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ミルフィーユみたいなコンテンツを作りたい

いま、Twitterでけっこうバズっているブログがある。

タイトルは、『【サバの話だったの?】WEEKLY OCHIAIというコント、あるいは地獄について。』

内容を一言で言うと、落合陽一さんがとても難しい話をしていて、それを周りで聴いている人たちは、理解できてないのに理解してるフリをしてるんじゃないか?と、落合さんやその周囲にいた人たちを揶揄するものだ。

まあ、今日はこのブログをメインテーマの題材として扱うわけではないので、このブログ自体の是非は一旦置いておく。

ぼくが触れたいのは、このブログを読んで書かれた、茂木健一郎さんのブログだ。

タイトルは、『落合陽一さんの話していることは意味不明なのか?(笑)』

茂木さんに言わせると、別に落合さんが話している内容は、理系の人にとっては特段難しいことではないらしい。

にもかかわらず、落合さんの話がこんな風に揶揄されてしまうのは、日本全体の科学リテラシーが低すぎるからという。

そしてその原因は、日本のマスメディアのレベルの低さにあるというものだった。

ちなみに、この『レベルが低い』というのは、多分『マスメディア自体のレベル』が低いというよりも、視聴者のリテラシーに迎合しすぎたがゆえに出される『コンテンツのレベル』が低いということを言っているのだと思う。

そして、この茂木さんのブログを読んで、ぼくは改めて『メディアの役割』について考え、そして『ミルフィーユみたいなコンテンツを作りたい』と思うに至った。


コンテンツを因数分解する

議論の出発点として、コンテンツの種類をとりあえず二元論で考えることにする。

1つ目が『簡単な』コンテンツ、2つ目が『難しい』コンテンツだ。

1つ目の簡単なコンテンツのメリットは、多くの人がそのできごとに興味をもつ『きっかけ』になり得ることだ。

2つ目の難しいコンテンツのメリットは、複雑極まりないこの世の中を、できる限り『正確に』伝えられるということ。

そして、長所と短所は常に表裏一体なので、それぞれのコンテンツのメリットとデメリットは、互いに関係しあうことになる。

つまり、簡単なコンテンツは議論が荒削りになりがちだし、難しいコンテンツはたくさんの人に興味をもってもらうことが大変だ。

だからまあ、『簡単なコンテンツと難しいコンテンツはそれぞれに役割があるんだよ』という話なんだけど、ぼくが『”メディア”の役割』について考えて『ミルフィーユみたいな”コンテンツ”』を作りたいと思ったのには(”メディア”のことを考えてたのに”コンテンツ”の話になったのには)、一応ちゃんとした理由がある。

というのも、とあるメディアが『両タイプのコンテンツが大事だ!』と思って、それぞれのタイプのコンテンツを別々に作っても、茂木さんの言ってる問題(受け手のリテラシーの底上げ)の解決にはなりずらい気がするのだ。

これだけコンテンツが『パッケージ』ではなく『ぶつ切り』で届けられる時代においては、たとえ同じメディア上でも、同じ人が違うタイプのコンテンツに触れることは、難しくなっている。

つまり、簡単なコンテンツを好む人は、メディアを横断して簡単なコンテンツを摂取し続けるのだ。

そうなったら、簡単なコンテンツのメリットである『きっかけ』が、いつまでたっても『きっかけ』にならない。


理想のミルフィーユは、『君の名は。』

じゃあどうすればいいのかというと、こうなったらもう、ひとつのコンテンツのなかに両タイプの要素を内包させるしかない。

つまり、一見すごく簡単なコンテンツでそれだけでも十分楽しめるんだけど、分かる人にとってはどんどんとその奥深さを楽しめるという構造のことだ。

そして、このことを考えるときに、ぼくがいつもパッと頭に思い浮かぶのは、『君の名は。』だ。

あれは、ぼくみたいな映画素人でも『ああ、最後気づかれなかったの切なかったなあ』とめちゃくちゃ楽しめるんだけど、映画玄人は、その画の美しさやストーリー展開、音楽の活用法などについて、あれやこれやと批評している。

つまり、映画素人でも玄人でも楽しめる映画だったという意味で、ぼくは『君の名は。』はミルフィーユみたいなコンテンツだったと思うのだ。

そして、このミルフィーユ型コンテンツの何がいいのかというと、『簡単』から『難しい』への移行が、限りなくスムーズだということだ。


『ジブリ映画』も理想のミルフィーユ

映画ついでにもうひとつ例を出しておくと、『ジブリ映画』だ。

あれは、裏テーマとして『戦争』や『差別』なんかがあると言われているけれでも、そんなの小学生のときに観たって、分かりっこない。

でも、そんなもの分からなくても、ぼくたちは『簡単な』映画として、ジブリ映画を楽しむことができる。

そして、しばらく経って大きくなって、改めてジブリ映画を観るとこう思うのだ。

『あれっ、これってもしかして、実はこういう内容を示唆してるんじゃないのか..........!?』

こうやって気になり始めると、ネットで映画玄人のレビューを読んだり、もしくは自分で戦争や差別のことについて調べたりし始めるかもしれない。

世の中にとって大事だと言われてるけど、イマイチ身近に感じづらいテーマについて、関心をもってもらうのに素晴らしい導線だと思う。


言うは易く行うは難し

で、今回の例の出口は『戦争』や『差別』だったけど、ぼくはこのパターンを『ビジネス』とか『テクノロジー』の方にも、横展開させていけないかなあと思っている。

『戦争』や『差別』と同じくらい、『お金の稼ぎ方』や『最新の科学技術』の話も、『大事だなーとは思ってるけど、なんか難しそうでよく分からない』話なんじゃないかと思っている。

ただまあ、ぼくが考えてる程度のことだから、こんな話、もう何千年も前から議論されてるに違いない。

でも逆に、何千年も議論される価値のあるものほど、大事な話ということでもある。

だからぼくも、一朝一夕で解決する問題ではないけれど、『ビジネス』や『テクノロジー』を発信するための『ミルフィーユみたいなコンテンツ』について、腰を据えて探求し続けていきたいと思う。


▼今日のnoteの土台になった2か月前のnote。このときからまた今日のnoteは少しアップデートされた!


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