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新刊『日本人のための議論と対話の教科書』「はじめに」を無料公開します。

おかげさまで、無事新刊の発売の日を迎えることができました。

このページでは、新刊の「はじめに」の部分を無料公開しておきます。

もし今後この本を読んで「面白かった、人にも薦めたい!」となった機会などに、このページのリンクなどと一緒に薦めていただけると、「お試し」で序文だけ読めて良いかなと思っています。ご利用いただければ幸いです。

ツイッターなどのSNSでは「社会の逆側にいるあいつらが全部悪い」的な論争が常にヒートアップしていますが、そんなことをしていても山積みの問題はそのまま放置されがちであることは、そろそろ皆気づき始めているように思います。

経営コンサルタントである私のクライアント企業で、10年で150万円の平均年収アップが実現できた「本質的な対話」のあり方などから説き起こし、社会全体の分断を乗り超えていく方法を提案していく本になっています。

抽象的な大上段の議論で「敵」をやっつける事に熱中するムーブメントから距離を置き、「現地現物の具体的な話」を積み重ねることで、果てしなく分断されていく人類社会の「共有軸」となれるポテンシャルが、私達日本人にはあります。

その「方法」について述べたのがこの本です。

以下の序文を読んで「ピン」と来たかたはぜひお読みください。また、読んでみて面白かった!という方は、ぜひご友人にも薦めてみてください。(その歳このページをご利用いただければと思います)

アマゾンリンクはこちら↓

『日本人のための議論と対話の教科書 ベタ正義感よりメタ正義感で立ち向かえ』
(電子書籍は2月25日配信開始で、予約はすでにできます)

読後の感想などは、ご遠慮無く私のツイッターに話しかけるか、こちらのメールフォームからどうぞ。何かの記事がバズっていて通知が溢れている時は見逃すかもしれませんが、普段はたいてい何らかのリアクションを返させていただいています。(時間がある時はやたら長文メールを返信して驚かれる事も結構あります 笑)

どちらにしろ、不定期に色んな媒体に書いている私の文章の更新情報はツイッターをフォローいただければと思います。

では、以下「はじめに」の無料公開部分です。


●「議論という名の罵り合い」があふれる時代

「私だけかね? まだ勝てると思っているのは……」

このセリフは、漫画「スラムダンク」の終盤で、強豪の山王工業高校に圧倒的な実力差を見せつけられて大きく点差が開いたシーンで、主人公たち湘北高校バスケ部の顧問、安西先生が口にするセリフです。

最近の「日本国」について、全般的に見て「何の問題もなくうまく行っている!」と感じている人は少ない時代になってしまいました。

昨年帰省した時に私の母親に聞いたところ、その時期にはコロナ禍で色々と不自由が続いていたこともあって、周囲のオバチャンたちの集まりでも「最近の日本はほんとうにダメねえ」という論調が定番化してしまっていると言っていました。

しかし、冒頭の安西先生のセリフではないですが、この本を書いている私個人としては、ずっと前から「日本はこういう方向に進むべきだ」と提言し続けてきたようなことが、やっと実現できる状態に近づいてきている、と非常にポジティブな感覚を持っています。

確かにいろいろとギクシャクしている部分があちこちにありますが、それも「古いあり方」と「新しい方向性」がぶつかりあって、単なる過去の惰性では処理できなくなってきたからこそ生じている、「産みの苦しみとしての混乱」だと感じているからです。

もちろん、「今のまま」でいいわけではありません。協力し合って「変えるべきところ」をシッカリと、共有された意思を持って変えていくことが必要です。

ツイッターなどのSNSを見ていると、「党派的な罵り合い」は年々ヒートアップし続けているように見えます。ありとあらゆることが、「紋切り型のいつもの罵り合い」にすぐに還元され、強烈な言葉で「敵」を攻撃しあう言論に、「いいね」が沢山ついて大量にシェアされ、そして結局何も変わらない。

読者のあなたがどういう立場の、どういう考え方の人であれ、こうした「党派的な罵り合いだけが先行して、何も問題解決が進まない」現象に対しての違和感を持っておられるのではないでしょうか。

「”議論という名の罵り合い”が溢れるだけで、山積する問題は全然解決しないこの世の中で、双方がなぜそういう物言いをするかを汲み取って、ちゃんと問題解決に向かうためにはどうすればいいのか? という本を書いてください」

 これが、今回この本を書くきっかけになった、編集者からの依頼でした。

編集者のKさんは、長い間ある「いわゆる保守派・右派」の有名な雑誌の編集部で働いていたのですが、あまりに「この国がどうすれば良くなるか、以上に、敵対する派閥(いわゆるリベラル派・左派)をとにかく攻撃できればいい」という方向で突っ走る業界の風潮に限界を感じ、雑誌社をやめてフリーランスになった人です。

日本を見渡せば、問題は「右側」だけにあるのではありません。「いわゆる左派・リベラル派」の方でも、彼らが大事にする理念をどうすれば日本で理解を広げ、実際に実現していけるのか……よりも、「彼らの敵」である「今の日本政府や保守的な考え方を持つ人々」を攻撃できさえすればいい、という方向で突っ走る言論家やそうした意見を掲載する媒体が多い。

結局「社会がよくなることよりも、格好良く”敵を攻撃する”言論」だけが溢れている現状には変わりがないことに気づいたそうです。長い間マスコミ業界の狂騒の中で働いてきたKさんの問題意識からくる、切実な依頼でした。

確かに、そうやって「右だとか左だとか」の紋切り型で整理できる話だけでなく、今の日本では多くの人が「うまく行っていない事の犯人探し」にだけ忙しく、自民党の政治家が悪い、いや野党が悪い、官僚が悪い、メディアが悪い、老人が悪い、若者が悪い、氷河期世代が悪い、ゆとり世代が悪い、男が悪い、女が悪い、中国や韓国が悪い、欧米が悪い、新自由主義者が悪い、共産主義者が悪い・・・という罵り合いばかりが盛り上がる一方で、違う立場同士の事情を持ち寄って一歩ずつ問題を解決していくような方向の議論がなかなかできにくくなってしまっています。

しかも、こうした現象は、日本や特定の「業界」だけでなく、世界的に共通して起きています。

最近では2019年10月29日にシカゴで行われたイベントで、アメリカ元大統領のオバマ氏の発言が話題になっていました。とにかくSNSで非妥協的かつ「純粋」に「敵」を攻撃する事だけに集中し、いかに「自分が意識が高い存在か」をアピールしあうような風潮を批判し、こう述べたのです。

「こんなやり方で世の中を変えることなどできない。そうやって気に入らないものに石を投げつけているだけなら、成功には程遠い」

全くその通りだと思います。では、どうすればこの「罵り合い」が「意味のある問題解決」に転換できるのでしょうか?

果てしなく「分断」されていく時代に、両者の「共通性」を取り出して具体的な問題解決に向かうには、どうすればいいのか。逆説的なようですが、「今を生きる私たち」が「いかに違った立場・環境を生きているのか」を理解することが重要です。

日系イギリス人のノーベル文学賞作家、カズオ・イシグロは、東洋経済オンラインのインタビューに答えて、こんな話をしています。

「いわゆる「インテリ」の人は、世界中を飛び回っていても実は凄く「狭い世界」で生きていることを自覚する必要がある」

つまり、特権的なインテリ階級や世界を飛び回るエリートビジネスマンたちは、パリやロンドン、東京、ニューヨークといった大都市に住む「仲間」とだけ繋がっていて、それは非常に「多様性」に富んでいるように見えるかもしれないが、しかし結局そういう人は「自分と考え方が似ている同類」の間だけで生きていることに気づいていない。

社会の中にある「本当の多様さ」とは完全に切り離されて生きているのであり、そういう「特権階級の内輪の話」の延長だけで社会のすべてを運営しようとすれば、時々考えもしなかった反発を受けるのは当然である。

だからこそ、「世界中の恵まれた立場にいる同じ仲間とだけ付き合う”横”の旅行」ではなく、「同じ国で暮らしている、普段は考え方や生活の違いから接することの少ない人と出会う”縦”の旅行」こそが今重要なのではないか……という指摘でした。

「特権的なインテリ階級の閉じた価値観」が「リアルな同胞の考え方や感情」に無頓着すぎることが、昨今の欧米社会における政治的混乱に繋がったのだ、とする立場です。

これには深く共感しました。というのも、私は20年ほど前から同じような問題意識を常に持っており、この「縦の旅行」の中から「新しい共通性」を立ち上げて、分断を超える問題解決の基盤を再生する試みを続けてきたからです。

●社会の断絶が不毛な議論を生み出す土壌になっている

どういう試みだったのか。それについて、少しだけ自己紹介をします。

私は大学卒業後、マッキンゼーというアメリカの外資系コンサルタント会社に入り、「当時最新鋭とされたグローバルな経営手法」を「遅れた日本企業」に導入する、という仕事をしていました。

しかし、「グローバルに流行っている経営手法」と「日本社会の色々な事情」とのギャップは非常に大きく、全体としてこの流れに全く反対というわけではないが、なにか「大事なもの」が知らないうちに壊されていっているのではないか? という違和感を日々抱いていました。

特に、日米の名だたる経済学者が参加した共同研究プロジェクトに参加し、「日本の中小企業の数を減らしてチェーン化すれば経済が良くなる説」のような結論を出した研究に関わるにあたって、「本当にコレでいいのだろうか?」という違和感からメンタルを病んでしまいました。

外資系コンサルティング会社が唱導しているような「新しい経営の考え方」には、日本もぜひ取り入れるべき有効な美点は当然、ある。けれど、「社会全体の見方がこればかりになってしまう」ことの副作用は、今後10年~20年たった時に無視できないものになってしまうだろう……。当時の私はそう考えていました。

結果として当時の私の懸念は、20年近くたった今、現実のものとなりました。たとえばアメリカにおける「トランプ元大統領の支持派とそれ以外の対立」といった形で、世界中で同じく顕在化する大問題となっています。洗練された手法を合理的だからと推し進めるリベラル・エリートと、古きよきものを重んじたい保守派の対立は深まるばかりです。

規模や度合いは違えども、日本国内でもそれは起きており、だからこそ不毛な罵り合いが起きているのです。

その「グローバル経済が社会を2つに引き裂いてしまう」大問題が、世界中で引き返せないところまで顕在化してきたこの20年、私は逆に、その「分断された2つの世界」を結びつけて新しい希望を生み出すにはどうすればいいか? について、色々と実験と模索を続けるキャリアを歩んできました。

具体的には、まずは「都会の良い大学を出て良い会社に入って……」的な立場から見ていてはわからない社会の現実を知らねば、と、いろんなブラック企業や肉体労働現場、ときには駅前でたまたま勧誘されたカルト宗教団体に潜入したり、ホストクラブで働いてみたり……といったような事をやっていました。

まさにカズオ・イシグロ氏の言う「縦の旅行」そのものです。

その後、「マッキンゼーのようなアメリカ型のコンサルティング」とは非常に対照的な存在に見えた、「純和風」のコンサルティング会社として有名な船井総合研究所を経て、現在は日本の中小企業相手のコンサルティングの仕事をしています。

同時に、電子メールによる「文通」を通じて個人の人生を考える、というコーチング的な仕事もしています。

そのクライアントには上は60代から下は20代まで本当に幅広く、老若男女、都会に住む人も田舎に住む人も外国に住む人も、普通の勤め人の男女もいれば、政治家もいれば、学者さんも、変わったところではアイドル音楽の作曲家さんや合気道の先生もいます。

彼らを通じて、この複雑な社会において、「単に自分とその周囲の立場」からだけでなく「色々な立場」から社会を見る……という事を続けてきました。

その私から見た今の日本の最大の問題は、次の一言に尽きます。

「みんな『自分の立場から見える世界観』でしか問題を見ておらず、『自分とは逆の立場』にいる人との対話関係が完全に途絶してしまっているので、ワアワアと責任のなすりつけ合いの罵倒合戦だけが続いて疲弊しているのだ」<B>

 これは決定的な断絶のように思えます。

しかし、逆に言えば、「本当の対話」さえ実現できて、ちゃんと「現地現物の問題」を一個ずつ協力しあって解決していけば、今「どうしようもない」ように見えている困難でもスルスルと解きほぐして前に進むことが可能だ――ということでもあるのです。

細かい「立場の違い」を丁寧に紐解くことで、私達が普段忘れがちな、「同じ国、社会を共有して生きているのだ」という「共通性」を掘り出してくることができる。

そしてその「探しだした共通性」をベースにして、具体的な問題解決を積み重ねていけば、ワアワアと罵り合いだけが続いていた時とは比べ物にならないほど、そして自分たちでも驚くほどスムーズに現実が改善していくものなのです。

大事なのはいつでも、「犯人探しの罵り合い」で疲弊するのをやめて、「具体的な問題解決」に人々の注意を振り向けていくことなのです。

●「対話」から大きな改善を引き出したクライアント企業の事例

しかし実際に、そんなことが可能なのでしょうか。

第一章でも詳しく説明しますが、それにはある成功体験があります。

私のクライアントのある企業は、ここ10年で平均年収を150万円ほど引き上げることに成功しました。その企業は中小企業といっても、家族事業という感じではなく、「ある地方都市を代表する中堅企業」程度の規模を持っています。

あらゆる事業は、「利益=売上ーコスト」とか、「売上=単価×顧客数×購入頻度」といった方程式から決して逃れられません。そのため、ある程度以上の規模の会社において、ここまでドラスティックに平均年収を引き上げるには、ちょっとした工夫とか「社員の一丸となった頑張り」とかだけでは実現不可能です。時代の変化に合わせて深く考えられたビジネスモデル全体の変化が必要になります。

そして当然、そういう「変化」に抵抗するタイプの「古参社員」もいる。

今の日本では、「抵抗する人」と「変革をしたい人」がお互い罵り合うだけで、全然具体的な話が積んでいけないことはよくあります。

結果として、「抵抗勢力をぶっ潰せ!」的な掛け声で「改革」っぽいものをぶち上げてみては、掛け声倒れの混乱状態に陥り、結局10年ずっと「責任を押し付け合う罵り合い」しかやっていなかった……というような事にもなりがちです。

ここで重要なのは、その「抵抗勢力」を糾弾し、攻撃して排除する、のではなく、「敬意」を持ってその「抵抗勢力」がこだわっている理由を解きほぐしていくという姿勢です。

はっきり言って、「何の正当性もない抵抗勢力」が時代の変化にも関わらず温存され続けるということは、実際にはほとんどありえないと私は感じています。

つまり、「逆の立場」の人から見れば「単なるエゴ」に見えるようなことでも、本質的に見れば何らかの「意味」が存在する。だから、ただ単に糾弾して排除しようとするだけでは抵抗されて押し合いへし合いになってしまいがちなのです。

特に従業員の平均年収を大幅に引き上げられるほどの「ビジネスモデル全体の転換」を行うには、何らかの「効率性の追求」が必要になってきます。一方で、そういう行為によって引き起こされる、顧客へのサービスの劣化や、必要な技能の継承が行われなくなるといった「マイナス面」も、当然出てきます。

その時、「改革に抵抗してくる敵」は「そういう側面」を思い出させてくれているのだ、と気づくことが重要です。そのうえで、「抵抗勢力の機能」をちゃんと尊重すれば、「進めていく改革」が細部まで配慮の行き届いたものになる。

これは「正義」をぼやかすというよりも、自分側の正義の、もう一方に存在する「相手側が持っている正義」というものの存在を同時に認め、その上での解決策を考えていく、ということです。

結果として、「抵抗勢力」の代表的存在だった役員の権限を徐々に毎年の人事変更の時に話し合いの上で削っていって、最後は一年間ぐらいの移行期間を経て次の株主総会で退職していただくというかたちで、横から経緯を見ている私から見てもちょっと歯がゆいぐらい気を使って「変化」させていきました。

正直言ってここまでの配慮が必要なのは地方都市だからで、大都会の環境ならばもう少しドライにやってもいいとは思います。が、そういうプロセスを経ることで、「新しい考え方」に「古い時代のへ配慮」を乗せることが可能になり、以降は社が一丸となって「新しいビジネスモデル」を、無理せず徹底的に追求していくことができるようになった。

その「合意」が取れるまでの時間はジリジリとじれったいものでしたが、いざ「立場を超えた合意」ができてからはスルスルと物事が進んで次々と問題解決が行えるようになり、本来人間社会というのはこうあるべきものだよなあ、という思いを強く持ちました。

この話は本書の中でもっと詳しく考察していきますが、ここまでの話だけでも、「責任のなすりつけあいの罵倒合戦」を超えて、「立場を超えた具体的な対話」をしていくことが、これからの日本にとって大事なことなのだ……ということがイメージできるかと思います。

●「片方だけの正義」を無理やり導入してもうまくいかない

「立場を超えた対話」による具体的な解決を模索するセンスを、私は「メタ正義感覚」と呼んでいます。

あなたが考える「正義」と、あなたとは社会の逆側に生きる人たちが持つ「正義」、それは対立する事が多いでしょう。

しかし、どちらの正義も絶対化せず、「メタな視点(一段高いところから見つめる視点)」で、それぞれの正義を”対等に”扱った上で、具体的なレベルで解決していく事ができれば、延々と「正義」どうしをぶつけあって何もできないよりもよほど素晴らしい世界が開けるでしょう。

過去30年間、日本の経済は不調でした。そして日本社会全体で見ても、自信を持って進める方向性を見失って右往左往してきたことは否めません。

しかしそれは、過去30年間の日本は「片方だけの正義」を無理やり導入して押し切ってしまうことをしなかった……というポジティブな側面も持ち合わせています。

結果として、社会が完全に分断され、「同じ国民」としての共有軸を失ってしまったアメリカのような国にはない可能性を持っているということでもあります。

例えばビル・ゲイツやウォーレン・バフェットのような上の世代の「アメリカの富豪」は、(実際に毎日食べているかどうかは別として)「好物はビッグマック」などと答えて「同じ国民としての紐帯」を確認することが「良いこと」だとされる倫理観を持っていました。しかし、今やアメリカの富豪はありとあらゆるライフスタイルの面で「普通のアメリカ国民」とは隔絶しきっており、むしろ「普通のアメリカ人の暮らしや習慣」を「時代遅れのライフスタイル」だとバカにするような傾向すらあります。

一方で日本では、かなりの富裕層でも貧困層でも地方でも都会でも、コンビニとラーメンと漫画を共有しており、既に幻想に近くなっているとはいえ「みんないっしょ感」の紐帯が一応は維持されている。

日本人の「みんないっしょ幻想」がギリギリの土俵際で完全な分裂を防いでくれたおかげで、私が意図的に長い時間をかけて職業的にやったほどのものでなくても、日本に生きる日本人であればそれぞれなりの「縦の旅行(by カズオ・イシグロ)」をして生きてきた体験が残っています。

「俺たちvsあいつら」と陣営分けをして「あいつら」を排除していく「アメリカ型の改革」を必死に拒否して、内輪で固まってグズグズと過ごしてきた時間があるからこそ、できることがある。つまり「アメリカのやり方が全てではない」となっていく今後の時代に、「どちらの側の言い分も吸い上げて具体的に一歩ずつ対話的に変化させていく時代」のトップランナーになれる可能性を持っているのです。

●安易な妥協に陥らない議論のすすめ……「メタ正義感覚」

「メタ正義感覚」という聞き慣れない用語は難しげですが、「縦の旅行(by カズオ・イシグロ)」的なセンスを持っていることが多い日本人なら、本来自然的に備えた「特技」であったはずのものです。

しかし、そういう「日本的な調和」なんかぶっ壊さないといけないのではないか? もっと徹底的なアニマルスピリッツによるイノベーションが生み出すディスラプティブな変化なしには、このグローバルエコノミーにおけるメガコンペティション時代をサバイブできないのではないか? という横文字の焦りゆえに、自分たち本来の強みを失っていた部分でもあります。

「メタ正義感覚」というのはグダグダで何もできない、何も変えられない社会になることではありません。あるいは「間を取って」式に安易に妥協するのでもない。

思い出してください。過去30年の平成時代に行なってきた、「○○をぶっ壊す!」「改革を断行せよ!」という掛け声ばかり勇ましく、現場的に一つひとつちゃんと変えていく事を軽視しすぎたために、「変えろ!」「変えるな!」的な全力の押し合いへし合いに時間とエネルギーを空費してきた事例の数々を。

しかし、立ち止まって考えてみれば、そもそもの最初から「抵抗勢力側の事情」もちゃんと吸い上げて細部の調整を重ねていれば、スルスルと「変革」だって進んだのではないでしょうか?

先述の「平均給与を10年で150万円上げることができたクライアント企業」で起こした「変化」は、ある意味で「口を開けば改革が必要だと言うが何もできない」タイプの企業よりもよほど大きな「改革」が起きていますが、それはわざわざ「抵抗勢力」を名指しで罵倒して、強引に押し切ろうとしたからできたことではありません。

本書を手にとったみなさんもうんざりしておられる通り、日本のネットのSNSでは、「『日本なんてもうダメだ!』という理由を、いかに賢そうに述べられるか競争」のようなものが開催中ですが、そういう競争に参加して「いいね!」をたくさんもらっても、それによってなにか未来が開けてくるわけではありません。

読者の多くの方は、おそらく「自分の居場所」においてこの20年間、果たすべき役割を担い、その立場からの譲れないものを抱えて生きてこられたと思います。

そんなあなたに、この20年の間「縦の旅行」を繰り返し、色々な立場の間から問題解決を試行錯誤してきた私からの視点をお届けできれば、今までの罵り合いが嘘のような「問題解決」への道が開かれるものと信じています。

そうすれば、今の日本の混乱も嘘のように、「意味のある変化」を積み重ねていける時代がやってくるでしょう。

冒頭で紹介した「スラムダンク」の安西先生のセリフのあとには、以下の非常に有名なセリフが続きます。

「あきらめたら、そこで試合終了ですよ?」

絶望的な状況に見えた「湘北vs山王工業」戦において、桜木選手のリバウンドといった「この部分なら自分たちが勝てる要素」に着目して、そこから徐々に戦況をひっくり返していったように。

色々と絶望的にも見える日本の将来を、一歩ずつの具体的な積み重ねによってひっくり返してやりましょう。

私たちならできますよ。



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