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言葉は「デジタル」なもの
高校生の頃、僕は物理学や数学で森羅万象を説明できるものではないかと夢想していましたが、大学に入ってゲーデルの不完全定理(自然数論を含む理論では、真とも偽とも判断がつかない命題が存在するという定理)などいろんなことを学ぶうちに、そういうわけにはいかないことがわかってきました。
(文系の壁/養老 孟司)
『文系の壁 理系の対話で人間社会をとらえ直す』という本を読みました。
きょうはその感想、最終回です。
第1回 「分かる」と「分からない」と「賛成」と「反対」
第2回 「責任者」と「謝罪」は必要か?
第3回 お金に「色」はあるか?
きょうは、『世の中のことを語るのに、自然言語もやっぱり必要なのではないか?大事なのは、場面に応じた言語の使い分けなのではないか?』という話をします。
冒頭に引用したのは、本中に出てきたスマートニュース創業者・鈴木健さんの言葉です。
ぼくは『ゲーデルの不完全定理』のことは全然わからないのですが、きょうの話としては『物理学や数学だけでは森羅万象を説明できるわけではない』というところだけを、ピックアップします。
ぼく自身は文系・理系みたいなくくりで言えば、文系タイプの人間なので、そもそも『物理学や数学で森羅万象を説明できる』という考えに至ったことはありません。
しかし、本に出てきた鈴木さんをはじめとして、他の記事や本を読んでいても、『物理学や数学があれば、世の中のすべてのことを説明できる。物理法則・数式が最強だ!』という考えの人は、一定以上いるのかなという感覚です。
ここで『言葉』の登場なのですが、本中に出てきた工学博士・森博嗣さんの、『文系は物事を言葉で割り切るからデジタル。理系のほうがアナログです』という話が印象に残りました。
一見文系の方がアナログ、理系のほうがデジタルっぽいです。
ただ、たしかにデジタルは、0⇔1の非連続的なもの、アナログは連続性をもったものであるという定義でいくと、理系の人間がよく使う物理法則や数式のほうが、論理的に物事の説明を積み上げていくので(=連続性があるので)、アナログ感があります。
そして以前、評論家の宇野さんが、イベントにて『言葉は断絶を生むことしかできない』と言っていたのですが、言葉はやっぱり、物事をスパッと切る性質を持っているので、そういう意味ではすごくデジタルです。
▼イベントに参加した当時の感想ブログ
つまり、連続性をもった『物理法則』や『数式』だけで世の中のことがすべて説明できたら、それのほうが楽だったかもしれないですが、そうは問屋が卸しません。
そうなるとやはり、『言葉』で説明せざるを得ない場面も出てきます。
言い換えると、『言葉』だからこそ、説明できる物事もあるということ。
典型的なのが、『人の気持ち』です。
たとえば、好きなアイドルにどんどんお金をつぎ込む人を見て、周りの人は『そんなにお金をつぎ込んだたら自分のお金がなくなるよ』とか『そんなに貢いでも付き合えるわけじゃないよ』とかって『論理的に』諭すかもしれません。
しかし、そこで『でも好きだから』とお金を貢いでいる人自身が言ってしまえば、それで話は終わります。
そこに論理性(=この場面に関して言い換えるなら、表面的な費用対効果)はありませんが、『特定の人物に対していっぱいお金を払う』という現象を『好きだから』という言葉が、説明してくれます。
でも逆に、物理法則や数式、あときょうは出てきませんでしたが、プログラミング言語だからこそ、表現できる物事もあるはずです。
つまり、それぞれの場面に合わせた言語を使っていくことが、大切ということ。
そして個人的には、やっぱりその欠陥(=断絶を生むところ)も含めて、ぼくは『言葉』に肩入れしてしまいますね。。。
たかが言葉、されど言葉。
断絶する言葉だからこそ、できることの可能性をこれもからも探っていきます。
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