見出し画像

遊びがあること

仕事でも「遊び」がある状態(楽しんでいる状態)をつくりたいと感じます。遊びとは何か、考えてみます。




1. 遊びを手放さない

為末さんの『熟達論』5段階は「遊」から始まります。熟達への道の初期段階です。この「遊」は、熟達していくプロセス全体においてとても重要だと捉えており、遊びは入口であり基盤だと思います。

クリエイターに最も重要な素養は「探究心」です。遊びが有する好奇心の延長から、ものづくりの世界へと飛び込み、深く探究し続ける力です。とはいえ、探究心を持ってさえいれば良いわけではありません。

他者のアドバイスを受け入れる「素直さ」も必要でしょう。しかし、他者の意見を素直に聞きすぎると、自分軸を得られずに彷徨ってしまうことも。この時は「遊び」が無い状態です。


2. 遊びがあれば成果が上がる

20代の頃担当していたプロジェクトで「遊びが足りない。もっと遊んでいいよ」というアドバイスをもらうことがありました。実際に遊びが無く、仕事を楽しめていませんでした。

デザインは正解が無い。正解が無いため苦しみます。苦しさの中に、楽しさを見出す。楽しめているかが最終アウトプットに現れます。

一方、対極にあるであろう「型やルール」を守る事も大切です。ですが、型から逸脱しないように努める行為に「遊」は有るでしょうか。その際、アウトプットは及第点に留まってしまう。

楽しんで取り組んだ際は、良い結果に辿り着いているのではないでしょうか。


3. 遊びは筆を走らせる

自分が楽しむこと。自分の中にゴールが思い描けていること。そのような状態は迷いが一切ありません。楽しい。筆が走っている状態です。結果、活き活きと輝きを放つアウトプットが完成します。

それはもしかすると、洗練されておらず完璧ではないものかもしれない。しかし、自身の意思とリアルな感情が散りばめられたクリエイティブとして、たしかに息吹が宿っていることを感じ取れます。

以前、キャラクターデザインをしていた頃。「太田くんがつくるキャラは活き活きしてる」と言われたことがあります。その仕事はとても楽しんでいました。遊び心と業務の方向性が合致していたのかもしれません。


4. 遊びは時間を要する

遊び心によって動かされる創作活動は、完成に達するまで時間がかかります。「もっとこうだったら良いな」という純粋な気持ちが有る場合、時間が過ぎていく事を意識できません。

逆に「これをつくるのは工数がかかるな」と感じている場合は、想像を超えたアウトプットを生み出すことが難しい。見た人へ驚きや感動を与える創作は「つくり手が楽しめているか」と連動しているのでしょう。

決められた型・ルール・過去の前例を一旦除外し、今この瞬間・このプロジェクトを楽しめるか。遊びの状態に自分を誘導できるかが問われます。


まとめ

遊びは楽しい。「好きこそものの上手なれ」と言いますが、好きを仕事にした場合、次第に本来の好きから遠ざかってしまうことも。

それは、成果を出さなければいけない、失敗してはいけない、などと自分にプレッシャーをかけてしまうからかもしれませんね。

しかし、「好きだからやっている」という遊びに近い感覚を忘れずにいたいのです。よって、社員全員が自分のやりたい事を自由に挑戦でき、仕事を楽しめる環境をつくりたい。

まるで遊びを楽しむかのように業務を遂行する。周りからは、その遊びが努力に見える。そのような理想の状態を目指していきます。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?