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寺田の「人生ってなんだ?」その4:「余計な情報」に疲れない人生ってなんだ?

どーも!寺田です。

ハイ、第3回に続いて第4回です。

今回は、「情報」と「人生」の関係について考えていきたいと思います。

というのも、最近、久しぶりにだらだらSNSを見ていた時間が多かったのですが、なんとまあ、みんな好き勝手色々なことを言っていることか!

X(旧Twitter)のタイムラインなんて、文字通り情報の濁流なわけですが、そこで何か新しい知見を得られるかと言っても全然そんなことはなく、あんなものは僕にとっては単に大量の情報によって脳味噌を無駄に疲弊させ、そして考えるべきことが考えられなくなってくる…という感想しかありません。

まあ、それでもついつい見る時はあるんですけどね。どうやら人間の脳は無駄なダメージを受けることに時間を割くのも好きみたいです。

そして、かくいう僕も、べつにネットが悪いとか思ってるわけじゃ全然ありません。現に、こうやってnoteを書いてるわけですから。

たとえば僕のnoteを第1回から今まで全部追っかけている人と、チラッと見ただけの人では、コミュニケーションの重さが違いますよね。

そう、僕が言いたいのは、重さの問題です。SNSに流れている大量の情報そのものは、紙っぺらみたいなものなわけです。しかし、何年も付き合った人のツイートと、見ず知らずの、オススメからポンと表示されたツイートは、たとえ同じ140字でも全然重さが違います。

つまり、重さが無い情報に振り回されるのは、あまり意味がないんじゃ無いと、そういう問題提起をしたいのです。

昔は2ちゃんねるは、「便所の落書き」などと呼ばれていました。それはある種「あんな情報は軽いもんだから、気にすることは無い」とみんなが思い込みたかったからなのだと思います。

でも人間は大量の情報に触れ続けると、どんどん感覚が麻痺していって、どれが重くて、どれが軽いのかもよく分からなくなってくる。身近な友達の言葉よりも、見ず知らずの匿名アカウントの言葉の方が重く、大事になったりしてしまう。僕はそこに危険があると思うのです。(もちろん、そうした見ず知らずの人とのコミュニケーションが可能になったことがネットの良さでもありますが!)

実りのあるコミュニケーションというのは、意識的にやらないと難しいと思います。つまり自分の、自然の快不快に任せたままではできません。暇だから、楽だからといって、ずっと部屋の中でネットを閲覧していても、それは確かに不快では無いかもしれませんが、実りあるコミュニケーションは獲得出来ない。

そもそもコミュニケーションというものは不快の側面が大きいと思います。結局、みんなそれで疲れてるわけでしょう。アドラーは「人間の悩みのほとんどは人間関係の悩みである」と言っていたそうです。

しかし何故ここで僕はあえてコミュニケーションを称揚するかと言ったら、それはコミュニケーションが、快を不快に、不快を快に反転させる機能を持っているからです。

難しいことではなく、たとえば、自分のコンプレックスみたいなものも、誰とも話さなければずっとコンプレックスのままかもしれないけれど、もしもコミュニケーションを重ねていけば、どこかで誰かが、自分がコンプレックスだと思っていたことに関して、「それ、私好きだよ」と言ってくれるかもしれない。そのような、自分が良く無いと思っていたことを、逆に褒められ、自分もそのことについて今一度考え直すといった体験、ーーー価値転倒ーーが起こります。

いわば、コミュニケーションとは価値転倒を呼び込む磁場みたいなものです。

その価値転倒という現象を「新しい風が吹く」とでも呼びましょう。

人間はひとりでグズグズ考えてる時は、たいがい締め切った狭いカビだらけの部屋の中にいるみたいなものです。もちろん、ひとりで考える時間は重要ですが、それはあくまで自己を肯定的に捉えられる場合に限ります。(第3回を参照)

他人とコミュニケーションするという体験は、いわば、その締め切られた部屋の窓を開け放ち、そこから新しい風が吹き込んでくるようなものなのです。もちろん、そういう場合ばかりじゃありませんが、その可能性にいくらか開かれるということです。

さて、まとめに入りますが、情報と人生を考えた時に、まず大事なのは情報の「軽さ」「重さ」についてです。次に、もしも情報の濁流の中で溺れ死にそうになった場合の処方箋としては、他人とのコミュニケーションで、価値転倒を起こすこと。新しい風を吹き込ませることです。

後者についても、やはり「重さ」が大事だと思います。どんなに沢山の人に数秒だけインタビューしていってもあまり価値転倒は期待できない。やはり「この人」だという誰かと、語り合うことが大事だと思います。

つづく










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