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「意味のあるバズ」と「意味のないバズ」の違い

ぼく、鳥井さんが書いてる『隠居系男子』というブログが好きなんですが、読んで以来、いまだにその意味を咀嚼しきれていないエントリがあります。

それが下記のエントリ。


▼ブログやSNSでネガティブなことも書いたっていい。大切なのは「自分は何をもって覚えられたいのか」ということ。


一応、これ以外のだいたいのエントリは、1回読んで『ああなるほど、そういうことか!』と理解しているつもりではいるんですが、このエントリに関しては、いまだに真意の30%も汲み取れていない気がします。

だから、折に触れてこのエントリのことを思い出しては、一体どういうことなんだろうと考えていたのですが、最近すこし進捗があったので、メモしておきます。


『何をもって覚えられたいのか』から考える

まず、改めてタイトルから見返してみます。

ブログやSNSでネガティブなことも書いたっていい。大切なのは「自分は何をもって覚えられたいのか」ということ。

この日の鳥井さんの主張は、もうこのタイトルに全部書いてくれてるんですが、これだけ読んで『おお、なるほど!』となる人は少ないと思います。

ぼくは『ん、ネガティブなことも書いていいの?!?!』『何をもって覚えられたいのかって、どういうこと!?!?』と困惑しながら当時URLをクリックしました。

で、ネガティブ云々は一旦置いておいて、主張の根幹になりそうな『何をもって覚えられたいのか』について、考え始めることにします。


衝撃映像系のバズは「意味のないバズ」であることが多い

Twitterを見てると、たまに何千とか何万とかレベルでリツイートされてるツイートが回ってくることがありますよね。

それで、気になって投稿者のプロフィールを覗きに行くと、数百フォロワーしかいないことも珍しくありません。

ただ、今日の話で大事なのはフォロワー数ではなくて、『バズった以外のツイート』です。

プロフィールから下にスクロールしてみると、最新投稿はだいたい『うおー俺のツイートめっちゃバズってる!!!』とか『やべえ....通知が止まらねえ.......』みたいなことを言ってます。

さらにさかのぼってみると『お腹へった』とか『バイト5連勤終わった』みたいなツイートをしてることが多いです。

結論から言うと、こういう人にとって、たとえなんかの衝撃映像が撮れたなどで1回ツイートがバズっても、ほとんど意味がありません。

なぜなら、次に同じようなバズりツイートをする可能性が、とても低いからです。

言い換えれば『再現性が低い』のです。


真面目にSNSをやってるとか、そういう問題ではない

ここまでの話だと『SNSを真面目にやってるかどうか』の違いと感じるかもしれませんが、そこは問題ではないです。

大事なのは、『何をもって覚えられたいのか』です。

ぼくの書いたnoteで、去年2番目に読まれたのは『noteユーザーで理想の打線を組んでみた』です。

ぼくの普段のnoteとは桁違いで、たくさんの人にシェアしてもらいました。

ただ、これもどちらかと言えば『意味のないバズ』です。

なぜなら、ぼくが次に同じようなnoteを書く可能性が低いからです。

正直、このnoteを書くのは楽しかったですが、ぼくがnoteを書いてる1番の理由は『思考の整理と記録』なので、こういうハッピー系は極稀にでいいです。

あと、野球は大好きですが、別に『野球ライター』として自分を売り出していくつもりも、いまのところありません。

なので、当時このnoteを読んでフォローしてくれた人の大半は、たぶんいまのぼくのnoteを読んでないと思います。

たとえバズっても、ぼくは『バズライター』としても『野球ライター』としても覚えられたいわけではなかったので、このバズには意味が少なかったということですね。


意味のあるバズ

去年2番目に読まれたnoteは上のやつですが、1番目は『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』です。

これは、noteのタイトルと同じタイトルの本を読んだ感想を書いてるんですが、こっちきっかけでフォローしてくれた人の方が、いまも読んでくれてる感があります。

あと、『noteユーザーで理想の打線を組んでみた』よりもPV数は少ないですが、『ブランディングとは、お客さんが「自分はありがたいけれど、彼らは損をしているな」と思うこと』『「ビッグデータ」って、なんで注目されてるの?』きっかけの方が、継続率が高い感覚があります。(データをとってるわけではないので、正確なところはなんとも言えないですが!)

これは、『他の人とは違う切り口から本の感想を書く』『本の内容が分かりやすくまとめられている』『ビジネスやテクノロジーの初級編の話』といった点は、ぼくの今後のnoteでも頻繁に書くからです。

つまり、こっちは『意味のあるバズ』ですね。


『何をもって覚えられたいのか』と『何をもって評価されたいのか』の違い

ここまで理解できれば『ネガティブなことを書いていい』の真意も、なんとなくですが分かってきました。

『このツイートやブログがバズったとして、それに再現性はあるのか』と考えると、『何をもって覚えられたいのか』の意味が見えてくると思います。

誰かしらやなにかしらの商品をマイナスに批判してでも、自分の伝えたい『何か』があったり、もしくはそもそも『ときには毒舌にもなる人』としてやっていきたいのなら、別にネガティブなことを書いても構わないということです。

ただ、まだまだこのエントリには、咀嚼しきれてないところがあります。

それは鳥井さんのブログ中にて、『何をもって覚えられたいのか』の後ろに書いてあった、『何をもって評価されたいのかとは違う』という内容です。

ただし、常に自分は何をもって覚えられたいのか、ということは問い続ける必要があると思います。(※「何をもって評価されたいか」ではない。)

そこは違うの!?!?!?!?!??!?

となり、また一段と迷宮みが深まりました。

ここまでのぼくの粗い解像度だと、完全に『何をもって覚えられていのか』と『何をもって評価されたいのか』は一緒なんですが、そこは違うのか........

とりあえず『何をもって覚えられたいのか』の意味はなんとなく分かってきたので、あとはそれと『何をもって評価されたいのか』との違いについて、今後は考えていきます。


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