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学ぶべきは「国語」

7/14(水)の日本経済新聞から、『「普段着の日本語」学ぼう 哲学者が説く 論理力の鍛え方』。

 SNSなどのソーシャルメディアを通じ、背景や前後の文脈が分からないままに断片的な言葉が流通し、広がっていくことで、言葉と言葉をつないで理解、議論する論理能力が低下していくことを危惧しています。

 そうした断片的な言葉は「共感」か「反発」のいずれかしか生み出しません。「共感」は人間が持つ大事な能力の一つで、これがなければ社会も人間関係も成り立ちませんが、「共感」だけに頼る発言や行動は、時に重要な本質を置き去りにしてムードだけで拡散していく危うさをもっています。

 筆者は、言葉が断片化した原因の一つがSNSの普及によって形成された「お友達社会」、すなわち、論理がなくても通じ合える仲間うちにだけのコミュニケーションが増えていることだとした上で、「論点を整理し、根拠と結論の関係を明確に言葉にできる」論理能力を磨く必要性と、それは「国語(=語学としての日本語)」の力であることを説いています。

 さて、「言葉の断片化」は、会社の中でも起こり得ます。
 本来はその会社の「意義(Purpose)」に根差す重要な取り組みを、手っ取り早く“活動の実態”を作りたいがゆえに単純な活動テーマと数値指標に矮小化して伝え、挙句バズワード化したテーマとKPIが目的化してしまうという現象は、あたかも依存症のように次なるテーマとKPIを産み、現場をタスク地獄へと追い込みます。

 理解し、浸透するのに時間がかかることは、それだけ重要なことであるとすれば、それを安易に短縮しようとするのではなく、考え抜き、議論し尽くすべきです。
 そして考える際に必要な材料は、「単語」ではなく、「論理」すなわち文章や物語であるはずです。

 「国語力を鍛えること」は、個別企業においても、すぐに着手すべき重要テーマなのではないでしょうか。


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