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たかが言葉、されど言葉

ぼく、テレビはもうほとんど観ないんですけど『しゃべくり007』だけは小学生の頃から毎週欠かさず観てます。

それで、この前『Bish(ビッシュ)』っていうアイドルグループが出てきて、歌う前のかけ声が『ちんこ』とか言ってていろいろ面白かったので、ちょっと調べてました。

そしたら彼女たち、ファンのことを『清掃員』って呼ぶらしいです。

BiSHっていう名前が『新生クソアイドル』の略らしく、『クソ』にちなんでファンのことを『清掃員』って呼びます。

ただ言ってしまえばこういうのって、別に珍しくはないですよね…。

ファンビジネスをやってる人たちは特に、結束力を高めたり、ファンとしてのアイデンティティを向上させるために、『ファン』以外の名前をつけることはよくあります。

いまパッと思い浮かぶのだと、YouTubeグループのフィッシャーズは、視聴者のことを『魚民』と呼びます。

あとファンビジネス以外だと、糸井さんがやってる『ほぼ日』では、従業員のことを『乗組員』と呼んだりしてます。

ぼく、いままでこういうのは『単なる言葉遊びでしょ』と斜に構えてたんですが、そういう事例に出会いすぎてついにキャズムを超えたのか、最近は『その呼び方ひとつとっても、そのグループなり会社なりが大事にしてる考え方が垣間見えるなあ』と考えるようになりました。

まあ別に、『ファン』と呼んでも『従業員』と呼んでも、誰にも怒られるわけじゃありません。

というか、そうやって呼んでる人たちが多いからこそ、普遍的な呼称として定着しているわけです。

だから、そこからわざわざ別の名前に変えるということは、何らかの『意志』がないとできません。

そしてそこから、『どういう名前にするのか』というところで、もう1段階強い『意志』が求められます。

『清掃員』も『魚民』も『乗組員』も、『単なる呼び方でしょ』と言ってしまえばそれまでなんですが、その名称がつけられるまでの過程を想像したとき、そのグループなり会社の『意志』みたいな垣間見えるのは面白いなあと思うようになりました。

『言葉』って、まだまだ奥が深いです。


▼『言葉』が好きだからこそ、その限界と可能性について考えていきたいっていうことを書いてます!


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