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「感動」はいつ生まれるのか?

きのうから東京に来てます。

おとといの夜に、兵庫からバスに乗って来たのですが、バスに乗るとき、ちょっとしたうれしいできごとが!


平日ということもあってか、バスの席がわりと空いてたんですね。

そしたら、ぼくがバスへ乗るタイミングで、ガイドの方から「お客様が予約されているの席がありますが、それの一列前にお座りになってください」って言われました。

最初、意味がわからなくて、「はぁ…」みたいな感じで返事したら、ガイドさんから続けて「本日、お客様が予約されていた席の一列前が空席でございます。お客様がその前の列の席に座れば、後ろを気にすることなくリクライニングできるかと思い」と言われました。


ぼく、この対応にめちゃくちゃ感動したんですね。

ただぶっちゃっけ、別に背もたれを思う存分後ろに倒せること自体って、そんなに大騒ぎすることでもないじゃないですか。

だから、「なんでおれはこんなに嬉しいんだろうなあ?」と、限界までリクライニングしながら考えてました。

そしたら、感動って、実は「事象そのものの重大性(=思う存分リクライニングできること)」よりも、「期待値と実際との差分」によって生まれるんじゃないかなと思いました。

今回の期待する対象は、「ガイドさんの対応」です。

「ガイドさんにまさかそんなことを言ってもらえるとは思わなかった!」という予想外の展開が、ぼくの感動につながったのではないかなと。

加えて、具体的にどういう方向性の対応をしてもらえると感動するのかについても考えていたんですが、「サービスを提供する側は、別に"そのこと"をしなくてもお客さんからクレームを受けるわけじゃないのに、わざわざ"そのこと"をしてくれたとき。むしろ、"そのこと"を実施することによって、サービスを提供する側が不利益を被ってしまう(とお客さん側が感じる)場合には、感動が生まれるのではないか?」と思いました。


今回の「そのこと」っていうのは、「お客さんに一列前の席を提案すること」です。

別にそれって、正直ぼくに伝えなくても、ぼくはクレームしたり、悪い気分になったりしません。

「ああ、前の席が空いてるんだなあ」くらいです。

でもそれをわざわざ「空いてますよ」って教えてくれるのは、サービス提供者側からの「本気でお客さんに快適な時間を過ごしてもらいたい」という、誠実さが伝わってきてとても嬉しくなります。

その「わざわざ伝える手間」という意味では、めっちゃ広い意味で言うと「サービス提供する側が不利益を被っている感がある」とも言えます。

そして、そのひとつひとつの「不利益」の積み重ねが、「ブランド」に変換されていきます。

ちなみに、今回は普段の夜行バスではあまり乗らないJTBのバスに乗りました。

いつもは、夜行バス専門?の運営会社のバスに乗ることが多いです。

別に夜行バス専門のガイドさんの対応に不満があったわけではまったくないんですが、今回バスに乗りながら「さすがJTBだなあ」と思いました。

ちなみに、感動は「期待値とのギャップに生まれる」っていうことは、高級なレストランやホテルの対応で、こうやって1個人がブログに書くほどの感動的な対応をすることは、すごくハードルが高いと言えます。

なぜなら、高いお金を払っている事実によって、接客に対する期待値がとても高いから。

だから、「おー!」って快適に感じることはあっても、感動と呼ぶまでの感情が起きるのはよつぽどのことじゃないとなという感覚が、個人的にはあります。

でもそういう一流のホテルやレストランで働く方たちは、そういった高いハードルを超えることも往々にしてあるので、すごいなぁという、最後にすごい偏差値低そうな感想。


ということできょうは、「感動は事象そのものではなく、期待値とのギャップに生まれるのではないか」という話でした。


ちなみに、きのう東京に着いて、お昼に「なぜ、あの飲食店にお客が集まるのか」という新刊を出された、林さんのお店へ伺い、インタビューさせてもらいました。


会社の仕事とは全く関係ない、完全に個人的なやつです。

林さんの「インタビュー術」についていろいろと楽しい話が聴けたので、これから記事を書きます。

夜は、その林さんがされているバーに、今度はお客さんとして伺いました。


ずっと行ってみたかったので、1日に2回も行けてハッピーです。

どのワインもすごく美味しかった。

いままでよく分からない居酒屋の、よく分からないワインしか飲んできたことがなかったぼくにとって、「美味しいワインってこの世に存在してたのか!」という感動がありました!

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます!!!すこしでも面白いなと思っていただければ「スキ」を押していただけると、よりうれしいです・・・!