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頭で戦うフィールドになっても、身体を鍛え続ける

今日、ジムへ行ってランニングして、8億年ぶりくらいに汗をかいた。

40分くらい走ったのだけど、冗談抜きで最後の10分は、息が上がって心臓がハチ切れそうだった。

そしてこの感覚は、泥だらけになって白球を追いかけ続けた、高校生のとき以来だなあと思った。

定量的なソースがなくて申し訳ないのだけど、日本は一般的に、他国よりも部活動が盛んだと言われている。

ここでの部活動というのはおもに「運動部」を指していて、あと「盛ん」は「ひとつの種目にのめり込む」と言い換えたほうが正確かもしれない。

欧米だと、季節によって違うクラブに入ったり、種目をかけもちしてプレイすることも、めずらしくないらしい。

いっぽうで、日本はひとつの部活を3年間やり続ける。

けれども、そんなに一生懸命に青春を捧げてその種目に取り組んだとしても、そこからプロに進むなり大学でも本格的にプレイし続けるのは、ホントにひとにぎりだ。

多くのひとは、高校での引退を機にピタッとその種目をやめてしまい、まあかろうじて大学ではサークルで気軽にやる程度だ。

そして、大学でのクッション期を経て、社会人になると一気にみなが同じ種目をプレイしだす。

「ビジネス」だ。多くのひとがこのフィールドに集結する。

ここでの勝敗のカギは「頭」だ(実行力は大前提)。学生時代にあんなに欲していた強靭な肉体は、ビジネスという種目においては直接的には役にたたない。

「いかにおおきくて強い身体をもっているか」から、「いかに切れる頭をもっているか」に、他者との競争に勝つ要因が集約されてくる。

ただそうなってくると、逆説的に「おおきくて強い身体をもっている」ひとが、そうでないひとよりも有利になる。

頭を鍛え続ける、デスクワークでの生産をし続けるには、体力があったほうが絶対にいいからだ。(高校球児だったぼくのポジショントークであるということは勘弁してください)

結果的に、いまのぼくは高校時代に培った「体力の貯金」(とあと気合)を使いながら、ビジネスに勤しんでいる。(厳密にはいまはキャッシュを回収してないので、ビジネスをしてるとは言えないかも)

大学に入って以来、ぼくもサークルでお気軽に週一くらいでソフトボールはやっていたけれど、言ってしまえば結局はサークルだ。

しんどくなったら休めばいいし、息があがったらスピードを落とせばいい。誰にも咎められない。

ところが、今日のランニングは本当に苦しかった。

別にパーソナルコーチがいたわけではないんだけど、機械が動き続けてるから、ぼくも足を回し続けないといけない。

「40分走る!」ってじぶんのなかで決めてたから、どんなに胸が張り裂けそうでも、40分を走り切ると決めていた。

そしてそれが終わったとき、本当に苦しかったけど、そこには忘れかけていた「肉体的な」達成感があった。

この感覚、なんか大事にしたいなと思った、直感的に。

部活動が終わって、社会人を迎えるにあたり、フィールドが「スポーツ」から「ビジネス」に切り替わる。

使うのも、「身体」から「脳」へと切り替わる。

だからといって、脳ばっかり鍛えてないで、引き続き身体を追い込むことも大切だなと、今日ハアハア息を切らしながら思った。

ここの理由をまだ明確には言語できてないんだけど、単純に身体が丈夫なことは、精神の安定におおきく寄与する感じがする。

あとあの自分の身体を追い込んだあとの、得も言われぬ達成感は、重めのタスクを完了したときの達成感とは、違った種類のものだ。身体に直接、ビーンとくるものがある。

こうしてときどき、「あと1分!あと1分!」とドSに自分を追い込みまくって、そしてやりきった達成感を身体で直接感じるというのは、定期的にやったほうがいい。学生時代の貯金だけでは、いつか底をついてしまうかもしれないし、薄まってしまうかもれない。

「あんなにつらい走りに比べれば、このタスクをひとつ片付けるくらい楽勝だ!」という気持ちの余裕は、ぼくが学生時代に運動部に入っていてよかったなと感じることベスト3に入る。

結局なにが言いたいのかよくわからんnoteになってしまっったが、とりあえず、オフィスワークになっても(なったからこそ)、身体を動かし続けることは大事だという話だ。

これを総称して「健全な精神は健全な肉体に宿る」ってタイトルにしようと思ったんだけど、あれ、誤用らしいね。


★基本的にはビジネス関連のつぶやきばっかだけど、たまには野球関連のツイートもする



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