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「良い書き手」とは?

ぼくの文章、直接お褒めの言葉をもらうときは「読みやすいね」が一番多いです。

ぼくの記憶による統計だと、「面白いね」よりも「読みやすいね」のほうが圧倒的に多いから、たぶん言ってくれてる人たちも当たり障りのなり褒め言葉として「読みやすいね」を選んでいるわけではなくて、ぼくの文章をある程度以上の集中力で読んでくれたうえで、「読みやすいね」と言ってくれているはず...!

であるならば、たぶんぼくの文章は、仮に文章の評価軸を「読みやすさ」と「面白さ」の2軸にするならば、前者の「読みやすさ」のほうが勝っているのだと思います。


そうやってときたま自分の文章を褒めてもらったり、逆にぼくが誰かの書いた文章を読みながら「おおすごいな..!」と思ったりするなかで、そもそも「文章の書き手」に対する評価って、どうやってされるんだろう?と、ふと考えることがあります。

きょう、プロのライターの佐藤さんという方の『上手いのと面白いのはぜんぜんちがう』というnoteを読みました。

もうタイトルの通りなのですが、文章において「上手い」ことと「面白い」ことは、まったく違います。


ただ、ここからはぼくの個人的な考えなのですが、別に上手い人の文章がつまらないわけではないし、逆に上手くて面白い人もいるところが、また「書き手の評価」に対する議論を複雑にします。


とは言いつつ、もうこれを言ってしまったら、きょうは一体なんのnoteなんだという話になってしまうのですが、別に「どういう人が優れたライターか」的な議論に、絶対的な答えなんてないです。

これまたきょう佐藤さんの『プロの書き手になる人、ならない人、なれない人。』というnoteを読んだのですが、そこにも書かれていたように、そういった答えのない問題に向き合い続ける人も含めて、いつまでも諦めない人(=明らかになったと思わない)人が、プロの書き手として書き続けるし、現にいま書き続けているのかなと、noteを読みながら思いました。


若干脱線するんですけど、きょう、こちらはTwitterで、いつも拝見しているじげんさんが、こんなツイートをしていまして。


いろいろと示唆に富むつぶやきだと思うのですが、そのなかで、じげんさんは「3年毎日ブログを書き続けたけど、文章は上手くならなかった」とつづっています。


もう全然話がまとまってないですけど、仮にビジネス的な観点で見れば、たぶんブログを毎日書き続けても、ある一定の技術を身に着けたら、そこからの成長曲線の角度はゆるやかなとものになるはずです。

あと、キャリア戦略的な観点から見ても、そういったあまり「投資対効果」の良くない「ある程度うまくった文章技術」に自分のリソースを割き続けるよりも、どこかでメドをたてて、その文章を書いている時間や労力を、他分野の勉強なんかに使ったほうが、絶対に効率が良い。

ただ、ぼくは、いまのところ(毎日更新かどうかは未定だけど)、これから5G時代が来てみんな動画を観る時代になっても、なんらかの文章は書き続けているのかなと、勝手に想像しています。

価値に文章がある程度は書けるようになったのかなと思っても、キャリア戦略的な観点では、そこに時間を割きすぎるのは非効率だとなったとしても、どこかでなんらかの形で、文章は書いているはず..!


ということで、なんか全然まとまりのない感じになってしまったんですけど、、、自分の文章はどこまで上手いのかわからんし、面白いのかどうかもわからんし、何をもって「良いライター」と定義するのかわからんし、どこかのタイミングで「成長曲線の角度がゆるくなるとき」が来るかもしれないでんすけど、ぼくはずっとどんな形でもいいから、文章を書き続けているだろうなと思います。

そして、実際にはどうなっているかはわからないけど、少なくとも、現時点ではそういった気持ち(≒覚悟)を持っているから、いま曲がりなりにもライターとしてのお仕事をいただけているのかもしれないなという話でした!

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