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note書いてて気づいたこと

「だ・である調」「です・ます調」どちらかに統一するようにしているのですが、どうしても混在を残したいときがあります。というのも自分の心の機微がわかるからなんです。

私の特徴として「だ・である」を使う日は、ちょっと自分に自信がなくなっていたり、イライラしていたり少しネガティブなときが多いです。逆に「です・ます」を使う日は、気持ちが穏やかだったり、ちょっとゆとりがあって、ややポジティブなときが多いです。

もちろん文章の内容によって、言い切ったほうが良さそうだなとか、柔らかい感じのほうが良さそうだなで、選択することもあるのですが、基本的には心の赴くままに「だ・である」「です・ます」を選択しています。

では、混在型は何かというと、「だ・である」から「です・ます」に、いつの間にか変わっているときがあるのです。逆に「です・ます」から「だ・である」に変わることはあまりありません。

どういうことかというと、書いていくうちにどんどんポジティブになっていくんですよね。最初はちょっとイライラしていて「だ・である」と強い表現を使っていたのに、気持ちが整理されて、後半がいつの間にか「です・ます」になっていくことが結構ありました。

以前に、最後の1行を書きあげたときにそれに気付いたことがありました。最初は強い表現を使っていたのに、後半は全般的に優しい表現になっていました。

3000字以上の記事だったのですが、頭から全て「です・ます調」に修正していきました。で、そのときに気づきました。あっ書いているうちに心が穏やかになっていたんだなぁと。

これが一度ではなく、何回か起こりました。最初から、どちらかで統一すればいい話なんですが、この心の機微を感じるのが大事な気がしたので、あえて混在させて、後で直すようにしてます。

それでも、たまにですが、そのまま残してしまうことがあります。この文だけは、どうしても強く言い切りたいとか、ここだけはです・ますにしたいなんてときは残してしまいます。それもなんか自分の心にとっては大事な気がしているので。(読み手の方に、極力負担がかからないようにさりげなくではありますが、、すみません)

書くということは、そのときの自分の心をありのまま投影してくれて、自分のことをより良く知ることができます。これからもそんな混在した心を大事にしていきたいです。

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