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「私」と「スマホ」は繋がっていく

しかしもっと重要なことは、スクリーンもわれわれを注視することだ。
覗き込むと姿が映る井戸のように、スクリーンはわれわれが自分自身を探すために見つめる鏡のような存在になる。
※本中より引用


『〈インターネット〉の次に来るもの』を読んだ感想、第17回です!

第1回はコチラ↓


3日前のnote(スマホでどんな情報でも手に入る時代に、「本」を読む理由)で『ぼくたちはこれから、どんどん"スクリーン"を通して情報に接触するようになる』という話を書きました。

スクリーンというのは、スマホの画面はもちろん、町中に設置されているディスプレイや、ウェアラブルデバイスなども含まれています。

これまでは紙の新聞や雑誌、本などといった形で情報を得ることも多かったですが、これからはどんどんスクリーンの比重が大きくなっていきます。


しかし筆者は、ぼくたちがスクリーンを見るだけでなく、逆にスクリーン側もぼくたちを見るようになると言います。

しかしもっと重要なことは、スクリーンもわれわれを注視することだ。
覗き込むと姿が映る井戸のように、スクリーンはわれわれが自分自身を探すために見つめる鏡のような存在になる。
※本中より引用

続きの箇所も、もうちょっと引用してみます。

顔ではなく、自己像を探すのだ。
すでに何百万もの人々がポケットサイズのスクリーンを使って、いまいる場所、食べたもの、体重、気分、睡眠状態、見たものなどを入力している。
※本中より引用


いま、ぼくたちは嬉々として自分の食べたものや行ったところをネット上にアップしていますが、世代や持っている価値観などによっては、全く理解できない行動でもあります。

ネット黎明期などは、食べたものや行ったところはおろか、顔や名前を出すことすらありえないという風潮だったと聞きます。

そんなに個人情報をさらしたら、危険じゃないか!!ということで。


SNS(最近だと特にFacebookとInstagram)は、この風潮をまったく逆にしたことところがすごいです。

SNSの話でよく出てくる『自己承認欲求』をひとつのインセンティブとして、ぼくたちがどんどん自分たちの情報をネット上にアップしたくなるようなサービスを設計しました。


その結果、本中で筆者は『スクリーンはわれわれのアイデンティティーの一部となるのだ』と述べています。

実際、いまぼくを含めた多くのひとは、スマホの中に、食べたもの、行ったところ、遊んだひとなど、ありとあらゆる『自分の情報』が詰まっていますよね。

これはもう、スクリーンが『アイデンティティーの一部』と言っても、まったく過言ではありません。


ということで、これからぼくたちはどんどんスクリーンを通して情報を摂取するようになるけど、逆にスクリーン側もぼくたちの情報に接触するようになる。

結果として、『スクリーンはぼくたちのアイデンティティーの一部』になっていくだろうという話でした!



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