過去の投稿を恥ずかしく思うのは、成長している証拠
noteを投稿し続けて、40日が過ぎました。これまでに40以上投稿してきたのですが、最初の頃の投稿はできるだけ、見ないようにしています。なぜなら恥ずかしいからです。めちゃめちゃ恥ずかしいからです。
うわぁ、けっこう赤裸々に書いてるなぁとか、自分の考えをぶっぱなしてるなぁとか。自分で自分に照れてしまいます。思わず、非公開にしたくなりますが、戒めの意味も込めてそのままさらけ出しております。ごめんなさい。
でも、そんなこっぱずかしい気持ちにもなりながら、案外それっていまの自分が成長してるのかなって思ったりします。
今の自分が過去より成長したからこそ、恥ずかしいと思えるのではないかと。
例えば、学生のときの卒業文集や読書感想文とか論文やエントリーシートみたいな書き物って、大人になって読み返すと、恥ずかしくなったりしませんか?
とんでもない構成だったり、語彙力なさすぎ、とかそもそもの書く力で恥ずかしさも感じますが、それ以上に、あぁこのときってこういう風に考えてたよなぁという自分の考え方に照れる気がします。
小学生の頃はすごくまっすぐに考えてたなぁとか、中学は少しひねくれたなぁ、高校になるともっとよじれたなぁ、大学はとにかくおもしろいことをいいたかったんだなぁとか。
いろいろな経験を通して、考え方がよくも悪くも変わってきたことを実感します。
ただ、どの時代の自分に対して共通していえることがあります。それは、どの時代の自分も、そのときなりに一生懸命考え抜いて、精一杯生きているということです。
振り返ると、もっとこうすれば良かったのにって思ったりもするのですが、そのときなりに、ない頭をふりしぼって自分の中でのベストアンサーは出しており、必死で生きています。
そこについては一点の恥じもないというか、誇りにも思えます。いま、成長した自分がいるのも、過去の自分が一生懸命考え抜いて、行動してくれたからだと。
その成長した分、過去の自分の作品とかが恥ずかしくなってしまうのは良いことです。
むしろ、昔の自分が恥ずかしいと思えるほど、成長したいと思います。
いまこうしてnoteに好き勝手、いろいろ自分の考えを投稿しています。どれも、いまの時点では、自分の中ではこう思う、思いたいということを投稿しています。
明日になったら考えが変わるかもしれません。朝令暮改かもしれません。
周りの人から見たら、恥ずかしいこと書いてるなぁとか、見当違いだなぁと思われるかもしれません。それはごめんなさい。本当にごめんなさい。
でも、大事にしたいのは、未来の自分が、いまの投稿を恥ずかしいと思えるかです。
それを実感できるように、いまの自分はいまの考えを全力で出していきます。
未来の自分よ、どうか恥ずかしがってくれ。
そうじゃないと、書いた意味がない。
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