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聖地巡礼記 我がまま娘をインドに連れてったら⑫

2017年インドに小学校の娘を連れて
家族でバックパッカー旅をした話

僕らは上海に住む3人家族です。

僕;日本人
妻;上海人(劉さん)
娘;小学4年生(当時)→インドに興味なし

2017年2月3日
インドの西の端ジャイサルメール

夕方の列車でジャイサルメールを離れる
その後は上海へ戻る怒涛の移動が待つ

最後の観光が始まる

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まだ観光してないマハラジャの城に入る事にした

城に行く途中で店に立ち寄った
ここで売られている革製品や装飾品は
かなり安い

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後々 買っておけばよかった
となりそうな値段だ

僕は昨日買ったガネーシャの彫刻に
満足していたので
壊れずに持って帰る事を気にして

頭に巻いてるターバンでクルクル巻いて
持って帰ろうと考えていた

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マハラジャの城は迷路のようだし
暑さ対策も建築の仕組み的に計算されている

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日陰の使い方に知恵を感じる
日向では立ってられないほど暑いが
日陰に入るとひんやりと涼しい風が吹き抜ける

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大理石の部屋と風の通り抜ける複雑な通路

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空気の流れを計算したかのような
窓から入る風の流れが
ここちいい

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何か不思議な建築だな~
化学の発達した近代建築でも
考えられてない通気性だ

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少し前まで 
この城に住んでいたマハラジャ一家

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幼い王子の写真が飾られて生々しい
つい数十年前までマハラジャが住んでいた
近代化により数百年の歴史に幕を閉じる

ジャイサルメールの
ラストエンペラーかもしれない

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城を出た後、町をブラブラしていた時に
レストラン名「フリーチベット」を発見

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何でこんな場所に こんな名前の店があるのか
判らないけど 気になった

ダライ・ラマ14世の写真やチベットの写真が
壁に沢山貼られていた

何かメッセージを発信したい店の
思惑もありそうだ

劉さんに入る?と 
中国人にはタブーな人物

ダライ・ラマ14世は中国では
国家反逆罪の扱いだから

中国国内でメディアが
取り上げる事は少ない
チベット統治を完成しつつある
中国では ある意味 
共産党からは好まれてない人物でもある

今の若い世代は その歴史を知らないし
知る機会も少ないだろう

中国では自由に議論できない名前の店に
入るドキドキを少し感じた

食後、僕は城塞にある
布屋を見つけ安いサリーを何枚か買った

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昼食中に娘と書いたポストカードを
日本に送る為に郵便局を探しにいく

城から離れた場所に郵便局があり
オートリキシャを捕まえ

地図を見せ郵便局の場所を指し
値段交渉した

郵便局が見つけられず
何度か道も間違えた

郵便局に着き当初より高い金額を
請求される

お金の感覚も慣れてきたので
金銭感覚も つかめている

道を間違えたりもあったけど
少し値段が高く感じたが
僕は まぁ 高いけど

日本円にしたら数百円程度
まぁいいか!という感じでお金を払う

その時に

劉さんが 急にキレた!

値段が高い事に激怒!
僕と娘はビックリ!

先ほどまで心地よい風に浴びて
何もない顔してたのに
怒りオーラも出てる

娘に何で怒ったの?と目で合図
娘も 私悪い事してない!って顔

一番 驚いてるのはオートリキシャの
可愛いインド人の青年だ!

目の綺麗なインド人青年は

目がキョトンとなってる

開いた口がふさがってない(笑)

僕と娘は 
劉さんから逃げるように

少しずつ後退
後は目の綺麗なインド人に任せる!


劉さんは 値段が高い!と怒ってる
インド人 中国人にビビってる
インド人も反発し 揉めだした

劉さんは諦めたのか直ぐに終わり
オートリキシャは走って行った


劉さんは半笑いで こっちに歩いてくる

笑ってるので僕は安心しながら
何を喧嘩したの?と

お金騙すから怒ったの!と
劉さんなりに正義感を出してる

でも途中で思ったの
彼らも これで生活してるって

別に大した金額じゃない
彼らの中では これは犯罪ではなく生活の手段
機械メータがあり金額を決めるわけじゃない

全ては言い値
だから交渉が全てになる
同じ距離でも交渉上手か下手かで値段は変わる

そこに僕らの違う文化感で
精度の悪い事に文句を言っているだけだ

少々高くでも 彼らのキレイな目を見たら
何故か ゆるせるのよね!と
インド人の素敵な目と笑顔に
怒りもフェードアウト

僕にもインド人の
綺麗な目が欲しくなる(笑)

僕は劉さんに
インドに来て あまり怒ってなかったので
1度くらいはインド人と喧嘩したいと
思ったんじゃないの?

今 無理やり怒ったでしょ(笑)
もうインド最後だし・・・でしょ?

娘は うん うん! そう思う!って
すると劉さんも ニヤニヤ 

アレ? 当たったかな?(笑)と僕


劉さんは うるさいわね!
早くポスト探して!と

これ以上言うと 本当にキレるので
僕と娘は素直にポストを探す

本当にこんなゴミ箱みたいなポストから
日本に届くのかな〜と
ドラム缶みたいなポストにカードを投入

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歩いてホテルへ戻る途中で
何組も学生に出くわす

3,4人のグループで帰宅してる
僕らと目が合い
みんな笑顔で手を振ってくる

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そして何故か

郵便局から僕らの後ろには 
ずっと

もついてくる

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僕が止まれば牛も止まる
僕が歩けば牛も歩く
僕が右に曲がれば牛も右に曲がる

そして
また素敵な笑顔の学生とすれ違う

勇気を出して後ろの牛に語りかけてみた

僕の事しってるの?会った事ある?
真面目な顔して牛に声をかける

こいつ前世で友達だったかな?
それくらい縁を感じる牛だ(笑)


3人は1列になりホテルに向けて歩いてるけど
傍からみると

牛も入れて4人でパーティー組んで
歩いてる様に見える

これじゃリアル ドラクエなんだよな(笑)

ホテルに着き荷物を持ち
ジャイサルメールの駅へ

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すっかり旅慣れてきた頃に旅は終わる

寝台列車に乗り込み首都のニューデリーに向かった
ニューデリーから飛行機で初めの都市コルカタへ飛んだ

インド移動計画6

コルカタから、数時間後の飛行機で
中国の雲南省の昆明まで行き昆明から上海へ

まるまる2日程かかる帰り道は怒涛のルートだった

家に戻り

劉さんは やっと火鍋が食べれる~!
娘はタピオカミルクティー飲める~!
僕は日本のカレー食べたい~!

今日はカレー食べに行こう!と言うと

絶対に嫌!という強い反発にあい
恋しかった激辛の四川火鍋に行った

やっぱ中華だね(笑)


我がまま娘は インド旅を どう思ったかな?

二度と出来ない旅になった事だけは
間違いない!

きっと死ぬまで語れる旅だ

娘の記憶にどこまで残るかは
わからない

僕はその後
簡単な家族旅行ムービーを作り 
今でも たまに見たりする

僕には昨日のような思い出も
娘はドンドン古い記憶に置き換わる

何十年後かに旅した映像を見返して
僕は娘に 旅の想いで話をしてみたい

我がまま娘をインドに連れてったら

我がままは ちゃんと維持しながら
想像を超えて楽しんでた


ー完ー

旅の中で記事に出来ない話もあり
小さなトラブルも沢山ありました

そのたびにインド人に助けられ
僕らが旅の中で出会ったインド人は
人を助けてくれる人達ばかりでした

そこにはヒンドゥー教や仏教の思想が
見え隠れしてました

きっと心の奥で
これ以上するといけないと
見えない力が働くかのようでした

とはいえ
ネットでは酷いエピソードも多く見つかり
怖い国と思いながら向かったインドでしたが
無事に戻り

家族でインドを
バックパッカーしてる人は少ない印象
でしたけど、

家族でインドをバックパッカーするからこそ
楽しいことも知りました

長文、乱文でしたが
最後まで読んで頂きありがとうございます
楽しく読めたり参考になれば幸いです
何より記録として残す事は意義があり
自分でも振り返りながら楽しく書けました


■インドについてもう少し触れたいので
あと少し記事を書きたいと思います

もう少しお付き合いください

聖地巡礼記 過去記事はこちら↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

聖地巡礼記 ミャンマー編↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


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