震災復興とベクトル
震災復興のまちづくりのサポートをしていた仙台の沿岸部をまわり、お世話になった方々の近況などを訊いた。
私は、2012年から2019年までお手伝いをしていた。
都市デザインワークスの一員としての仕事だった。
その時の様子をフェーズごとに整理してみたものは、こちらのポストで書いた。
日光に戻ってからも、仙台に足を運んだときにお会いできる方もいれば、久しぶりにお会いできた方もいた。
本当に色々な話になるのだけど、中でも被災直後とその数年後、そして現在のコミュニティの様子を比較してみた話が一番印象に残っている。
地元で復興を牽引した方との様々な話題の中で、
「津波で被災して、“復興まちづくり”を掲げていた時はみんな課題が一緒で、向いている方向も一緒だったけど、今はみんな“自分の向きたい方向”を向いている。」
という話が一際印象に残っている。
平時のまちづくりでも、「気づいた人」が苦労する部分だろう。
これは、ある意味は自然なことで、問題意識や課題などはそこまで共有されていない。
事故や災害などがない、日常の中にあっては、問題・課題はだいたいにおいて「うっすらと」潜んでいて、積み残されたものほど深い。
また、それぞれの環境や暮らしぶりによって、様々だ。
テンション、温度感だって変化があって当然のものだ。
それらの観点でいえば、「健全」な状態なのかもしれない。
しかし、そう話してくれたその表情は、少し寂しそうだった。
東日本大震災から10年。
復旧を含めた復興が、これからも活きるためのふりかえりは必要だろうと思う。
そして、復興まちづくりが、平時のまちづくりにスライドしていく難しさと、そのようなフェーズの大切さとあらためて思った。
でも、話を伺ったその方は続けてこうも仰っていた。
「復興まちづくりはいい経験だったし、よかったと思う」
「復興」がどこまでか、というのは曖昧なものだ。千差万別。
しかし、「まちづくり」の観点でいえば、本来は「終わりのない」ものだろう。
そんな「本来」の姿を今後も期待したい。
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