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「才能」の始まり方

才能とは何かが人よりもあることだと皆考えるけど、本当は「人より足りない」ことなんだ

というような言葉を、夢枕獏さんという小説家の方が残したそうです。

「才能」って、一般的には「人よりも何かができること」のイメージがあります。

実際、任天堂の元社長である岩田さんが言ったとされる「自分の得意なこととは、労力のわりに周りの人がありがたがってくれること」という言葉も、どちらかと言えば「人よりできること」に焦点が当たっている言葉です。

ただ、GO代表の三浦さんが新R25の動画で冒頭の言葉を紹介した時、「ああ、まさに「そういう捉え方もあるのかあ」ってなんだか少しこれまでの自分を肯定できたような気がしました。

ということで今日のnoteは「才能」がテーマです。

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動画:https://www.youtube.com/watch?v=tzWe8mHr0X0


この動画中でお話している三浦さんも、広告やPRの領域においてめちゃくちゃすごい人なのですが、逆に「プレゼンや企画会議をしている時以外の自分はしょうもないよ」という発言をしています。

動画中でのエピソードでは、新人時代にあまりにもエクセル が使えなさすぎて、エクセルで適当な調査データを作ったら始末書問題になったという話をしていました。

それで、その時に三浦さんが、「エクセルができる人に、エクセルができない人の気持ちはわからないよ」って言うんですね。

これ、めちゃくちゃ分かるわあって思いました。

この発言、こうして言葉にすると「まあそうだよね」くらいなんですけど、「分かれない辛さ」以上に「分かってもらえない辛さ」ってすごくあります。

例えばぼく、高校時代に野球をやっている時にイップスになったんですね。

聞いたことある方もいると思いますが、イップスというのは、例えば野球で言うと、緊張して思ったようにボールが投げられなくなることです。

「緊張して普段どおりの動きができなくなる」ところが症状の肝で、元はゴルフで言われ始めたとも言われています。

それでイップスになったとき、僕ももう追い込まれすぎて「どうやったら事故に遭って怪我して休めるか」ばっかり毎日考えてました。

それくらい精神的に追い込まれてたし大変だったんですけど、イップスジャないチームメートは、僕のこの追い込まれた状態を理解できないんですよね。

「え?投げたら終わりじゃない?」という反応しかありません。

でもこれって仕方がなくて、イップスになったことがなかったら、イップスの人の気持ちって分からないんですよね。

めちゃくちゃ想像力や共感力の高い人とか、イップスに類する経験をした人とかもいると思うんですけど、それってどこまでいっても「想像」であって、究極的な意味での「理解」ではないとも言えます。

まあ、想像すること自体はめちゃくちゃ大切なのですが、それはまた別の話として。

ちなみに、この文章を書いたあとにさっきURLを載せた僕のイップス経験談のnoteを読み返したら、最後の最後に「イップスを克服するために大切なのは周囲の理解」って書いてました。

さっきの話と少し矛盾するようなんですけど、まあそれくらい「自分とは違う状態の人」のことを想像することは難しいし、だからこそ少しでも想像力を働かせて見守ったり寄り添ったり背中を押したりすることはとても大切だよということを、僕は一貫して言いたい。

ちょっとだけ話が逸れちゃったんですけど、だから前提として、「自分ができなくて人にできることって、他の人たちに理解してもらいにくい」のです。

そのうえで、「できないことがあるのはやっぱり生きにくいなあ」じゃなくて、「できないことがあるからこそ、得意なことに集中できる」って考え方が、今回の話の素晴らしいところ。

例えば、僕はこうしていまも書いているように、文章を書くことは好きだし、実際にお仕事でもたくさんの記事を書かせてもらっています。

でも逆に、即興でプレゼンして人を説得したり納得してもらったりっていうのは、現時点においてそんなに得意じゃないんですね。

喋っているうちに、自分でも何を話しているのかわからなくなる時があります。

あと現時点においてイケメンではありません。

何が言いたいかって言うと、これで例えば僕がそこそこ話すのがうまかったり、半年に一度くらいのまあまあなイケメンであれば、もしかしたらYouTuberとかTikTokとかに顔出しして配信者みたいなことをやってた可能性もあります。

そうすると、単純計算で僕の時間が「文章を書く時間」と「配信する時間」に二分されちゃうんですよね。

そうすると、やっぱりそれだけ上達のスピードをも比例して遅くなっちゃうことが多いと思います。

僕が話すのがあんまりうまくなかったり、あんまりイケメンじゃなかったりしたから、「自分の思っていることを伝えるためには、文章が一番伝わりやすいな」と思って、「文章を書く」というところに大きく自分の時間と意識を集中させることができました。

そして結果的に、いま「文章を書く」ということを、お仕事としてもさせてもらっています。

だから「何かができないこと」っていうのは、決して悲しくなることでも卑下することでもなくて、「何かができるようになること」のスタートラインなんですよね。

僕はいままで、どちらかと言うと「何かができるようになるから、できないことを受け入れる/受け入れてもらえるようになる」と思ってました。

例えばめっちゃ多忙な起業家がよく遅刻するとか、厳かな場にラフな格好で来るとかって、それくらい圧倒的な成果を残しているから許されるんでしょと思ってたんですね。

もちろんその側面もあると思うんですけど、それと同時に、と言うかそれよりも先に、「時間通りに動く」とか「TPOを合わせられる」とかって能力が不足していたからこそ、それを諦めて他の「新しいアイデアを思いつく」とか「最高のサービスを作る」とかってところにリソースを全振りできたとも言えます。


最後に、動画の中で「業の肯定」って言葉が出てきます。

「業」は「ごう」と読んで、ここでは「何かができないこと」とほぼ同義で捉えても問題ないです。

要は世の中の便利なサービスや面白いコンテンツって、全て「業の肯定から生まれている」という話を動画中で三浦さんがしてくれているのですが、これもめちゃくちゃそうだなと思いました。

何かできないことがあるからこそ、それを解決するために新しいサービスが生まれるし、できないことを受け入れて「逆に自分はこの領域にフルベットするんだ!」という人が、何か面白いコンテンツを生み出したりします。

だから全ては「業の肯定」、つまり「できないことを受け入れる」ことから始めようって思えました。

このnoteが、読んでくれた人のなんらかの参考になれば嬉しいです。


最後に、全然上の文章の内容と関係ないですが、最近僕が書いたインタビュー記事もあるので、こちらもぜひ読んでください!


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