スマホで誰でも写真を撮れるようになった時代、フォトグラファーは消滅するのか?
『テクノロジーは技術を民主化する』っていう話、ちょくちょく聞きますよね。
例えば、『写真撮影』です。
昔は一部のすごい機械をもった人たちしかそれができなくて、『写真撮影』という技術によってお金を稼いでしました。
でもいまぼくたちには、スマホがあります。
だから誰でも写真を撮れるようになったし、誰がとっても”それなりに”撮れるようになりました。
こうなると、もう『フォトグラファー』という職業はなくなってしまうのでしょうか?
ぼくは、『否』だと考えています。
飲食店だってなくなっていない
理由は2つあります。
それを書くにあたり、『飲食店』を例に出して考えてみます。
いまって、おいしいレシピはネット上に大量に存在しているし、いろんな機器も売っているしで、家でもお店の味を簡単に再現できるようになりました。
でも、世の中から飲食店ってなくなってないですよね。
理由は2つあって、『ぼくたちがお店に味を求めていないから』と『家だとそれなりの味はできても、それなりの味しか作れないから』です。
まず1つ目の『ぼくたちがお店に味を求めていない』についてです。
料理はもう媒介物でしかない
さっきも言ったように、美味しいものは別に家でも安く作れるようになりました。
だからもう、飲食店は『料理という媒介物を通して、他者、もしくはお店(で働いている人)とコミュニケーションをとる場所』という役割に変わってきています。
すごい上から目線で恐縮なのですが、こっちの理由で生き残るお店は、コンセプトや内装にすごい凝ったお店だったり、個性的な店長やマスターがいるお店です。
お客さんは『味』ではなくて、そこの空間で過ごす『体験』に、お金を払うのです。
それなりにしか作れない
2つ目は『家だとそれなりの味はできても、それなりの味しか作れないから』です。
結局、具材とか調理方法とか、こだわりだしたらキリがないので、どうしてもめちゃくちゃ美味しいホンモノの料理を食べたいと思ったら、高いお金を払ってお店で食べることになります。
誰でもそこそこ作れるようになったからこそ、『本当に美味しい味』の価値を理解できるようになって、高いお金も払ってくれるようになります。
ちなみに、いま『安くて早くてそこそこ美味しいチェーン店』が存在するのは、『味』ではなく『手間』をアウトソーシングしているのです。
なので、『調理のアウトソーシング』というくくりでは同じですが、高級なお店とはすこし事情が違います。
だからフォトグラファーもなくならない
ここまで飲食店に例えて話してきた内容を、フォトグラファーで考えてみます。
1つ目の『体験』にお金を払うというのは、『あなたに撮ってほしい』ということですね。
別に世界一写真がうまくなくてもいいから、あなたと私との関係性のなかから見出される私の姿を、あなたの世界観で切り取って欲しい、ということです。
飲食店では『料理』だった媒介物が、写真撮影では『カメラ』になりました。
2つ目の『それなり〜』については、スマホでそこそこの写真を撮れるようになったからこそ、一眼レフなどを使ってとってもキレイだったり美しい写真を撮る人のすごさが、みんな理解できるようになってきたということです。
だからこそ、普段は別にスマホのそこそこでいいかもしれないけど、とっておきの機会では高いお金を払って、最高の写真を残そうと考えます。
こういった理由があるから、ぼくは今後もフォトグラファーはなくならないんじゃないかなと考えてます。
人にとって最高の喜びは『コミュニケーション』
今回は話の書きやすさのために2つに分けましたが、この2つの理由は本来は不可分に近い要素です。
『あなただから撮ってほしい!』のなかには『あなたはうまいから撮ってほしい!』も、少なからず含まれているからです。
ただ、今後より重要になっていくのは1つ目の『体験』に価値を払う方です。
『体験』というとまたややこしいので、『コミュニケーション』と言ったほうがいいかもしれません。
冒頭にも書いた通り、『テクノロジーは技術を民主化』します。
最近も、AdobeがAI(人工知能)を使ったいろんな加工技術などを発表していて、どんどん『素人』と『プロ』の堺が解けてきています。
そうなると、2つ目の『そこそこだから』という要素は、すこしずつ薄れてきてしまいます。
それよりも、1つ目の『あなたとの関係性』という『コミュニケーション』の要素のほうが、今後のフォトグラファーには大事になりそうです。
いつどこで聞いたか忘れましたが、『人間の最大の喜びはコミュニケーション、自分が分かってもらえた!と感じたときだ』という話があって、それがいまもすごく印象に残っています。
人工知能やらブロックチェーンやら、最近はいろんなテクノロジーが世間を賑わせていますが、それらは結局『手段』でしかなくて、『目的』はコミュニケーションに帰結するんだなということを、最近よく考えています。
▼なので『AIか人間か』っていう二元論に、本質的な意味はないです!ということも書きました
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