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ごめんなしてくない 若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』

ごめんなしてくない、ごめんなしてくない。

祖母がめいっぱいの言葉で謝りをいれる後ろ姿。玄関から立ち去っていく男たちの姿。その景色というか、匂いというか、それを覚えていて、廊下の物陰からみている俺がいる。

祖母は額付いた頭をあげて、いつの間にかこちらをみて居直っている。

おめ、ずいぶんおがったなあ。めんけくなって。こっちさこ、こっちさ。あいやぁ、ちけねもんだな、さんじゅうねんだと。

祖母に育てられたからだと思うけれど、僕の底にはあの東北訛りが堆積していて、ときおり顔を出す。「東北弁喋ってみてよ」といわれてもうまく話せないのに、なぜか夢では東北弁を使う祖母がよくでてくる。

『おらおらでひとりいぐも』。テーマは王道だと思う。生きてる意味はあったのだろうか、と言葉を変え問いかけてくる。娘として、妻として、自分として。

おそらくそれだけだったらこの作品は優れたものにならなかった気がする。この作品は、東北弁という語りのなかに、どこか古層のようなものをみてとれる点が新しい。その古層は地球46億年の古層であり、「桃子さん」の古層である。

そして古層は、決してひとつの声で表されるわけではなく、とても多声的だ。言いかえれば、喧しい。その声のなかに野性も入っている。茶の間で仏壇の前で裸になって踊り狂う姿は一種の祝祭、〈カーニバル〉のようである。

幼い桃子さんも中年の桃子さんも老齢の桃子さんも並んで大勢で墓参するシーンのなんと強烈なことか。日常を舞台にして狂っている姿を描く、描いてもいいのだというのが、励みになる。

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京都にいると、なかなか東北のひとに会わないなぁと思っていたら、京都マラソンの出店に宮城県民会のかたがた。50年前に田舎を出たひとたちがつくるずんだもちが、ずんずん、だんだん、と懐かしく、ほっこりしましたとさ。

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