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企業と個人は「お互いなんでも自由、だから対等」という関係性ではない

個人は働く環境を選ぶ自由があるし、企業も応募者の中から入社してもらう人を選ぶ自由がある。これはお互い自由であり、対等な関係と言えそうだ。

企業は自分たちがどのようなやり方で、何をやるかを定め、そこで働く個人に求めることができるが、個人は組織にいる以上その意志に従う必要があり、それを自由に変更することはできない。ここでは企業が優位。

個人はいつでもその企業を辞める自由があるが、企業が個人を辞めさせる自由は日本においては事実上ないに等しい。ここでは個人が優位。

以上のようなことから、総合的には「会社と個人はギリ対等な関係」と言えそうだ。(ただし現実問題で考えれば、バランス的には企業が個人に対して必要以上に配慮を求められている世の中に見える)

もちろん、企業が、とか、個人は、のような両極端な議論に飛躍させることなく、「適度な」関係性を維持しながら組織を運営していくために、双方の立場からのコミュニケーションを継続的にとっていくことが重要だ、みたいなことは言うまでもないだろう。(政治家の答弁みたいになった)

※以下、単位を「部署」「チーム」と区切ってもだいたい同じ。


よくある勘違い

なんでこんな普通のことを書いているかと言うと、SNSなどを眺めていると「こういうのを有耶無耶にして、それぞれにとって都合のいい解釈だけをしたがる人(特に若い人)も世の中には結構いる」と感じるからだ。

この関係性の中でよくある間違いと、本来あるべき姿はこうだ。

個人

「私がいるのだから、会社はそれに合わせてこうあるべき」のような考えは間違い。あなたは組織の象徴となるペルソナでもなければ、その決定権を持っているわけでもない。

決定的に相容れないことがあり、正しく交渉しても変化がないのであれば、自分を変えるか、働く環境を変えればいい(人生の貴重な時間を浪費する必要はない)。その自由は保証されているものだ。

企業

明確な意志を持たない、持っていても示さないことは何よりも大きな問題であり、みんなの意向を尊重したい、などというのは意思決定者の「大切な部下に嫌な思いをさせたくない」などの遠慮からくる怠慢だ。

結果として起きるあらゆるものごとに対して責任を負う覚悟で、明確な意志を持ち、示した上で、毅然とした態度でそれを履行・徹底させていくのが意志決定者の仕事だ。これは自由、というよりも責務だ。

きっと要潤だってそう言うはずだ。


建設的な対話は「前提」を揃えるところから

話を戻して。もちろんこれはそれが前提にあるというだけで、現実的に「気に入らなければ辞めちまえ」のような極端なことにはまずならないだろう。

個人の「気に入らない」にしたって、0か100かみたいなことはほとんどなく「ここはすごく好きだけどここは微妙」みたいなケースが大半だ。

別にそういうことがなくても状況に合わせて柔軟にスタンダードを変更していくことも必要だし、既存の文化を破壊するために意図的に「異質」を受け入れていくことが求められるような場面もあるだろう。

基本的には、中間や境界線については「対話を通じて解決・改善していく」という手段で運用をしていくことになるはずだ。


ただ、ここで重要なのは「前提が揃っていない人とは、肝心なところで対話が成立しない」ということだ。

お互いに正しいことを言っていると思っているのに、なぜか相手には一向に伝わらず、話が平行線になる、のようなことはみなさんも大なり小なり経験あるはず。

それはそもそも「前提」が違うからだ。


先日のカルチャーマッチに関する(クソ雑な)記事がなぞに反響多くて驚いているところだが、カルチャーミスマッチについても「仕事の価値観」という前提が揃ってないと大事なところで対話が成立しなくて大変だからお互い気をつけなという意味だ。

こんなに読まれるなら総合的に雑すぎたと猛省するところだが、より現実に近づけた例えにするならば『「このくらいハンドルを回せばここまで曲がるはずだ」「このくらいブレーキ踏めばあのへんで止まれるはずだ」の基準が自分の感覚とズレてるフェラーリ』のような感覚だ。


企業と個人、に関する話も同じく、というか、それどころかカルチャーマッチよりもさらに手前にある原則だ。同じく車に例えるなら「ブレーキを踏めば減速する」のような次元の話だ。

原則だけにね。


正しい自由を双方が認識することで、初めて対等な関係性になる

ちょっと飛躍するが、ブラック企業がブラック企業のまま存在し続けられるのは「それでもそこで働く者がいるし、辞めても代わりの人材は確保できるからね」というのが根底にあると思っている。

全員辞めて誰も入社しなければ事業は継続できないし、会社を存続させようと思えば抜本的に何かを変えざるを得なくなるだろう(まぁ、そういう判断力を失わせるのがブラック企業なので、あくまで理屈として)。

そこまでいかなくても、「印影がお辞儀してないと怒りだす経営者」とか「家庭で嫁の尻に敷かれてるうっぷんを晴らすために会社でハラスメントまがいのマネジメントして殿様気分を楽しんでるアホ上司」とかがそう有り続けられるのも同じ理屈だと思う。

「みんなそれでも何もいわず黙って働いてくれてるからね」というのはそれなりに企業側の緊張感を失わせる大きな根拠になっているはずだ。


一方で、「何も示さず、何もダメと言わない」という企業側のスタンスはさらに問題であって、それが習慣になると「あらゆる価値観が認められて然るべき」という誤解を組織に植え付けることになる。

その先には、「企業は私たちの意向や顔色をうかがいながら意志決定するのが普通で、それらを汲み取らない意思決定をされることはあってはならない」のような風潮すら芽生えてくる。小学校と保護者会のような関係だ。

意思決定者は、ダメなものはダメと、毅然とした姿勢を示していく必要がある。それはルールや制度のほか、異動や考課など人事にいたるまで、徹底的に浸透されるべきものだと思う。


それを双方が理解することで、初めて対等。健全な緊張感のもと、建設的な対話は生まれていく。個人は企業の意志を体現するために努め、企業はそういう社員の期待に応え続けるよう努める。

というような感じかなと考えている。

こんなこと書いてるがうちの会社もまだまだそのへん途上もいいとこなので今まさに頑張りどころ。頑張る。もちろん一緒にやってくれる人も絶賛募集中。たぶん今年はエンドレス募集中。


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ナイル株式会社 取締役 社長室室長。現在100名ほどのベンチャー企業の人事責任者。このnoteでは主に人や組織、マネジメントなど仕事に関わることについて不定期で更新します。
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