえば、再生可能エネルギーの発電じゃ不安定すぎて、かつ節電も最大限やって電力不足になった場合の、「原発を建てるかどうか」とか。
ここで「グラデーション思考だ!」とか呑気なこといって、「よし!じゃあ半分だけ建てよう!」とかできないからね。
世の中には、いろんなメリットデメリットを複合的に考えて、どうしても「こっちだ!」という決断をくださなければならないときがある。
ただ、そういうと聞こえはいいけれど、「決断」の場面はないに越したことはない。
グノシー創業者の福島さんは、著書『センスのいらない経営』で、「綱渡りになっている時点で、戦略的には失敗しているわけです」と述べている。
要は、決断をしなければならないような場面をむかえてしまった時点で、ある意味ではすでに負けているのだと。
ただ、そうはいっても、世の最前線で戦っているひとたちは、どうしたって多かれ少なかれ「決断」の場面に遭遇せざるをえない。
そして、世はそれをときに、「政治」とよんだり、「経営」とよんだりもするのだろう。
しびれる。
★今日みかけたこのツイートが刺さった。ぼくも今日で、note毎日更新たぶん2ヶ月くらい。量は大前提のうえで、質も上げてく
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