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聖地巡礼記チベットへゆく⑲永遠の刹那を感じて

チベット(西蔵)へ聖地巡礼の旅

仏教は長い歴史において実は今
大きな転換期をむかえている

仏教史において後世語り継がれるであろう時代を僕らは生きているそして歴史の目撃者となるチベットへ行くはシリーズでつづっています是非過去記事からどうぞ!

永遠の刹那を感じて

海抜5190Mで臨死体験に似た経験をし
聖なる湖へ向かう車の中で 
さっきの事を考えていた

なんだったのだろうか?
夢ではない
時間が経てば薄れる記憶を書き留め
忘れないようにした


たいした怪我ではないにしろ
打ちどころが悪ければ大きな怪我を
していても不思議じゃないから
運が良かったと思うしかない

スマホで撮影された動画が
SNSで投稿されてるなら逆に見てみたくなる

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車は峠を下り30分ほどかけて湖のほとりに着き

駐車場に着き
妻から 湖の畔まで歩ける?と聞かれ
迷惑かけるし
僕は車で待機するわ として諦めた

もう吐きたくないし

妻とガイドは
湖の畔まで歩いて行った
冬は凍り綺麗な湖を見れる期間は決まっている
空の青さと雪山の綺麗な白を反射させ
チベットの天界の湖はとても綺麗な青色で
空にとても近い

駐車場から湖の畔までは随分と距離がある

僕は車から降りて湖を見て待っていた

折角 ここまで来たのに近くまで
行けないのは やっぱり悔しい
ここでも十分綺麗なんだけど
もう少し近くで見たいと欲が出る

妻とガイドを追いかけるように
僕も後を追う事にした


しかし足が全く動かない
1歩 1歩と歩くスピードが遅い
自分の体じゃないみたいだ
思うように動かす事ができず
足を引きずるように歩く

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湖畔の150m付近に来て
帰りの道のりを考え
もう体力と気力と精神の限界になり
諦め引き返す事にした

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ゆっくり車に戻ってるいると後ろから
妻とガイドが追いついてきた

あれ 車で寝てなくて大丈夫?と
言われたけど

メリーには勝ったよ!
僕は150Mまで近づいたからね!
まだゲロも吐いてないし と
僕の方がスゴイというアピール

すると妻がメリーの吐いたゲロを
野良犬がなめてたよ〜と
変な事を言うので想像したら
気持ち悪くなり吐きそうになる

我慢我慢!ここで吐いたら負ける

何とか車まで戻り
拉薩まで海抜が下がるのを待ちながら
目を閉じて、ゆっくり深呼吸を繰り返した

数時間走り すっかり日も暮れ
拉薩に夜7時頃に戻って来た

最後の夜だけど
僕はもう1歩も動けない
部屋に戻ると そのまま
深く寝りについてしまった

今回の旅は僕にとって
ずっと夢の中にいるよで不思議な
旅になった

最後の夜
また夢を見た

夢の中の僕は高山病ではなく
思い通りに体が動き軽くフワフワしている
そんな自由な体が心地いいと思いながら
旅を振り返っている

夢の中の僕は
ずっと昔から拉薩にいるようで、
上海に帰ることを考えず
でも、もう終わる旅を振り返り
懐かしくなっている

始まりもなければ終わりもない
永遠の時間の中にいるようで
旅を振り返る一つ一つの出来事は
刹那に過ぎ去り儚く悲しい

永遠なんてこの世にない
全ての ものには終わりがある

朝目が覚め 気分がよかった

ホテルの部屋から朝日に照らされた
美しいポタラ宮殿を最後に目に焼きつけ
僕は拉薩の旅を終えた

永遠の刹那を感じて

長い年数疑問に思っていた事
仏教が何の為にあるのか?

その問いに今回の旅で
自分の中で答えが出てしまった

幻の寺で僧に最後に言われた言葉が
仏教が存在する目的を教えてくれた

その言葉を聞いて全てが繋がり
謎解きパズルが解けた僕は
やけにスッキリした

人の心を強く動かす
信仰とは
いったいなんなのだろうか・・・
人生をかけた信仰をするチベット仏教信者達は
輪廻思想の輪の中で来世へ繋げ今を生きる

チベット仏教をみていると
精神世界を極めた者が解脱を許される
この世は魂の下剋上
悟りを得てブッダとなった者だけが
許される輪廻の開放は
究極の精神世界の扉を開ける事になる

釈迦の説いた精神世界の境地
2500年間の中で
この扉を開けた僧は一体何人いるのだろうか

それに魅了された僧達の物語こそが
仏教の魅力

チベットへゆけ 
とノルウェーで出会った日本人僧の
あの言葉を聞いたから僕は
ここまでやってきた

今、あの僧と会えたら僕はどんな話を
するのだろうか

ようやく
仏教が何のためにあるのか
理解できました

そして死を受け入れる準備もできました

そう伝えるだろう

この章の最後に今でも愛される
ダライ・ラマ六世の有名な詩を一つ紹介

二つの羽を私にください
鶴に羽根を借り理塘リタンに戻ってきます
そこで生まれ変わる

チベット仏教界で唯一仏塔、霊塔を持たず
廃位され偽物の烙印を押された
恋するダライ・ラマ六世

この詩を残した事で
六世の魂を引き継ぐ
転生僧トゥルク理塘リタンで発見され

七世へ繋がった

彼は偽物ではなかった
と僕は信じている

魂は引き継がれ チベットへゆく


第一部 -完-

■第一部のあとがき■

後に妻から聞いた話で
妻はガイドに幻の寺に行った話をした時に
ガイドから強く叱られたらしい
許可していない寺に外人が行った事になる

妻はともかく
僕は拉薩では行動制限がありガイドと同伴が
義務付けられている事から本来行く事が
できない場所


事前に申請すれば いけるかもしれないが
恐らく許可が下りない可能性が高い

というより その寺を申告できる事はない
公にされてないのだから

ガイドから
勝手な行動をしないようにと・・・
でも何もなく戻ってこれて良かったと
言ってくれたらしい

僕はチベットに

招かれたのか客だったのか
招かれなかった客だったのか
を今でも考えてしまう

拉薩駅でガイドと別れ際

「チベットは変わりましたが
私たちはこの土地を継承し生きてゆくのです
素晴らしい旅になりましたね。また遊びにきてください」

と この土地に残された
信者の強く固い意志を短い言葉に感じた

歴史というのは時に残酷で
ドラマチックだ

仏教はインドを追われ
ヒマラヤを超えチベットに引き継がれ
衰退を免れた

そして役目を終えたかのように
仏教は故郷インドへ800年の時を経て
帰ってきたのだ

ダライ・ラマ十四世は
インド ダラム・サラで消えかけた
仏教に灯を入れる

これは運命の悪戯か
今僕らは

この仏教の歴史の大きな転換期の時代を
生きている

そして次の法王 
ダライ・ラマ十五世へと

魂がツナガル日が
やってくると信じたい

僕は心のどこかで
次期法王の十五世は
同時に二人存在してしまうのではと
妄想してしまう

ダライラマ十四世は
政府との駆け引きで先手を打ち
私が最後の転生僧トゥルクとなると告げた

しかし今の政府が
次期法王をチベットの伝統に反して選定し
政府のコントロールできる人物を
継承者として拉薩へ連れてくるかもしれない

そうなればインド ダラム・サラでは
正当な転生僧トゥルクを探し出し
本物を見つける事に迫られる

ダラム・サラに拠点を置いた
ゲルク派の僧は願う

お願いです
私たちの近くに堕ちてきてください
チベットに堕ちたら探しに行けません


十四世 最後の大仕事はチベットに
堕ちないことである


私たちが歴史の目撃者となる
その日は、迫っている

故郷インドで再び仏教が栄える日を夢見て


シリーズ チベットへゆく
愛読ありがとうございました


↓↓過去記事はこちらをどうぞ!

↓↓聖地巡歴記 インド編 はこちらをどうぞ!

↓↓聖地巡歴記 西安編 はこちらをどうぞ

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