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「ロシア的ならず者」問題の解決には、最終的には鬼滅の刃の大ヒットを生み出した「令和の仕切り」が必要

少し前から「戦争になる」「いやまさか」と世界中の注目を集めていたウクライナ情勢ですが、もう本当に「戦争」になってしまいましたね。

この記事は、もともと鬼滅の刃の”内容”でなく「ビジネス面での成功要因」みたいな話から、これからの日本社会に大事な「令和の仕切り方」について考える・・・という記事として準備していたんですけど。

なんか先週末からの「戦争というあまりのリアリティ」に打ちのめされちゃったところがあって、グズグズしているうちに今月も月末ギリギリになってしまいました。

でもこの用意していた「鬼滅の刃的な令和の仕切り」という話は、まさにこの「ウクライナ問題」みたいな課題を解決するためにも本質的には最重要な考え方だとも思うので、少し強引なようですが結びつけて一本の記事にしたいと思っています。

正直言って、どんどん悪化する戦況を見てると本当に辛い気持ちになるんで、記事のネタにするのも憚られる気持ちもあるんですが。。

でも真剣な話この記事で書くようなことをちゃんと積み上げていくしか我々にできることはないとも強く思うので、やっぱり書きます。ざっくりした書き方が「冷酷」だと感じるかもしれないけどご了承ください。

ウクライナでの戦争で亡くなった(そしてこれから亡くなるであろう多くの)人々の冥福を祈ります。

(体裁として有料記事になっていますが、「有料部分」は月三回の会員向けコンテンツ的な位置づけでほぼ別記事になっており、無料部分だけで成立するように書いてあるので、とりあえず無料部分だけでも読んでいってくれたらと思います。)

1●「プーチンをかばう」のは最悪だが、「真因」の解決に向かう事は大事

なんかこういう状況になると、「アメリカが生み出す秩序」がムカつくからといってやたらプーチンやロシアの動きを「かばって」みせたり「理解を示し」てみせたりする動きをする人が出てくるんですけど、それはほんと最悪ですよね。

そりゃ国際関係における色んな利害対立はあったとしても、それを解決するために軍隊を送り込んで街を破壊したり人を殺したりするヤツはもう徹底的に「悪」ですよ。鬼滅の刃的に言えば「この世には存在してはいけない生き物だ」ぐらいの何かなんで、それは間違えてはいけない。

この記事は鬼滅の刃の「内容」の話をしたいわけではないのですが、でも「まさに」というドンピシャな例なので対比すると、

・(炭治郎くんがやるように)鬼になってしまった存在の背後にある事情を慮る

ことと、

・鬼は必ず斬る

ということは、矛盾しない・・・というか両方ちゃんとやらないといけないという話なのは当たり前のことですよね。

世の中には、「鬼を生み出してしまうメカニズム」的なものには無反省に加担しまくっておきながら、「鬼」が暴れ始めたらやたら鬼に同情してみせたりする態度・・・が結構蔓延してるんですが、いやいや鬼に殺される側の身にもなれよと。

そうじゃなくて「鬼を生み出してしまうメカニズム」を解決しようとし、その中で「鬼になってしまう存在」の事情を勘案していくことはするけど、「鬼になって人を殺す」ようになってしまった存在には問答無用で「悪即斬」という態度を取る・・・という態度が、この課題については大事な事は言うまでもありません。

では「鬼になってしまうメカニズム」とは何なのか?

2●「アメリカ的秩序」が内包する機能不全とそれへの反感は、権威主義国家の中だけにあるのではない

ロシアと中国とその属国たちvs西側社会というように、人類社会をいまや二分するかのような情勢になっているわけで、そういう「権威主義国家」が生まれてしまうことの原因は、ある程度「自由主義国家群」側にも責任がある・・・という発想自体は必要なことだと思うんですね。

「自由主義国家」の中でも、反グローバリズム的な右派運動みたいなのは、欧州でもアメリカでも、もちろん日本でも生まれているわけで。

経済面での「ネオリベ」要素と、欧米的価値観の押し付けとしての「ポリコレ」要素という二つの潮流が「アメリカ的秩序」として世界中に押し売りされていく中で、そういうものに対する「反感」は、別に権威主義国家の中にだけ渦巻いているわけじゃない

なんならアメリカでだって「プーチンはやり手だがうちのバイデンは弱腰でダメなやつだ」ぐらいの反応が結構あったりするぐらいなので。

要するに「ネオリベとポリコレ至上主義」的なアメリカ的秩序を世界中に強引に押し付ける運営が、世界中のそれぞれの現地社会における「アメリカ的秩序への広い範囲の反感」を生み出していて、その「反感の蓄積」があればこそ、習近平やプーチンの強権主義はその存在が許されてしまっている。

その「反感の蓄積」の方をなんとか解決しないと、習近平やプーチンが倒れても、もっとタチの悪い権威主義政権が生まれて、もっとヤバい脅し方をしてくるかもしれない。

昨日ツイッターで、あるアメリカの元外交官の人が、「プーチンを倒した後、もっと容赦なく核を脅しに使う政権がロシアに生まれる可能性を我々は警戒しなくてはいけない」みたいなことを言っているのを見かけましたが・・・

要するに「プーチン」は「悪即斬」で断罪していくことが大事だけど、「その背後にある真因」自体は別個に解決する姿勢がないと、どうせ「アメリカ的秩序への反感の蓄積」ゆえに第二第三のプーチンが生まれてきて、そして西側自由主義社会の中でもそういうのが痛快だと感じて喝采を送る層も出てくる・・・という構造は変えられない。

3●プーチンの「終わりのはじまり」ではあるはずだが・・・

昨年8月のアメリカの「アフガン撤退の醜態」は、多くの人に「アメリカの時代の終わり」を予感させるイメージを振りまきました。

しかし私は当時以下の記事↓で書いたのですが、あの「アフガン撤退」以降、むしろ「反アメリカ勢力」の「終わりのはじまり」がやってくるだろう・・・という予測をしていました。

それは、絵面が似すぎていてよく対比されていた1975年の「サイゴン撤退(アメリカがベトナム戦争の泥沼から撤退した事件)」の後に何が起きたかを考えればわかります。

要するに「反米勢力は反米できているうちが花」であって、アメリカが一歩引いてしまうと、振り上げた拳の持って行き場にこまるわけです。

結果として、サイゴン撤退以降、むしろ当時の「東側諸国」の方が衰退の一途をたどることになりました。ソ連はアフガンという泥沼に踏み込んでしまいますし、仲間であるはずの中国との対立も激化していきました。

一方で「西側」諸国では、むしろアメリカが一歩引いたぶん西欧諸国が連帯してソ連に対する中距離弾道ミサイルを配備するなどで抵抗しつつ、あとは普通に「経済発展」に勤しむことで東側との差を大きく広げ、いずれ共産圏の崩壊に繋がっていった。

だから昨年アフガンでアメリカが「醜態」をさらして撤退し、勢いづいた「反アメリカ勢力」が調子に乗ったことをしはじめる・・・事は、むしろ「反アメリカ勢力」が墓穴を掘る結果になる可能性が高い。

つまり今回の件も「プーチンの終わりのはじまり」になる可能性が高い。

しかし、1975年のサイゴン撤退以降西側自由主義社会が勝利したのは、経済発展と魅力的な文化の発信によって「明らかに西側社会の方がいいじゃん」というイメージを振りまくことに成功したから・・・という大前提があるんですね。

だからこそ、今回も自由主義社会が勝利するには、「いや〜自由主義社会って、本当にいいものですね!」というのが、プロパガンダ感なく本当に実感できるような社会にしていく必要がある。

「ネオリベとポリコレ」の暴走的なアメリカ型秩序に対する反感が人類社会に渦巻いているうちは、プーチンが倒れても第二・第三のプーチンが立ち上がってくるし、それを痛快に思う人は自由主義社会の中でも沢山いるから止められなくなる。

ではどうすればいいのか?ここでやっと今回の「鬼滅の刃」のビジネス面の話に繋がるわけですね。

4●鬼滅の刃の大ヒットを生み出した「ビジネス面」でのブレイクスルーはどういうものだったのか?

最近、エンタメ社会学者の中山淳雄氏が書かれた以下の本が大変おもしろかったんですね。

推しエコノミー 「仮想一等地」が変えるエンタメの未来

特にビジネス面から見た「鬼滅の刃の成功要因」的な分析が凄く良くて、私も遠目に見ていてだいたいこういう感じなのかなあ?と思っていた通りの事が起きていた事が、非常に詳細に描かれていて勉強になりました。

日本におけるアニメ製作は、時に10社以上にもなる関係会社が出資をして「製作委員会」という形を取ることでリスク分散をする仕組みが定着していたんですが、そうなると出資したテレビ局で放送しなくちゃいけないし、アマプラやNetflixへの配信もしづらくなるし、出資した玩具会社としかコラボしづらいし・・・という問題が発生していたんですね。

そこで鬼滅の刃では、ソニー子会社のアニプレックス、週刊少年ジャンプの集英社、そしてアニメ製作のufotableの三社に限定した出資関係にする事で、「マーケティングにおけるリーダーシップが混乱しないように」した事が成功の大きな要因の一つとなった。

日本のSNSを検索すると、「鬼滅の刃は製作委員会方式でなかったから良かった」という話が出てくるんですが、製作委員会かどうかで言うと一応「製作委員会」ではあるみたいなんですよ。数が減ったとはいえ”三社”が出資しているからね。

そうじゃなくて「製作委員会に入る会社を厳選して、主にテレビ局の影響力を脱して機動的に動けるような出資関係を作った」ところがポイントなんですね。

余談ですが、日本のSNSはこういう時にあまり本質的でないところでしょうもないマウンティング合戦が起きがちで、「鬼滅は製作委員会じゃなかったから良かった」って言っている人は「出資関係を単純化して機動的に動けるようにした事が良かった」という趣旨の話をしているだけなのに、「鬼滅だって製作委員会なんだよバーカバーカ」って言う感じの絡み方をする人が沢山いて議論が深まらないんですよね。(以下の記事↓で書いた「コロナを五類にする・しない」も似たような感じなんですが)

上記の中山氏の本では、出資関係を単純化することで機動的に動けるようにした鬼滅の刃のプロモーションチームが、いかに最適なタイミングで最適な打ち手を打っていくことで、ブームを大きく育てていったのかが詳細に分析されていて非常に面白かったです。

特に、テレビ局の支配下から逃れることで、アマプラやNetflixに「常時アーカイブとして置いておき」つつ、多方面のコラボ展開をしていくことで、「気になったらアーカイブで見れる」構造にしていた事の長期的な効果が大きかったようで。

ただ一方で、「テレビ局」との関係を切ってしまったわけではなくて、要所要所ではテレビ局をうまく使っていて、それがブームを大きく加速させる有効な一手にはなっていた。そのために、時には映画に合わせたタイミングで独占配信権をフジテレビに渡すようなこともしているんですよね。

5●鬼滅の成功は「令和の仕切り」のたまもの

上記のような鬼滅の刃のビジネス面での成功要因を見ていると、非常にうまく「資本の力」を使いこなしている事がわかると思います。

「船頭多くして船山に登る」になりがちな「日本あるある」を脱却するためにうまく「資本主義の仕組み」を使って権利関係を整理している。

一方で、「良いアニメ作品を作る」という事に必要な要素が非常によくわかっている人(この高橋祐馬氏という人がキーパーソンらしい)がリードしているので、「大資本の力でゴリ押しして単純な大作しか生まれなくなる」みたいなことにもなっていない。

テレビ局の支配を脱することでむしろテレビ局というオールドメディアを最大限に活用することも可能になっている。

「現場の力」と「資本の力」が十二分に両方発揮されていて、どちらかがどちらかを排除してしまうようなことにはなっていない。

そもそも集英社自身に、荒削りだった吾峠呼世晴氏の才能をうまく育て、クセが強い画風を適度にリファインして最高のクオリティのアニメに仕上げられるアニメ製作会社を選定し、丁寧にムーブメントを育てていく舵取りをする能力があった事が大きい。

以前以下の記事で書いたように、こういうのを私は「令和の仕切り方」って呼んでるんですね。

上記リンク先では、医療システム改革についての話をしているんですが・・・

・「白い巨塔」みたいな封建主義の悪癖はあるけどそれが日本的な社会の安定を支えていた・・・のが『昭和』
・その「昭和の重み」を「ぶっ壊す!」的に全否定して暴れてみたけど結局「次の着地点」をちゃんと考えていないので押し合いへし合いになってどこにも進めない閉塞状態に陥ったのが『平成』
・「昭和」の悪癖は脱していきつつ、「ぶっ壊す!」型の平成時代の無理やりな改革がもたらす社会のアメリカ的格差社会化には抵抗し、「よく考えられたシステム」によって置き換えていこう・・・というのが『令和』

(上記リンク先記事より引用)

「平成時代」に、テレビ局がコンテンツビジネスを全て仕切っている仕組みが時代遅れだ・・・みたいな議論って沢山ありましたよね。

で、IT起業家がテレビ局を買収しようとする「事件」が何度かあって、その度に日本社会全体を巻き込む騒動になったんだけど、結局IT起業家がテレビ局を支配する構造は拒否される結果になった。

この事が良いことだったのか悪いことだったのか、人によって大分考え方が違うと思うんですね。

あそこで「拒否」したからこそ日本は「時代に合わせて変われない」国になってしまったのだ、あそこで堀江貴文氏にもっと思う存分暴れさせられる国であったなら、日本はここまで衰退していなかったはずだ・・・という意見の人もいるでしょう。

ただまあ、今更過去の事を言っても仕方ないし、一方であそこで「拒否」したからこそできる「令和のスタイル」というのが、鬼滅のヒットで見えてきている・・・という点を我々は喜ぶべきではないでしょうか。

要は「平成型」のネオリベ・メンタリティで資本主義のパワーだけを暴走させてしまうと、その国の社会が持っていた価値観とか人心安定のための義理の連鎖などがムチャクチャになってしまって、アメリカ型の格差社会にまっしぐらになってしまうわけですね。

しかしだからといっって「昭和型」の時代に合わないスキームのまま無理して過去の栄光で食い延ばすのも限界になってきている状態の中で。

「その社会が大事にしたい価値観」「現場の事情」を深く理解しつつ、「資本主義のパワー」を最適な形で引き出せる「令和の仕切り」が見えてきている・・・というのが「鬼滅の刃の大ヒット」の背後にある我々の希望ということなのだと思います。

鬼滅の時の仕組みは鬼滅に合っていただけで、これだけが必ず正解というわけではないでしょうが、海外展開なども含めて「単なる海外事例のマネごとでなく本当に自分たちにあった合理性」をしっかりとビジネス化できる仕組みが整いつつあるのはとても良いことだと思います。

そこで本当に「両側の価値観」を吸い上げられるかどうか・・・というのがこれから大事な課題で、以下の記事↓で書いたような「中小企業の給料を上げるための再編策」でも、この方向性自体は今後の日本で非常に重要なファクターになっていくでしょうが、「デービッド・アトキンソン氏のビジョン」よりもあと何倍も「丁寧に」やらないといけない領域がそこにはあるわけですね。


6●「ネオリベ」だけでなく「ポリコレ」にもワンクッション置くことが大事

ここまでは鬼滅の刃の「ビジネス面」の話で、「アメリカ型秩序の副作用問題」に対する「ネオリベ」的側面にいかに対抗していくか・・・という話でした。

一方でもうひとつの「アメリカ型秩序の副作用問題」についての「ポリコレ」側の課題についても同じ問題があるんですよね。

鬼滅の刃がここまでの大ヒットになる前、少年ジャンプ連載が佳境だったころ、いわゆるツイッターフェミニズム的な話題で「少年ジャンプ編集には少年の心が大事だ」みたいな事を編集部の人が言ったとかでネットが炎上した事がありましたよね。

あの時僕は鬼滅の刃を知らなかったんですが、というかあの炎上に参加していた人たちの大半が、すでにジャンプ漫画の中には女性作者の作品も多いって事を知らずに騒いでいたと思いますし、しかしそこで「”少年漫画”としての価値観」を継承していくことの意味・・・について編集部の人たちはなんとか守りきろうとしていたのだ・・・ということは、女性作者ならではのアップデートが随所に見られる鬼滅の刃がここまでヒットした事でその価値が証明されたと言っていいはず。

以下の記事は鬼滅の刃の「内容」面からヒットの理由を考察した昔の記事ですが、

この記事↑に書いたように、鬼滅の刃には鬼滅の刃なりの、海外のフェミニズムムーブメントとは全く違った形の「ガールズエンパワーメント」があるし、だからこそ日本に限らず世界中で若い女の子のファンが大量にいる作品になっている。

それは「少年漫画の価値観」を継承する姿勢が強固にあったからこそ生まれている達成だったわけです。

いわゆる「アメリカ型秩序の副作用」としてのポリコレ至上主義みたいなのが、非常に人工的な基準を機械的に当てはめて、現地社会の人たちが楽しんでいる事に次々と「糾弾」していくことで、日本だけでなく当のアメリカ国内ですら社会を二分するような反発が生まれているのは明らかです。

そういう「反発」を放置しておくと、結局第二第三のプーチンを押し上げる結果になって止められなくなるわけですよね。

・アメリカのほんの一部の上澄み層だけが信奉する”標準化された正しさ”だけを世界中に押し付けることに対して、”あと三歩ぐらい慎重に”なること

・現地社会の伝統や人心の繋がりに十分配慮した上で、新しい理想が地続きに溶け合うように持っていくこと

そういう「ポリコレ側面の副作用」に対する免疫力としても、鬼滅の刃のヒットは「昭和的な居直り」でも「平成的なぶっ壊す」でもない「令和のエレガントな仕切り」になっていたと言えるでしょう。

7●世界における日本の重要性が今後大きく高まる理由

さきほど、最近のアメリカのアフガン撤退の醜態の結果として「反米勢力」が調子に乗って自滅への道を歩みはじめる様子を、1975年のアメリカサイゴン撤退以降の世界史の流れと対比する話をしましたが、当時の「西側世界」の最終的勝利の中で相当に大きな役割を果たしたのは日本だったんですね。

これはイェール大学の歴史学教授のオッド・アルネ・ウェスタッドも大著「冷戦」(この本は凄いおすすめです)の中で述べています。

アメリカとソ連という2つの超大国を除けば、日本以上に冷戦が重要な役割を果たした国は考えられないと主張したい。日本はとりわけ世界経済に関して、グローバルな情勢を大きく動かす国となっていた。この日本の地位が全く反映されることなく、冷戦というグローバルな対立があの時期にあのような形え終わったと想像するのは困難である。

ウェスタッド「冷戦」より引用

以下は私の著書で何度か使っている図なのですが・・・・

日本人のための議論と対話の教科書 より引用

世界中で、「現地社会の事情を一切勘案しないアメリカ型の秩序のゴリ押し」があり、一方で「現地社会の切実な事情」からの必死の押し返しがあり・・・という押し合いへし合いが、上図のように先の空いていない二股の注射器のようになっている。

共産圏崩壊以降の過去30年にわたって、「アメリカ側の事情」だけをある程度無理やり押し込んでいける情勢になっていたので、社会は前に進んでいるように見えたが、結局逆側には切実な「反発エネルギー」が溜まってきていて、だんだん押しきれなくなってしまってるんですよね。

ここで、日米同盟によって緊密に結びついているので「アメリカ側」に立つことが運命づけられていて、一方で「欧米文明に征服される側の心情的反発」もちゃんと我が事として理解できる日本という国の出番がやってくるわけです。

我々が「令和の仕切り」によって現地現物に問題解決を行っていくことで、上記の図の「注射器の針先に穴を」あけさえすれば、両側から全力で押し合いへし合いになっているエネルギーが、「日本という国の繁栄」を強烈に後押ししてくれる情勢になるでしょう。

なぜこの「針先に穴をあける」使命を日本が持っているかというと、日本以外の国では、「アメリカ的な仕切りが持つ副作用」をちゃんと意識化して解決しようとすると、結構単純に「反米」的な方向に吹き飛んでいきがちなんですよね。

これは日本でも小規模にはある現象で、たとえば「憲法9条さえあれば」的にあらゆる軍事的準備に反発する・・・みたいな困った人たちの存在が、余計に米軍のちょっとした不品行ですら是正を求めづらい情勢になってしまう・・・みたいな因果関係と似ていて。

ウクライナの情勢とかを考えれば、核の傘と米軍との連携なしに平和などありえないのだ・・・っていうことは明らかなので、「そこ」を左翼の人も物凄く真剣に考えていただいて、決してその軍事的均衡の安定性は吹き飛ばない情勢になればなるほど、米軍基地の兵士の不品行とかをそれ単体として指摘して是正していくこともはじめて可能になる。

そういうメカニズムの「もっと大きなバージョン」が、鬼滅の刃のヒットを生み出したような「令和の仕切り」を社会のあちこちで動かしていくことなんですね。

・「資本の力」を十分活用するけど「資本の力」に使い潰されるようにはしない配慮をする。
・「人権的理想」を実現しようとするが、それがその社会の伝統的な価値観や人心の安定のための義理の連鎖と「対決」状態にならないような配慮を十二分にやっていく。

そうやって、「アメリカ的な秩序」「その副作用に対する反発」という「二つのベタな正義」を統合する「メタな正義」に向かって社会を動かしていく「令和の仕切り」に習熟していくこと。

それは、ここまで書いてきた「鬼滅の刃のビジネス面でのブレイクスルー」の話もそうだし、以下の記事で書いた「医療システム改革」の話もそうだし、

さらに以下の記事で書いた「中小企業の給料をあげるための資本の力の活用法」の話もそれにあたります。

1975年のサイゴン陥落以降、人類社会全体の力学が日本という国を強烈に押し上げてくれたような、そういう「繁栄のボーナスタイム」が、今回も日本の目の前にはあると私は考えています。

「鬼が鬼になってしまった事情を斟酌」しつつ「鬼は必ず斬る」姿勢で、プーチンやロシアの暴虐をかばったりはせず国際社会と協調して徹底的に断罪していくが、一方で「アメリカ的秩序がもたらす副作用」は自分たちのやり方で克服していく。

そういう「令和の仕切り」こそが、果てしなく分断されていく人類社会を新しい調和に導くための、私達日本人の使命なのです。

そういう「メタ正義的な解決」を日本のあらゆる場面で起こしていく方法についてまとめた本がワニブックスプラス新書から今月出ました。

日本人のための議論と対話の教科書

よろしければ、手にとっていただければと思います。

以下のページで序文(はじめに)が無料公開されています。

今回記事の無料部分はここまでです。長い記事をお読みいただきありがとうございました。

ここ以降は、最近のコンサル業界のバブルと「氷河期世代の使命」みたいな話をします。

最近、大学時代に付き合いのあった少し年下の人とツイッターで再会しまして、自分でも言うのも変ですが昔凄い慕われていて(笑)

「当時倉本さんとの出会いは衝撃的で、ここに知の巨人がおる!と思っていました」

…とか言われて凄い照れたんですが、とにかく今はある外資コンサルファームのパートナーになっている人と、先日までPEファンドにいて最近独立した人の三人が20年ぶりに集まってツイッターのスペース(ラジオみたいに対談できる機能)で1時間ぐらい話したんですよ。

色んな話が出て面白かったんですが、今外資コンサル会社はバブル状態で、次々と案件が舞い込んで、人材確保が間に合わないから断るしか無いみたいな状態らしいんですね。

その内情とか色々聞いていると、なんか次々と「対応しなきゃいけない案件」が生起するから外注して調べさせて後手後手に対応してるけど、「それ」でその会社がうまく行くとはなんか思えない感じだったりして。

果たしてそこまでの「コンサルバブル」が起きていることが、日本経済にとって良いことなんだろうか?みたいな話とか、考え込んでしまったんですよね。

ただ、擁護するとコンサルって「社会の風潮」以上のことはできないんですよ。

「社会の風潮」を超えるアクションを起こしたければ資本関係で噛み込んでオーナーにならないと無理なので。

だから、逆に言えば「社会の風潮」として、この記事で書いてきたような「令和の仕切り」的なモードが広まってくると、今「バブル」になっているコンサル界隈で次々と走っているプロジェクト群が、急激に「深い意味のあるもの」に変わっていくだろうな・・・っていうのは感じるんですよね。

そういう「令和の仕切りへの転換」はどうやって起こしていけばいいのか?とか、その変化の中においての「氷河期世代」の役割とは何か?みたいな話を以下ではしたいと思います。

余談ですけど、そのスペース対談は、僕は誘われたがまま友達と久々に電話で話すって感じのつもりで一切告知とかせずにやったんですが、後から見ると数十人の観客さんがいてびっくりしたんですけど、「コンサル界隈・PE界隈」の人が言ってることに興味ある人とかいたりするのかなと思ったりして。

彼らは「学卒で外資コンサルからの正統派キャリア」を歩んでますけど、一方で僕は結構変わりモノなキャリアで、なんか「外資コンサル”ファーム”」っていうような世界は自分とは凄く遠くなっちゃったなあ、と思っていたんですが、こうやって話してみれば案外彼らとは相互補完的だというか、「自分みたいなハグレモノのキャリアでやってきたからこそ出せる視点」ってあるなあ、と思ったので、今後は機会を見つけてもうちょっと色んな人と議論しながら「令和の仕切り」に向けて物事をファシリテートしていくような役割を担っていければと思っています。

2022年7月から、記事単位の有料部分の「バラ売り」はできなくなりましたが、一方で入会していただくと、既に百個近くある過去記事の有料部分をすべて読めるようになりました。結構人気がある「幻の原稿」一冊分もマガジン購読者は読めるようになりました。これを機会に購読を考えていただければと思います。

普段なかなか掘り起こす機会はありませんが、数年前のものも含めて今でも面白い記事は多いので、ぜひ遡って読んでいってみていただければと。

ここまでの無料部分だけでも、感想などいただければと思います。私のツイッターに話しかけるか、こちらのメールフォームからどうぞ。不定期に色んな媒体に書いている私の文章の更新情報はツイッターをフォローいただければと思います。

「色んな個人と文通しながら人生について考える」サービスもやってます。あんまり数が増えても困るサービスなんで宣伝してなかったんですが、最近やっぱり今の時代を共有して生きている老若男女色んな人との「あたらしい出会い」が凄い楽しいなと思うようになったので、もうちょっと増やせればと思っています。私の文章にピンと来たあなた、友達になりましょう(笑)こちらからどうぞ。

また、先程紹介した「新刊」は、新書サイズにまとめるために非常にコンパクトな内容になっていますが、より深堀りして詳細な議論をしている「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」も、「倉本圭造の本の2冊め」として大変オススメです。(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。

さらに、上記著書に加えて「幻の新刊」も公開されました。こっちは結構「ハウツー」的にリアルな話が多い構成になっています。まずは概要的説明のページだけでも読んでいってください。(マガジン購読者はこれも一冊まるごとお読みいただけます。)

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