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寺田の「人生ってなんだ?」その7:人生は結局どこまで頑張る必要があるのか?

どーも!寺田です

第7回がやってきました!7と言えば学生時代に
死ぬほどやったドラクエシリーズのカジノを思い出しますね。

あれは直前にセーブしておいて、スロットを回して7が揃わなければ電源を切ってやり直すというチートがありましたが、僕は暇だったので、最初のほうは真面目にやってたような気がします(そのうちめちゃくちゃズルし出しました)

今回は、ドラクエのカジノの話にも少し関係があるような気がする回です。

テーマは「人生は結局どこまで頑張る必要があるのか?」

それではいってみよう!

僕は頑張ることが苦手です。というか、頑張れない人間です。

とは言っても、早寝早起きをして家族の料理や掃除の手伝いをしたり、午後にランニングをしたり、毎日本を読んで考えたり作業をしたりと、色んなことをやっています。

こう言うと、「なんだ、お前頑張ってるじゃないか、嘘つくなよ」と思われるかもしれませんが、

僕にとっての「頑張る」は、ある種の目標や理想のために自分の精神や身体にムチを打ってやっているというイメージです。だとすれば、今挙げたことは僕にとって頑張っていることの内には入らないのです。

言い方を変えれば、僕はやりたくないことはやらずに、やりたいことだけをやってる人間です。

そして、その態度こそが僕の最終回答です。どうやら僕はこの生き方しかできないようなのです。

もしもこの生き方を一歩外れると、途端に鬱状態になったりします。そうなるとホントに使い物になりません。

というか、学生時代に長い鬱状態を経験して、自分が最もパフォーマンスを最大化して生きられる方法を考えて考えて考え抜いた末に出てきた生き方こそが、この、やりたいことだけやって生きていく生き方だったとも言えます。

僕が何かに迷いそうになった時にいつも心の中で呟く言葉があります。それは、

「もしも明日死ぬとして、それってやる必要あるのか?」

です。冗談では無く、僕はホントに自分がいつ死ぬのか分からないと思って生きています。僕は幼い頃からお経の一部を暗誦できるくらいに葬式を経験しました。同い年くらいの人が亡くなったこともありました。その度に僕は自分が生きていることの奇跡についてよく考えたのです。

もし明日死ぬと仮定してみれば、この世の中はやらなくていいことだらけであることに気づくはずです。学校や仕事なんかはもちろん行く必要は無いし、退屈な飲み会やパーティーに行く必要もありません。

そうなれば、大切な人と過ごしたり、本音で好きなことをやろうとするでしょう。

しかしみんな、明日死ぬと仮定しないからそのことに気づかないのです。

この考えには批判もあるかと思います。そうは言っても長期的にものを考える必要があるとか、ある種の公共心で世の中を良くしていく必要があるとか。

ただ何度も言いますが、僕はそういう考え方をし出すと鬱状態になって使い物にならなくなるのです。それよりかは、まだじぶんがやりたいことをやって元気でいる方がマシだと思っています。

だから僕は自分がたいした人間でないことは自覚しています。べつに世間に自慢できる生活をしているとも思っていません

でも、人間ってそんなに自分のためだけに生きれるほど強く無いと思いますよ?

たとえば僕は自分のやりたいことをやれてる時は、とりわけ人に優しくなれます。気分が良いからです。しかし、やりたくないことを眉間に皺を寄せてやっている時は、余裕がなくなるので他人のことを気にかけている場合ではなくなります。

僕は優しさとか公共心の前提には、自分がやりたいことをやっているという確信が必要なんじゃないかと思います。

順番を間違えると、何かをこじらせた、おかしな正義感みたいなものが発動してしまうのでは無いでしょうか。ときおりSNSを見ながらそんなことを考えてしまいます。

つづく




















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