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「目標を宣言すること」の罠

何かを夢見ると、脳の廃白質はすでに望みのものを手に入れたと勘違いしてしまうので、自分を奮い立たせ、目標を成し遂げるのに必要な資源を集結させなくなってしまう。そのかわりにリラックスしてしまうのだ。
(『残酷すぎる成功法則』より)


けんすうさんが新R25の記事で紹介していて面白そうだった『残酷すぎる成功法則 9割まちがえる「その常識」を科学する』という本を読みました。


一言で言ってしまえば「自己啓発本」なのですが、他の自己啓発本との違いで言えば、列挙している自己啓発の内容が徹底的にエビデンスによって下支えされていることです。

他の自己啓発本ではよくある、個人の体験を元にした「自分はこうすればうまくいった。だからあなたも同じようにやればうまくいく!」的な展開のさせ方ではなくて、その主張が本当にその人の人生を好転させるのかを客観的に判断するために、膨大な量の論文が登場します。

参考文献が多すぎて、本の最後の20%くらい、参考文献の一覧リストです。

それくらい、科学的に(=再現性を持って)自己啓発の内容を届けようというのが、この本の特徴です。


本中では、大量の「人生がうまくいくようにするための考え方、習慣」が登場するのですが、きょうはそのなかでぼくが印象に残ったもののひとつである「夢」の使い方について書いていきます。


「有言実行」って、一般的にポジティブな言葉として扱われますよね。

自分の夢や目標を公言して、そしてそれを達成する。

とてもカッコイイです。


ただ、それって逆に言えば、「宣言したのにそれを実行できなかった」人がいるからこそ、相対的に「宣言してそしてそれを達成する人」のことがカッコよく見えるわけで、実際に「宣言したその瞬間が一番盛り上がった」みたいな悲しい事象って、きょうも世界のどこかでたくさん起こっています。


それで、ぼくは基本的にあの「宣言したその瞬間が一番盛り上がる」あの感じが大嫌いなので、基本的にあんまり自分の目標はあんまり公言しません。

なんか、宣言して盛り上がった瞬間に「もう俺は目標を達成したんだ...!」みたいな錯覚に陥ることがあって、もうそこで満足してしまう感覚があるのです。

そんなことを前から思っていたわけなんですが、科学的にもそれに近い現象は見られるようで、自分のあの錯覚は間違っていなかったんだなと思いました。

何かを夢見ると、脳の廃白質はすでに望みのものを手に入れたと勘違いしてしまうので、自分を奮い立たせ、目標を成し遂げるのに必要な資源を集結させなくなってしまう。そのかわりにリラックスしてしまうのだ。


では、本当に「有言実行」はどんなときでも、どんなやり方でもしないほうがいいのでしょうか。

本中では、「夢を見るのはいいけど、その後にするべきことがある」という内容で、科学的に正しい「有言実行」の行い方が紹介されています。

結論を一言で言ってしまうと、夢を見たあとに我々がすべきことは「計画を立てる」ということです。

目標を夢見た後にこう考えよう。
「夢を実現する道のりに立ちはだかるものは何か?それを克服するにはどうしたらいい?」
この過程は、洒落た心理学用語で言うと「実行意図」であり、平たく言えば「計画」である。


たとえば「プロ野球選手になりたい!」という夢があったとして、それを周囲に宣言して「おお!」と言われて満足すれば、それで終わりです。

ただ、そこで本当にプロ野球選手になって、本当の満足感や充実感を得るためには「じゃあプロ野球選手になるためにはどうすればいい?」という「具体的な」中間目標や、「具体的に」そのためにやるべきことを整理することが必要です。

プロ野球選手であれば、ひとつの中間目標として、「プロのスカウトに注目されるために、甲子園に出場して活躍しよう」だったり、ひとつの具体的な施策としては「甲子園に出るために、毎日素振り500回やろう」だったり、どんどん解像度を上げていきます。


それらをひとつずつ着実に実行していくことによって、最初はボンヤリしていてよく見えなかった自分の夢が、少しずつ手ざわりのあるものになってくるのです。

ということで、きょうは「目標の宣言のあとに具体的な計画を立てることが大事だよ」と言う話でした。

宣言だけだと、そこで達成できたと勘違いしてしまうから、要注意!

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