スッと想像できる比喩の世界

『共感』とは、どのようなものか、説明してください。

と言われて、あなたならどんな説明をしますか?
辞書を引くと、このように書かれています。

―する  他人と同じような△感情(考え)になること。
「心情的―を覚える/―を呼ぶ」
新明解国語辞典より

わかるような気がするけど、数時間後にまた説明しようと思うと、ちょっと自信がなかなる人も多いはずです。


じゃあ、次のことを想像してみてください。

目の前に一本の、火のついたローソンを立てる。
僕はおもむろに、その火に自分の手を重ねます。
あまりの熱さに顔をしかめて、額に嫌な汗を滲ませる。
「ジリジリ」という、焼け焦げる音。震えながら炙り続ける手。

多くの人はある程度の想像ができて、あぁ痛々しい。と感じることができたと思います。
これが共感です。

難しい言葉を使って説明しても、相手に伝わらなくては何も意味がありません。

自分の話をどの深さまで伝えられているか。
どのくらいの解像度で、その映像を脳に焼き付けられるのか。
それは話し手の話し方次第です。
(もちろん、質問力で引き出すことも可能ですが)


村上春樹の小説の中で、しばらく次の文章が読めなくなるくらい、心に響く喩えがありました。

「僕は思っているよりも、妻のことを理解をしていなかった。広くて真っ暗な部屋を、頼りないランプ一つで入って行くくらい、僕は彼女のことを見えていなかったのだ。」
ねじまき鳥クロニクルより

僕はこの表現を読んで、しばらく放心でした。
ポカーンと口を開け、空想に浸りながらその世界の主人公になったような。

「その手に持つランプが、僕なら何を持っているのだろう?」
「そもそも僕なら、妻のドアの入り口に目を向けているだろうか?」
「その対象が、他人になったときも、もっと明るく照らす照明を持っていないと。」

たった数行の文章で、他のことまで考えさせられる表現力。圧巻です。


知れば知るほど広がる世界。
世界はどこまで続くのか。

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