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ストーリーは「作る」ではなく「できる」

あした、ぼくの会社で扱っている「BOTCHAN(ボッチャン)」というチャットボットサービスを使ってくださっているクライアントへ、インタビューさせてもらう予定です。

インタビューの事前の打ち合わせとして、そのクライアントのフロント対応をしている弊社のメンバーの人と、先週いろいろと話していたんです。

ただ、話を聞いていると、どうやら導入してもらってからは、意外とすんなりと効果が出たらしく、クライアントとの関係も良好なようで、特にこれといった「トラブル」はそれほどないとのことでした。

そのときに、クライアント対応をしているその先輩社員から「記事にしやすいようなエピソードがなくて申し訳ない...」と謝られました。


ぼくもその先輩と話ながら、「何か尖ったエピソードがあれば記事にはしやすかったなー」とは一瞬だけ思ったのですが、ただ、よくよく考えれみれば、サービスを導入してもらってから、何か特別な施策を打ったわけでもなく効果が出ていて、しかもクライアント対応でのトラブルもそれほどないって、事象としては、めちゃくちゃ素晴らしいことです。


ここから少し話を拡大させますが、最近、「ストーリー」という単語がかなり広義的になってきていて、「サービスにはストーリーが必要だ」みたいな話でもよく使われます。

ここでの「ストーリー」って、同じく最近よくその重要性が語られる「思想」とか「価値観」とかって言葉とも深くつながっていて、別にあるに越したことはないと思うんです。

ただ、先日その先輩と話していて改めて感じたのは、(サービスにおける)「ストーリー」って、やっぱり「作る」ものじゃなくて「できる」側面の方が大きいのではないかなということ。

言い換えると、「ストーリー」は「目的」ではなくて「結果」ということですね。


ただまあ、これに関しては、別にサービスのインタビューに限らず、発信するメディア側の都合も入っているという点で、ライターをやってるぼくも共犯な部分があるのですが...。

というのも、やっぱりコンテンツとして落とし込むときにも、「失敗談」とか「挫折」とか「トラブル」とかっていう「谷」があった方が、構成にメリハリが生まれて盛り上がります。

だからインタビュアーも、「これまでで1番苦労したことはなんですか?」や、「いまの大きな悩みってなんですか?」って聞きます。

ただ、繰り返しにはなりますが、それってあくまでも「結果」に過ぎなくて、というか、「結果」でしかないからこそ、メディア映えもするのであって、仮に最初から「これはストーリーとして美味しそうだから」みたいな下心でやっても、それほど美味しくならない気がします。

これは別に、統計的な話ではなくて、あくまでも感覚的な話の域を出ないのですが。


そんな打算的なものはなくて、常に本気で、常に前を向いて、常に出てくる目の前の一つひとつの課題に対して全力でぶつかった結果、その過程で生まれてしまった「失敗」にこそ、「ストーリー」として価値があるのではないかなと思います。

「いまだからこそ笑える失敗談」があるに越したことはないですけど、前提はやっぱり「なんのミスもなく、スムーズに本来の目的までたどり着く」ことを、ベストなストーリーとして位置付けておくべき。

本当に価値があるのは、その目的にたどり着いた先にある未来なのだから。


ここで「盛り上がる失敗談」を目的化してしまうと、フラフラするだけして、結局何が残ったんだ?みたいな事態にも陥りかねません。

「成功」や「達成」に圧倒的に価値があって、「失敗」や「挫折」はその過程でたまたま生まれる副産物であるという順番は、常に頭に置いておきたいなと思いました。

きょうは最後に、イケウチオーガニックさんのnoteに出てきた言葉を引用して、終わりにしたいと思います。

ストーリーは、「作る」ものではなくて「できる」もの。


ストーリーを売ることがダメと言いたいわけではないのですが、とにかく、僕らは「違う」と言いたい。

やっぱり、僕たちにとって一番大切なのは、「モノをしっかりつくる」ことです。

そして、つくったモノ自体や、モノづくりに向き合う姿勢、モノを届けていく姿が、結果的に「ストーリー」になっていくのだと思います。

引用:『ストーリーを売る』への僕の違和感


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