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「自分の好きや得意」を見つけた後

『自分のやりたいことの見つけ方』ってセミナー、たぶん日本国内で毎日3件以上は開催されていると思います。

それくらい、みんなが自分の『好きなこと』を『得意なこと』を探す時代。


『自分の得意なことを認識すること』と『得意なことだと驕り高ぶること』はまったくの別物。

むしろ、自分で『得意かもしれない』って思ったものだからこそ、それを自分のひとつの武器にするために、謙虚にそのスキルを尖らせ続けることが大事だ、という話をきょうはします。


きのう、『直接自分の言動に反映されないアドバイスも、実は自分のためになるのではないか』というnoteを書きました。


それで、『この(的外れな)アドバイスを取り入れるくらいだったら、いままでの自分のやり方のほうが優れているな』って感じることは、自分が自信を持っている分野のほうが多いはずです。

しかし、きょうたまたま読んだコルクの佐渡島さんのnoteでは、そういった思い込みは『盲点になる』と書かれていました。

自分が得意だという感覚は盲点を生み出す。もう充分に理解している、と思いこんではいけない。


以前、なにかのツイートか記事で『自分で自分のことを「コミュニケーションが得意だ!」と思っているやつは、コミュニケーション能力が高くない。自分のコミュニケーションに多少なりとも不安があって、だからこそできる限り相手に寄り添おうとする謙虚な姿勢そのものが、コミュニケーションなのだ!』みたいな言葉を読んだことがありました。

それを読んだとき、『あっ、これはコミュニケーションに限らず、いろんな分野における話として、とても真理をついているかもしれない!』と思って、あんまり自分で自分のことを分析しすぎないようにしてきたところがありました。

つまり、『自分はこういう人間だ!』と言語化しすぎてしまうと、逆にその言語化した自分に自分が縛られてしまって、窮屈になってしまうかもしれないということです。


しかし、ぼくも昨今の『自分の好きや得意を見つけよう!』ブームに乗せられて、少しずつ自分自身のことを言語化するように意識していました。

そのなかで『あっ、文章を書き続ける体力があることって、一種のスキルなのかもしれないな』と思ったり、『人の話を楽しく長時間聴けることって、実はひとつの強みになるのかもしれないな』と思ったりしていたのですが...。

一歩間違えれば、そういった自己分析が『傲慢』につながってしまうところだった。


たしかに、自分自身のことを分析して、そして言語化することはとても大事です。

しかし、自分自身の強みや特徴を把握したあとにすべきは、その分野をさらに伸ばすための謙虚な姿勢です。

自分にはまだまだ知らないことがある、上には上がいることを肝に命じて、さらに高みを目指す状態。

上の佐渡島さんのnote中にも出てきましたが、まさに『無知の知』ですね。


ということできょうは、『自分の好きや得意を把握すること』と『好きや得意な分野だからこそ、謙虚に接すること』をうまく両立させていくことが大事だなという話でした!

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