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流され着いた明日の僕は僕じゃない

あれは小学三年生の頃だった。
教室で開かれたホームルームで担任の教師が言った。
「宿題を忘れたものは立ちなさい」
お馴染みの顔触れとなった数人がその場で席を立つ。
席についたままのクラスメイトたちは自分が何も咎められない立場にあるという安心からか笑みを浮かべ、立ち上がっている数人に対して好奇の目を投げかけている。
「またかよ〜」
「何回目だよ」
笑い声が聞こえる。
担任の教師はその雑音を制することもなく、あるいはその雑音にこそ席を立たせた意図があるかのように、宿題を忘れて立たされている数人がクラスメイトの注目を浴びている状況に満足感を浮かべて眺めていたように感じた。

「なんで忘れたのか理由を言いなさい」
「右から順に」
先ほどまでの満足感を抑えて厳かな口調になって、立っている中で一番端にいた生徒に指を指した。
「昨日は帰ったあと〜〜があって、それで、忘れちゃいました」
指名された生徒は言い訳にならない理由を枕詞に置いて、忘れたことを口にした。
「はい。気をつけるように。じゃあ次」
次の生徒が指名された。
次の生徒もまた、言い訳にならない理由を述べつつ忘れたことを口にした。意味のない問答が、おそらく地球で一番無益な時間が、この空間を支配していた。
また次の生徒が指された。
「怠けました。忘れてないです」
言い切った。クスクスと笑い声が教室から聞こえる。言った生徒は反抗心と微かな怯えを瞳に同居させながら、その小さな体を堂々と起立させて教師を見つめていた。

***

思い返すと、あれは大人になるための通過儀礼のようだった。僕はそれを拒否したあの日に、ほかの生徒たちと別々の道を歩き出したと言ったら大袈裟だろうか。
この先、理不尽を受け入れなくてはならない時が数多く待ち受ける。嫌でも、納得できなくても、無意味でも不毛でも価値がなくても、やれと言われたらハイと応える必要がどうやら世の中にはあるのだ。そんな辛くて大変な大人になるための通過儀礼をあの日の僕は拒否したのかもしれない。

といっても僕はそれほどかっこいい男ではなくて、嫌々ながら渋々ながら理不尽を受け入れてやり過ごしたことも今まで何度となくある。
社会は非情で、僕の心情を慮ることもなく突きつけてくる要求に屈して、「ハイ」と愛想笑いを浮かべた日もあった。
その度に僕の細胞は悲鳴を上げて、寿命は縮み、ストレスが身体を蝕んだ。知らないけど。
威圧的な人、声の大きな人、ガサツで押し付けがましい人が苦手になった。
社会は理不尽だ。人に言ったらただの中二病だと笑われるような気持ちをずっと持っていた。

今も治ってないのは、僕が末期の重症患者だからだろうか。

***

憧れたのは表現の世界。ここなら僕は僕でいられると思った。芸術に、エンターテインメントに、音楽に、ボクシングに魅せられ続けて生きてきた。
ここで自由に輝こう。そう決めた。

あの日拒否した通過儀礼を、僕はまだ受けていない。 戦いはまだ終わらない。
あの通過儀礼は、「こうあるべき」の強要とも取れる。宿題はやってくるべきで、先生の言うことは聞くべきだ。そう押し付けられているように感じた。
性別や肩書きや人種や国籍は判断材料として、その人をカテゴライズするのに使われた。それは呪縛のように本人の自覚もないまま縛りつける。
自分自身でも気づかぬ間にポジショントークをしてしまっていることに気づいた時はその場から逃げたほうがいい。
しかし場所も時間もお金も、人はあらゆる制約から完全には逃れられないようだ。

世間では、男は強くあるべきで女はお淑やかであるべきだ。
そんなジェンダー論が大嫌いだ。「男らしさ」「女らしさ」、そんなものを強要される雰囲気が大の苦手だ。
僕が求めてやまない自由とは相容れなかった。

***

ボクサーは強い男であるべきだった。
もし自分が弱さを晒け出した上で強さを証明できたなら、「男らしさ」に対するアンチテーゼを掲げることになるかもしれない。
繊細で弱くて女々しくて情けなくてかっこ悪い僕が、豪快で強くて男らしくて逞しくてかっこいい人たちに勝つことができれば、男社会に根強く残る強さの呪縛をほんの少し和らげることができるかもしれない。
「男は強くならねばならない」の強迫観念に苦しむどこかの誰かの救いになれるかもしれない。

ただ、今はとにかく勝ちたい。この日はあらゆる感情も信念も置いておいて戦うことに集中して没頭しよう。勝たなければ、始まらない。

日付 3月16日(月)
開催場所 後楽園ホール
開始時間 18:00時頃 第1試合開始
フェニックスバトル71

第3試合
ウェルター級8回戦
"奇才"
遠藤健太郎(大橋)
vs
日本ウェルター級8位
2017年度全日本新人王
重田裕紀(ワタナベ)

SRS席 1万5千円
RS席 1万円
指定席 6千円

チケットの販売時期はまだ未定ですが、販売開始になればまたお知らせしますのでよろしくお願いします。

***

ディズニー、タピオカ、インスタ映え……
うんざりしてる君も、流されてる君にも、僕はありのままの僕の言葉を伝えたい。
女子力なんてクソ食らえ。女子が好きそうなんて概念は消えてしまえ。
生きていればどうしても付いて回る環境から、肩書きから、枠組みから、ジェンダーから、君の心が自由になれるように僕は叫び続ける。
誰よりもステキな君の意思が、周りの誰かによって流されてしまわないように。

いい表現者は恋愛においても、きっと繊細でかっこ悪くて重くてしつこいものだと思う。
かっこよくてスマートな恋愛を楽しめる人には抱けない感情も書けない歌詞もあるでしょう。
恋愛弱者の味方をしてくれる恋愛ソングの数々に、恋愛弱者の僕はずっと救われてきた。
だから僕は僕から逃げない。真っ向勝負。自分自身を受け入れて、伝えたいことを伝えよう。
いつか君や誰かの救いになれるかもしれないと信じて。
もしかすると、これからの未来で平和に社会を改革するのは、社会不適合者の叫びがきっかけになるのかもしれない。
圧倒的社会不適合者の一人として叫び続けてやる。夢想した希望を胸に、楽しくやろう。

***

バカでちっぽけでかっこ悪い僕の歌は、大好きな君の胸には届かない。でも僕はバカでちっぽけでかっこ悪いまま歌い続けるよ。
いつかのために。重すぎる恋を叫ばせて欲しい。

P.S 大好きな君へ。早く彼氏と別れろと、呪いを込めて送ります(笑)

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