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[ショートショート]チモリンシュガー・スノーフィールド

 僕の通う高校はかなり田舎にある。校舎の周りは田んぼと畑に囲まれており、冬になって雪が積もれば辺りは見渡す限り真っ平らな雪原となる。雪かきが及ばない田畑はかなり分厚く積もるのだ。
 それを見越してか校舎の床は結構高く造ってある。だから雪面は一階の教室の窓よりも低い位置にとどまるのだが、それでも積雪量が多い時には窓のすぐ下まで積もる事があって、初めて見た時は驚いた。まるで校舎全体が地盤沈下したような錯覚を起こした程だ。

 今日は、そんな校舎の一階に設けられた家庭科室で調理実習がある。
 実はこの日を楽しみにしていたんだ。なぜって、窓のすぐ下まで迫った雪面を眺められるからさ。特にここ数日は寒さが厳しく積雪量も多い。いつも授業を受ける三階の教室からもかなり積もっているのは分かっていた。
 窓辺にもたれ、できるだけ視線を雪面と同じ高さにして景色を眺めると、何だか小人になったみたいな気持ちになるのが楽しい。そして小人になった僕はどこまても続く雪原でいつまでも雪遊びをするのだ……。おかしなものだね、実際の僕は寒い思いをするなんて真っ平御免で、毎朝登校するのも躊躇ためらう位だっていうのに。
 そんな訳で、僕は一足先に家庭科室に入り、直ちに窓を開け放った。途端にひゅうっと冷たい風が入ってきて、僕の頬や首筋を撫でた。
 室内は少しばかりんやりとしたが誰も文句は言わないだろう。大抵教室は暖まり過ぎているからね。
 北国の学校はどこでもそうだろうけど、冬は大抵ストーブやらヒーターやらが一日中ガンガン炊かれているものなのだ。おかげで男子も女子もほっぺたが赤くなってしまう。田舎者のステレオタイプが生まれ出づる瞬間だ。だからちょっと外の空気を入れてやる位で丁度良いのさ(言い訳だけど)。

「お、積もってるね~」
 窓の外を眺める僕の後ろから仲良しのカズキが声をかけてきた。
 カズキは僕の隣に陣取り、僕と同じように窓から顔を出す。二人で覗く雪面はまるで作りたてのショートケーキに塗られた生クリームのようだった。
 と、何を思ったかカズキは身を乗り出して頭を下げだした。顔面を雪にくっ付けてみようと思ったらしい。今日も室内は暑いほどに暖房を利かせていたので頭を冷やしてやろうとでも考えたのかも知れない。時々そんな思い付きを、すぐさま実行に移してしまうのがカズキの面白いところだ。
 ところが、まさに顔が雪に接すると思ったその瞬間、突如カズキはバランスを崩したのだ。お腹が窓の上に乗っかって、まるでシーソーのように頭と足が何度か交互に上下し、最後は頭から雪面に突っ込んで深々と雪原にり込んでしまった。
 上半身はすっぽり雪の中に埋もれ、下半身だけがまるでピースサインのように上へ飛び出すさまを目の当たりにして、僕は以前テレビでやってた「犬神家の一族」という映画の一シーンを思い出しゲラゲラ笑った。
 しかし、いつまでも笑ってはいられない。このまま埋もれていては授業が受けられないじゃないか。それに上着も着ないで雪の中にいては風邪をひいてしまうかも……いや、その前に息が詰まってしまうかもしれない。
 僕は慌てて窓から身を乗り出し、カズキの足を引っ張った。でもカズキのやつ、まあまあ大きな体格をしているので重くて中々引き上げられない。
 うんうん唸りながら引っ張っていると、異変を察したクラス委員のヨシカワ君が横から手を伸ばして一緒に引っ張ってくれた。そのおかげでどうにかカズキを家庭科室に戻す事が出来たのだった。いつの間にか集まってきていたクラスメイトたちから一斉に笑い声が起こった。
 するとカズキは床に座り込んでふうーっと大きく息を吐き、突然正気に戻ったかのようにこう語りだしたのだ。
「信じられないかもしれないけど……」
 急に真面目な顔をするので思わず笑ってしまった者が何人か(僕も含む)居た。
「今、頭から雪に突っ込んだだろ? そしたらさ、口にも雪が入ったんだけど、その雪がすっげえ甘かったんだ。それに冷たくもなかったんだ」
 確かにそれは信じられない。皆一様に、カズキの言葉にどう反応したら良いのか分からない様子で顔を見合わせた。冗談にしたって大して面白くもないしね。
「ちょっと俺、もう一回行ってみる」
 そう言って立ち上がったカズキはあっという間に身をひるがえし、まるでプールみたいに雪原に飛び込んだ。
 さっきと同様雪面にり込んだカズキは、やはりピースサインのように雪面から突き出した足をじたばたと動かし、徐々に雪の中に潜っていった。泳ぐように雪を掻き分けているらしい。まるでモグラである。
 やがて数メートル離れた所から顔を出したカズキは「ほら、見たろ! 冷たくないし、めっちゃ甘いんだって! 来てみろよ!」と、そう言って手招きするではないか。
「へ~、俺もやってみよう」そう言ったのはクラス一のお調子者、ユージだった。ユージは窓から身を乗り出して頭を雪に突っ込み、すぐに口をモグモグさせながら顔を上げた。そして「本当に甘いや」と言うなり身を投げるように雪原に飛び込んだ。
 それを機に、周りで見ていたクラスメイトたちは次々に窓から飛び出していった。一瞬躊躇したが、僕も結局窓から飛び出していた。あまりに楽しそうだったからだ。『乗るしかない、このビッグウェーブに』というやつだ。
 実際雪の中に入ってみると、なるほど確かに甘いし、全く冷たくない。一体どういうことなんだろう。
 やがて始業のチャイムが鳴り、家庭科の先生が家庭科室にやってきた。ところがそこにあったのは生徒たちが残らず窓から飛び出していく光景だったのだからたまらない。
「ちょっとちょっと! あなたたち何してるの? 教室に戻りなさい!」
「あ、先生、コレすっごく甘いんだよ~、来てみなよ~♪」
 窓の近くの雪面から顔を出した女生徒が答えた。しかし立場上、先生は中々そういう訳にはいかない。
 が、そうしてる間にも、学校中の生徒が次々と一階の窓から雪面にダイブしていく。ただ、さすがに二階や三階の窓から飛び込む猛者は居ないようだな。
 あるいは居たかもしれないが、僕は ――おそらく他の皆も―― それどころではなかった。ただただ甘い雪の中を這い回るのに夢中だったから。
 雪原の遥か向こうでも次々と誰かが雪に飛び込む様子が見えた。近隣の住民もこの不思議な雪に魅了されたらしい。
 あれ、いつの間にやら生徒たちに混じって先生たちも雪の中ではしゃいでいるぞ。生徒たちを連れ戻すのは諦めて開き直ったのだろうか。まあこの高校の校風に合っていると言えば合っている……のかな?
 周りを見渡せば、クロールで力強く雪を掻き分けて競争する水泳部の奴らが居たり、ダンス部の女子たちはアーティスティックスイミングのように揃って身をくねらせていたり、グータラな一派は雪の上に寝転がって時々寝返りを打つようにして雪の味を楽しんでたりする。その一方で、僕は特にどうしたいという事もなく、何となく雪の中を行ったり来たりしていた。
 すると偶然にも同じクラスの女子、カネダさんが雪を掻き分けてこっちにやって来るではないか。
 実を言うと僕はカネダさんに告白するチャンスを前々から狙っていたのだ。この底抜けに楽しい雰囲気ならドサクサに紛れてワンチャンあるのではないだろうか。つまり今こそ絶好機だ。
「カネダさん、僕と付き合ってください!」
 口を開けて息を吸ったその瞬間に、僕が言おうと思っていたのと全く同じセリフを誰かが言い放った。
 それはクラス委員のヨシカワ君だった。彼も狙ってたのか!
 しかもカネダさんはまんざらでもない顔でこう言うではないか。
「ええ~、どうしよっかな~。でもヨシカワ君成績良いから将来有望よね。じゃあ、まずはお友達からスタートしましょう」
 そうして二人は共に雪を掻き分け、アハハウフフとどっかに行ってしまった。僕は開いた口が塞がらず、茫然ぼうぜんとしたまま一部始終を見守る他無いのだった。
 少ししてようやく我に返った僕は「何してんだよ、まったく……」と呟くのが精一杯だった。

 と――その時、突然地面が揺れ始めた。

 皆驚いて動きを止めた。これは只事じゃない。そこら中が大きく揺れている。
 僕もその場に留まってキョロキョロと周りの様子をうかがっていると、震動する周りの景色 ――遠くに見える町やら山の稜線やら―― が徐々に低くなっていってるのに気付いた。……いや、周りが下がっていくのではない、僕たちの居る雪原の一帯が盛り上がっているのだ!
 見れば五十メートルほど向こうが境目のようだった。その具合からすると巨大な(恐らく直径数百メートルはある)円を描くように地面ごと雪原が切り取られて、皆を乗せたままゆっくりと空中に浮かび上がっているのである。さながら空飛ぶ円盤だ。
 すると驚いた事に、こちらと同様円盤状にえぐり取られた地表が向こうから飛んで来るではないか。見れば深皿やボウルのように底の辺りが丸くなっている。こんな時に暢気のんきなものだが、僕は数学でやったきゅうを平面で切り取る問題を思い出してしまった。こういう図形、何て云うんだっけか。……ああそうだそうだ『球欠きゅうけつ』だ。
 そこでふと思い立ち、雪を掻き分けて五十メートル先のふちまで行ってみた。こちらの円盤がどうなっているのか気になったのだ。すると、こちらも同じように底が丸くなっている形、つまり球欠状であるらしい。
 おもむろに向こうの球欠がひっくり返り、平面部分を下にした。向こうの平面部もやっぱり雪原で、多くの人が雪の中に埋もれているのが見えた。
 向こうの球欠は逆さまのまま僕らの上に下りて来て、ぴったり覆いかぶさった。抉られた地表と地表の間に雪(と人間)の層がサンドイッチのように挟まったのだ。僕は端っこに居たため、サンドイッチの具がはみだすように、首だけ飛び出してしまった。そこから見える様子からすると、合わさった地表はマカロンのような形になったようだ。
 さらに上昇していくと行く手に巨大な何かが控えている。そいつはまるで舌鼓を打つように、僕達もろとも地表マカロンを吸い込んだ。

*  *  *

★本日のお手軽デザートレシピ★
 まずは地表が充分冷えている事を確認して、チモリンシュガーをたっぷりとまぶします。
 すると、チモリン糖に下等生物(シチュリアやモナーモルコなど)が多数潜り込みますので、頃合いを見て二つすくい上げ、チモリン糖を挟めば出来上がりです。
 下等生物がチモリン糖をほぐし、エアリーな仕上がりとなりますからとっても軽〜くいただけますよ☆
 是非ご家庭でお試しくださいね♪

<了>

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